9月の日記(後半)

30日(木)

前夜は日記の更新を終えてから、ただひたすら通信回線の復旧に努
め、見事に復旧を果たした。たった1ヵ所、数字を変えるだけでよ
かったのだが、夕飯は22:30までずれ込んだ。まあ、それでも
精神的に大幅に楽になっているので、よしとしなくては。
ただ、仕事の分量はなかなかに多い。やはり、これまでにない日本
競馬の快挙がかかっているのだから、当然だろう。幸いにして野球
もセパともに優勝が決まり、凱旋門賞を勝てば1面になる可能性は
高く、その覚悟もやきもきすることなくできる。特集記事をひとり
で書き上げる(語弊があるが、もちろん、多くの人の協力があって
のこと)のは、確かに疲れるが、充実感もひとしお。何度か口にし
ているが、こんな機会を与えてくれたエルコンドルパサーと関係者
の皆さん、さらに自分を出張させてくれた会社に、改めて感謝した
いと思う。あまり日記になっていないが、ひとり旅でもしないと、
そんなにおもしろいことは起きませんので…。あしからず。

29日(水)

原稿はメールでの送信にて完了。しかし、時間のロスがあり、締め
切り時間との格闘となる欧州では、ツライものがある。何とか、レ
ース当日までには治したいものだが、どうにも分からない。あー、
そんなわけでストレス満開というところ。
きょうはエルコンドルパサーの追い切りがあったが、各国から集結
した報道陣の数が多すぎて、万が一の事故が起きては大変だという
配慮から、生の追い切りは見られず、ビデオでの上映会となった。
ビデオで見てもハッキリと分かる抜け出し方に、好調を確信。日曜
の馬券勝負に気合が入る。午後はフランスの場外発売所(PMU)
団体から日本の記者が招待を受けて、各種施設を視察してきた。し
かしこれが、なかなかに退屈で、危なく寝てしまいそうに…。フラ
ンスでは売り上げがあまり伸びていないこともあり、画期的な改革
がいくつか行われているのだが、そのうちのひとつが
「場外発売で
場内と同じ時間に締め切る」
というもの。日本では、10年以上前
にできたものだ。映像についても自信満々。「グリーンチャンネル
にも視察に来てもらって、ノウハウを見てもらいたい」と豪語して
いたが、自分の見たところ、互角ではあっても、日本が劣るように
は見えなかった。来日経験がある国際部副部長氏のナビゲーターだ
ったが、少しその自信は過信ではないかと突っ込みたくなる視察で
あった。ただ、PMUとは関係ないが、レース終了後のジョッキー
に乗馬しながらインタビューするスタイルだけは、日本以外では多
く見受けられる。あれは真似できないものかなぁ?

28日(火)

前日のトラブルが輪をかけてひどいことになった。専門の業者から
電話が入り、あれやこれやといじっていたが、結局のところ、携帯
の接続はいまだままならず。もうどうにでもなれ、と思いながら、
仕事を終えて原稿を打ち終えた。パリに戻る最中にとんでもない渋
滞に巻き込まれたが、キーパンチャーのバイト歴がある分、かなり
早くパソコンのキーを打って、締め切りには何とか間に合う…その
時間にトラブルは発生したのだ。
原稿が送れないのである。なにが
なんだか分からなかったが、思い当たるフシはひとつしかない。そ
う、先ほどあれやこれやといじっていた時に、モデムの部分を少し
変えていたのだ。果たせるかな、事態は悪化の一途。結局、締め切
り時間を1時間以上過ぎたあげく、
電話で原稿を読み伝えるという
原始的な方法
を取らざるをえなくなった。ご飯も食べずに、業者や
パソコン通のくずNo.2さんなどに電話して復旧に努めたが、つ
いに元には戻らない。ただ、まさしく不幸中の幸いで、モデムその
ものがイカレたのではなく、記者用ワープロソフトとモデムの接続
がおかしくなったことが原因。つまり、このようにインターネット
への接続は可能なわけで、最悪でも、メールで原稿を送るという荒
業で乗り切ることは可能というわけだ。それにしても、きょうは、
間違いなく記者になってから
一番疲れた日。最も長い一日だった
言っていい。通信ができないという困惑、疲労に加え、業者への怒
りがミックスされ、胃の調子がおかしくなること甚だしかった。こ
んなこともあろうかと、胃薬持参済み。ありがとう、タケダ製薬。
おかげで何とか死なずに済みました。しかし、マジで疲れたよ。

27日(月)

