8月の日記(後半)

31日(火)

涼しくなり始めたかと思っていたが、また暑くなった。残暑というか、暑さ
の戻りというか。せっかく涼しくなったのに…とボヤく陣営もチラホラ見受
けられる。日陰でチョイと涼んでいたら「ダメだよ〜。そんなところにいち
ゃ。こっちは汗かいてるんだから〜」と厩務員さんにたしなめられた。その
健康的な笑顔を見るにつけ、自分の
軟弱な体がうらめしい…。あれこれやり
たいと思ってはいるんだけど、時間と金がないもんで、ってここで言い訳し
ても仕方ねえか…。

30日(月)

くずNo.2さんからはフレームの導入を進言されたが、本人がなぜかフレ
ーム嫌いなので、今のまま。その代わり、トップページは画像をなくして、
軽くしてみたつもりだ。背景画像だけ出ないかもしれないが…。来週のきょ
うはフランスへ出発する。新コンテンツの立ち上げも頑張りたいが、
まずは
出国前のご奉公
。美浦勤務である。1週先をにらむボクらの仕事は、早くも
秋競馬。もっとも、そのレースの当日はフランスだが。秋の開幕から、いき
なり留守にするのもなんだが、めったにある機会ではない。立つ鳥、後を濁
さずというヤツで、きっちり仕事してから行きたいものである。

29日(日)

きょうもお休み。ここ1週間ばかり、なかなかキツい労働だったが、くずN
o.2さんの家を朝9時過ぎにお暇して、川崎へ。
ワイルドブルーヨコハマ
なるプールに、横浜市民ながら初めて行ってきた。行く道すがらから、眠く
て仕方ない。とはいえ、行けば行ったで面白いもの。まずまず楽しめたが、
それにしても混んでいた。夜のニュースで「きょうは夏休み最後の日曜日」
というフレーズを耳にしたが、まさにプールは芋洗い状態。疲れが倍増する
混雑ぶりだった。しかも、夜はパソコンを預けるために会社にやってきたと
ころ、電車が雷雨のため動いていない。重たい荷物を持ち運んで長々と歩い
て、やっとこさ到着。いやはや、休みでも体が休まらない1日だった。

28日(土)

実に久しぶりの土曜日内勤業務。1日中機械作業をしていると、頭が痛くな
ってくる。やれやれ。しかも
馬券は全滅。踏んだり蹴ったりである。夜はく
ずNo.2さんとHPの更新作業。というか、分からないところを全面的に
手伝ってもらうという、わがまま放題な企画である。ご迷惑をかけるが、ど
うかよろしくお願いします。ご飯おごりますから。しかし、何で全滅のオレ
がマイネエルザを買っている人間におごらねばならんのだ。まあ、彼には彼
のヤラレ方というものがあるようだが…。

27日(金)

久々の休日。1日中、池袋で遊んできた。この6月くらいから何度となく足
を運んでいる「ナムコ・ナンジャタウン」である。つくづく思うのだが、こ
のテのものを考えた人はエライ。まあ、技術の発達があればこそなのだろう
が、それを大人から子供まで楽しめるように作るのは、並大抵の想像力では
ないと思う。ん? オレの精神年齢が低いだけなのかな。何度行っても、ま
た行きたくなるように作ってあるところが、泣きどころというか、うまいと
ころ。たぶん、また来月も行くことになる。さまざまなアトラクションで楽
しんで、さらにゲームセンターに行ってギターフリークに興じた。今さらと
いわれるかもしれないが、ビーマニもダンスダンスレボリューションも、こ
の年齢になってハマリっぱなし。やはり、精神年齢が低いのか…。ギターフ
リークの「HAPPY MAN」という曲が大のお気に入りである。頭から
メロディーが離れない。困ったもんだ。

26日(木)

アイルランドシチーの追い切りがメーンの仕事で、あとは会社に引き上げ。
朝はのんびりと顔見知りの関係者と雑談などに興じていた。会社では、フラ
ンス行きの伝票を書くことに集中。実は期間があまりないのである。これで
帰国したらまたすぐ3週間くらいで凱旋門賞が待っているのだ。仕事そのも
のも頑張らねばならないが、伝票も膨大な量になる。この作業が苦手なこと
だけが、海外出張の苦しいところだな。

25日(水)

追い切りが朝一番に殺到し、てんてこまい。ま、とはいってもその時間を乗
り切れば、後はラクである。いつも頼っている本誌のTさんが、今週は新潟
勤務のため、やはり心細い面は否めないが、こういう時こそ責任感を持って
仕事せねばなるまい。ところできょうは給料日。でも、夏競馬の負けが込ん
でいるから、無駄遣いはできないなあ…。