何事もなく無事に出張を終えられれば、それにこしたことはない。
しかし、何事もそう簡単には終わってくれない。というか、始まる
ことさえ難しいのである。今回のトラブルは携帯電話。レンタルで
日本で借りていく方式なのだが、今回はいつもレンタルしている業
者が「台湾の地震取材のため、器材がありません」と断られてしま
い、いつもと違う業者に頼んだのだが、これがどうにもいけない。
基本的にこちらでのパソコンでの通信は、ホテルやJRA事務所の
回線を使用しているので、問題ないが、やはりいざという時のため
に携帯を使用した通信も必要なのだ。ところが、それができない。
行く前に相談したところ「フランスに行ったらできるんですよ」と
説明されたので安心してこっちにきたら、
できやしねえ。怒りのあ
まり抗議の電話をしたら、専門の業者に電話をさせるとのことだっ
たが、その業者から電話がかかってきたら「すみません。担当は休
みなので、明日電話します」だと。カンベンしてくれよ、と思った
ところ、さらに充電までできねえときた。通信の時には怒りを表に
出さずに電話したが、こればかりは怒り心頭。猛烈に怒りを表明し
たところ「ホテルでプラグくらい貸してくれますよ」とサラリ。し
かし、シンガポールスタイルの電源に対応するプラグなどなく、大
手の電気屋を3軒も駆けずり回った結果、「それならこの携帯に対
応するフランスの充電器を買う方がいい」と薦められ、なぜか自腹
を切っての出否になってしまった。さすがに冷静ではいられない。
またまた電話をかけたら「そーですかぁ。どーもすみません」。何
を言っていいのやら。この対応、全部録音して公開していたら、数
十万ヒットになっていたのだろうか。てなわけで、いきなり躓いた
出張のスタートである。

26日(日)

競馬場に行くくずNo.2さんにけっこうな金を預け、2週間分の
つもりだったのに全額投入。それだけでは飽き足らず、PATまで
導入した日曜の競馬だったが、パリ到着と同時にテレホンサービス
で確認したら全滅だった…。かなり自信あるレースもあったのだが
何ともひどい出足である。まあ、
馬券の当たり運を凱旋門賞まで取
っておく
、と考えることにしよう。それにしても、飛行機の長旅は
何度経験しても疲れる。今回はよりによって隣りの席に幼児がいて
ワーワー泣いていた…。まあ、「ウワーン」という泣き方だから、
まだよかった方だ。これが「ウギャー」だと耐えられないところで
ある。とりあえず、他社の方々より1日先乗りに来ているだけに、
明日はタクシーでのシャンティー入り。不安も少々あるだけに今晩
は早めに寝るとしよう。

25日(土)

いよいよ出発は明日。早朝の電車で成田に向かう。したがって、日
本での馬券はきょうが出発前のラスト勝負…といいたいが、明日も
PATにカネを入れてあるので、空港から電話で投票する。どこま
でも筋金入りのアホということだろうか。きょうはあわや惨敗かと
いうところを、何とか12Rの1点勝負が救ってくれた。負けは負
けなんだが。まあ、運を使い過ぎない方がいいだろう。それでは、
皆さん、行ってまいります。

24日(金)

前日の日記に責任を痛感したと書いたが、まさしく凱旋門賞に向け
てやることが山積してきた。というか、あまりにやることが多い。
雑務といえばそれまでだが、ちりも積もれば山となる、のたとえが
ピッタリだ。当日の自分の負担が少なくなることが明らかとなった
のだが、その分、それに伴って前もっての連絡が必要となり、あれ
これとフランスに連絡、依頼のメールやファクス…。さらには海外
用のレンタル携帯電話を借りに行ったら「台湾の地震関係でテレビ
などが大量にレンタルしていったので、ありません」と各社にたら
いまわし。その合間を縫って月末に日本を空ける分の個人的な用事
を済ませ(土日では不可)、休みも何もあったもんじゃない。と、
あれこれグチってしまったが、それもこれも凱旋門賞を生で見るこ
とができる幸せのため。我慢しなくちゃならないな。それにしても
生まれて初めて、こんなに肩が凝った気がする…。あー疲れた。

23日(木)

美浦ではクイーンS、セントウルSの取材に奔走。クイーンSは馬
の数が少なく、逆にセントウルSは多いものの、賞金不足で出走が
微妙な馬がいるため、取材も難しいものがある。何とか終わらせて
会社に向かうが、いよいよ凱旋門賞への出張が近づいてきたことも
あり、あれやこれやとやることが出てきた。分かってはいたものの
やはり世界最高峰のレースに日本の馬が有力馬として臨むという、
これまでにない出張。改めて会社の責任を背負っていることを痛感
した。任せてくれた会社のためにも、もちろん新聞や雑誌を待つ読
者のためにも、頑張ろうと思う。HPも頑張りますよ!

22日(水)

前夜は、ついつい仕事にかまけて、そのまま食事→夜のギャンブル
へと移行。遊びほうけてHPの更新を忘れてしまいました。しかし
これまで後輩がいても、その教育には携わることなくやってきただ
けに、いきなりその全面的教育を任された(たとえ1週とはいえ)
ことは、想像以上にプレッシャーとなっている。仕事そのものも、
なかなかハードな週なのだが、特にきょうなどはほとんどの追い切
りを2人連れで取材。別に後輩を連れても迷惑することはひとつも
ないのだが、やはり、どこかでいいところを見せようとしているの
か、それともヘマをすまいとしているのか…。いずれにしても、先
輩らしいことをできたかどうかは疑問である。どうかね?

20日(月)

久々に熟睡した。実に11時間近く。普段は多少疲れていても、7
時間寝られればいい方である自分にとって、これは珍しいことだ。
寝不足もさることながら、いろいろ疲れていたのかもしれない。し
かし、これだけ寝たにもかかわらず、まだまだ眠い。日ごろの慢性
的な寝不足によるものだろう。今週は美浦。3週間ぶりに訪れるが
またこの後は少し時間が空いてしまう。たくさんの人に会いたいと
思っているので、よく寝てたくさん動くとするか! 今週は頼れる
ベテランTさんが別用のため美浦には来られない。2週前から現場
デビューした後輩(掲示板によく訪れる人です。さて、誰でしょう
か?)の手前もあることだし、
先輩らしいところをビシッとみせて
やるつもりで頑張るとしよう。うむ。

19日(日)

いいことなど、そうそう長く続くものではない。にしても、3日間
のプラスを吐き出してなおかつ、のしをつけてお返ししてしまう自
分。JRAさん、クレバカードだけじゃなくて、ハズレ馬券でも何
かプレゼント下さい(T中さん、見てますか?)。
我が雑誌の内勤勤務の仲間の父上が、昨日お亡くなりになり、競馬
場からその通夜会場へ直行した。仲間はボクの1歳年下で、亡くな
られた父上はボクのオヤジの1歳年上にすぎない。幸いにして、我
が両親は健在だが、改めて考えさせられるものがあった。日ごろは
心配させたり、親不孝したりするのも、ひとつの子供のつとめ、な
どと思っていたりするが(いい加減、子供でもねえもんだが)、さ
すがに身近にこういう不幸があると身に応える。ご冥福を祈りなが
ら、少しは親孝行もできないものかと思う1日だった。

18日(土)

前半の勝負馬はことごとく敗れ、ミスズシャルダンは予定通りに元
取りの相手を連れてきて、ラトラヴィアータにいたっては、抑えて
もいないヒシナイルがヒモだった。記者席からの身投げも考えつつ
メーンレースの取材を終えたエレベーターに乗って、サイフの中身
をみると4千円。そして最終レースは自信の本命ハタノアドニスが
断然の1番人気なのだ。ことここにいたっては、二者択一である。
黙って手広く購入して少しでも負けを減らすか、目数を減らして金
額を増やし、乾坤一擲の勝負をかけるか。ここで前者を選ぶヤツは
ギャンブラーではない。相手を3点に絞り、その本線に狙ったバク
シンフラワーが、同士討ちの危機を乗り越え(やや進路が狭くなり
ハタノが審議対象となった)2着。久々の大惨敗のはずが、わずか
ながらとはいえ、プラスに転じた。やはり秋の中山には、女神様が
降臨していらっしゃるのかもしれない。…なんてうつつを抜かして
いると、明日あたりヒドイ目に遭いそうなので、たまたま、という
ことにしておこう。でも、ホントに助かった。小林淳様々、蛯名様
々です。明日もうまくいきますように。

17日(金)

くずNo.2さんの家で遅くまでゴルフに熱中して、寝不足のまま
お出かけ。時差ボケと寝不足、足して割ったらアラすっきり、など
ということになればいいのだが、足して倍増どころか、足して掛け
て、さらに10乗くらいしている感じである。さすがに途中でひと
休みした。元気を取り戻すべく、大好物の
天下一品(ラーメン。知
らない人は、人生、損しています)で舌鼓を打ち、少し回復。休み
の1日で、そんなに体に負担もかけていないせいか、夜に入って、
どうやら普通に眠たくなってきた。これならば明日から通常通りの
行動ができそうだ。ということは、馬券の収支も通常通りになるの
だろうか…。時差ボケしているくらいの方がいいかもしれない。

16日(木)

きょうは、フランス出張で借りていた携帯電話を返しに行った。ド
コモ系の会社で、カワイイお姉さんが窓口の応対係。返却に行き、
器材の点検をしていると、おもむろにお姉さんが言う。「これは、
違いますよね」。その手にあったのは
「ヒロミ・ゴー・ベストヒッ
ツ」の歌詞カード
。成田の帰りに、レンタルCD屋で借りたCDの
歌詞カードがなぜここに…。どうやら帰国後のボケている中で荷物
がごちゃ混ぜになっていたようだ。それにしても、お姉さんの笑い
をこらえる姿といったらもう…。まいった。ハワイでカラオケに行
った時に、ついパリ事務所の荻野さんが歌っていたメドレーに魅せ
られてしまい、借りたシロモノ。あのお姉さんの笑いは何を意味し
ていたのだろうか。今より若いヒロミ・ゴーが腰に両腕を当てて立
つ姿なのか、それともオレの練習する姿を想像したのか。もちろん
その笑いの理由を聞く勇気はなかった。

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