24日(火)

久々の美浦だが、やはり栗東に負けず劣らず閑散としている。とはいっても
知っている顔が多いという点では、栗東と大違い。たった3週間(中2週)
ぶりとはいえ、「久しぶりだなあ」との声が何人も。いやいや、こうして思
うと、現場デビューからまもなく丸3年。ようやく自分も足場が固まってき
たのかな、と思う。今後もたくさん顔見知りを増やしたいものだ。しかし、
挫折もある。きょうも某馬の厩務員さんに「新聞屋(マスコミの総称)には
しゃべらねえ」と言われた。かつて、ありもしないことを書かれたことがあ
るそうだ。聞けば、確かにひどいことである。不信感が芽生えても無理はな
い。こちらも「馬券を買って競馬を支えているファンの人たちに、ひとこと
でもいいですから」と食い下がったが「オレひとりしゃべっても、変わらね
えよ」とポツリ。まだまだ、オレも力不足だな。頑張るべ。

23日(月)

不思議なもので…ということでもないのだが、我が雑誌は夏場の方が忙しく
なる傾向が強い。G1シーズンともなれば、馬の情報でほとんどのページが
構成されることになり、必然的に取材も原稿もトレセンで取材したものを、
そのまま書くことになる。しかし、夏場は違う。それほど大きくないレース
の週などが多く、いわば夏物特別企画が多数始まる。必然的に仕事のパリエ
ーションに富み、そんな中でも通常のトレセン取材を併行したりするので、
忙しさは倍増、もしくはそれ以上になることもある。さしあたって、ここ3
週ほどはそんな状態だ。が、そのピークも今週で終わる。8月も残り1週間
ちょっと。秋に向けていっちょ、やったるか! 久々の美浦、頑張るぞ〜!

22日(日)

収支については、トップページに書いたとおり。直線では、他人とは一線を
画したところに視線を投げやって「四位! 四位!」の絶叫。助かった〜。
で、ヒーローインタビューなどの取材を終えて、記者席に戻ったのがPM4
時半くらい。原稿を打ち始めるやいなや、「一天にわかに掻き曇り」という
感じで大雨が降り出した。「神様は、馬やファンには優しいね」と口にした
が、すぐに自己レスしてしまった。「オレら(記者)には冷たいな」。もっ
とも、それは必ずしもそうではなかった。記者席からざわめきが起きる。あ
まりに鮮やかな虹が、我々の目の前にかかっていたのだ。普通、虹が見える
ことがあっても、都会の中じゃせいぜい全体の何分の一かしか見えない。し
かし、きょうはアーチ型の全容がしっかりと見えた。生まれて初めての光景
に、しばしパソコンを打つ手もストップ。写真では伝わらないでしょうが、
いちおう、札幌競馬場記者席から見たきょうの絶景をご覧あれ。

全部は写らなかったけど、アーチ型!

さらにアップにすると分かる右側の「2重の虹」!

21日(土)

お遊びで買っていた3歳500万下で万馬券をヒットしてしまい、実に久々
のプラスを計上した。もちろん、それだけではなくて、その資金を元に、他
のレースを当てたのだから、胸を張れるプラスである。やっぱり札幌はいい
なあ(しみじみ)。明日も札幌記念で儲けて、意気揚々と美浦に向かいたい
ものである。さあて、気合付けのために、ススキノに行くか!

20日(金)

やってまいりました。聖地・札幌。千歳から札幌に入り、すかさずススキノ
の街へ。大きく息を吸い込み、ススキノの象徴であるニッカウイスキーの看
板を見上げる。いいなあ、札幌。夕刻、こちらに勤務しているのり氏と待ち
合わせ、ジンギスカンを食べる。毎年行く店だが、相変わらずうまかった。
明日に備えて、早めに帰宅。この土日は、競馬場でボーッとしてしまうわけ
にはいかない。睡眠は十分に取ろう。
しかし、後藤Jのアクシデントは残念としか言いようがない。人間的に非常
にすばらしいジョッキーだけに、よほどのことがあったものと推測するが、
ここではコメントも差し控えておく。とにかく残念だ。

19日(木)

きょうは会社。いつもどおり翌週の会議があって、来週は新潟3歳Sの取材
のため美浦へ行くことになった。中2週ということで、馬なら普通のローテ
ーションだが、これだけ美浦から遠ざかったのは久しぶりだ。妙に懐かしい
ものである。明日からの札幌行きも楽しみ(というか、ウキウキ♪)だが、
来週も楽しみだ。

18日(水)

当初の予定では明日まで栗東に滞在し、そのまま札幌へ、ということだった
のだが、予想外に仕事がはかどって片付いたため、帰京することになった。
移動の回数が増えることは決して楽ではないが、1週間ずっと自分の部屋に
帰れないのもまた楽ではない。遅くはなるが、それもまあいいだろう。ノー
マルな経済状況であれば、何のかんのと理屈をつけて札幌早乗りというイン
チキも考えられるところだが、さすがに現状では行くだけ行っても何一つで
きないという悲しさ。全くもって情けない限りである。せめて金曜日からの
札幌滞在では、少しくらいうまいものを食べて、ちょっとはいい思いもした
いものだが、帰りにスッテンテンでは意味がない。飲んで食って馬券も儲け
る。その意気込みだけは、懲りずに持ち続けねば!

17日(火)

美浦でも夏場は十分に閑散としているのだが、この時期の栗東はそれに輪を
かけた状態だ。札幌、函館に小倉。3場に滞在している馬と関係者がいるの
だから無理もない。必然的に、こちらの目当ての人間もいなかったりして、
久々の栗東には少々困惑した。まあ、それでも何とかめどを立てているので
うまく週末に札幌に行きたいと思う。夜は先月付けで我が雑誌に異動してき
たDさんらと食事。関西の人たちと食事をするとノリが良くて、普段の記者
グループとの付き合いとはまた違った楽しみがあるものだ。とはいえ、先週
に引き続いて原稿の量は相当に多い。パソコン画面の見過ぎで目とアタマが
痛いよ〜。更新とレスを終えたら早めに寝るとするか。

16日(月)

きょうは会社から栗東へ。果たして何ヵ月ぶりだろうか。栗東に来るのは。
とにかく、その記憶がないくらい、栗東は久しぶりである。次週の重賞は新
潟記念だが、栗東に行く主目的は3歳馬の取材。果たして、ほとんど顔も知
らないような人がゾロゾロいる栗東で無事に取材が進むかどうかは分からな
いが、せいぜい落ち度のないように頑張ろうと思う。しかし、行きがけの東
京駅で、その出鼻をくじかれるような出来事があった。ここ数日来、胃腸の
調子が良くなく、この東京駅でも、トイレへと向かうことになったのだ。し
かし、個室の空きは1つしかない。手すりのついた、洋式のトイレである。
他に空きがないゆえ、そこに入って用事を済ませていたのだが、外からノッ
クの音がする。叩き返したが、10秒もしないうちにノック。再び応答する
と、また10秒もしないうちにノック。「早くしろよ」の声が。別にのんび
りしたい場所でもないし、さっさと出たいと思うが、そう急かされては出る
にも出れない。仕方ないから「ちょっと待って下さいよ」と一声出して、後
片付けに入ったのだが、今度は30秒くらいで「まだかよ」と金切り声が。
応対するのもイヤになって、数十秒で外へ。「遅えんだよ。こっちは脚が悪
いんだから」。とは20代とおぼしきオトコである。ハッキリ言って、自分
としては、かなり早かった方だと思う。それに事実だから「他に空きがなく
て、仕方なかったんです」と答えた。「とにかく、こっちは脚が悪いの。他
のトイレは入れないから。早くしろっての」。こっちとしても、体が不自由
なことには同情するし、そうした方が待っているのに手すり付きのトイレに
入っていたことは悪かったかもしれない。だが、あまりといえばあまりの態
度だった。一言で言えば、「威張りくさった」という言葉がピッタリだ。こ
うなると、カッとしやすい性格(欠点だと思うのだが)が出てしまう。「悪
かったとは思いますが、別に特にゆっくりしたわけじゃないし、それにここ
は体が不自由な方に優先されるところであっても、専門ではないでしょう」
と言った。そこに返ってきた言葉は「専門なの。専門」。で、そのまま中へ
バタン。こちらが浅学だったのかどうかは分からない。あの場合、自分はど
うするのが正解だったのだろうか。空いているトイレでも、手すり付きは健
常者が使ってはいけないのかなあ。心中に振り払えないモヤモヤと複雑な気
持ちを抱きつつ、久々の関西入りとなった。まあ、唯一の救いは、新幹線の
中で隣の席がカワイイ女の子だったことくらいである。←救いようがない

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