12月の日記(後半)

31日(金)

まことにもって無為な1日であった。ただ、この1年、思い切り寝
た日というのがほとんどなかっただけに(年明けのカゼの時くらい
だったな)、その意味では有意義だったが。起きては食べ、少しテ
レビを見て、また寝る。この繰り返し。まあ、これで疲れを取れる
ということにしておこう。日付が変わったら地元の仲間たちと初詣
に行く。昨年はドタキャンせざるをえなかったので、楽しみだ。
さて、今年は本格的にHPを運用した1年だった。そんな大したも
のではないのだが、多くの方にご来訪いただけたことは、本当にう
れしく思う。今後もあれこれやっていきたいと思うので、ご意見、
ご感想などあれば、ぜひお寄せ下さい。2000年もよろしくお願
いいたします。

30日(木)

無念の一言である。滅多にない年末の3連休。大井〜立川〜高崎と
渡り歩く念願のバクチツアーだが、いよいよ断念を余儀なくされて
しまうことに相成った。いかんせん、初日、2日目で合わせて1レ
ースしか当たらないのでは、どうにもならない。もはやセンスうん
ぬんではなく、神様がええ加減にせえ、と申しているものと判断し
た。かえすがえすも無念の極みである。幸か不幸かヒマだけは有り
余っているので、心行くまでのんびりしてやろうと思う。いや、そ
の、最初からそうすりゃよかったんだけどね…。それにしても、何
とも情けない話だよ。とほほ。

29日(水)

アキレス腱痛は、けさも明らかに腫れていて、整形外科に行った。
診断の結果は「よほど変な歩き方をしたか、あるいはお若いけれど
も痛風かも」だと。ひー。この年齢で痛風はねえだろ〜? ボク、
そんなゼイタクしてませんって! そりゃ、確かに肉とか好きだけ
どさ…。どうか、ただの炎症でありますように。
で、それでも大井に行ってきた。我ながらあきれる執念である。バ
クチの神様は、そんなボクに微笑んで…くれねえ。ちくしょーめ。
ついて最初のレースで買った馬連がアタマ差の1、3着。次のレー
スはワイドにしたら、ハナ差の1、4着。さらに次のレースは、本
命馬から本線に買った馬が放馬し、「こりゃ返還か」と思わせてお
いて、なにごともなく出走し、しかも勝ってしまったにもかかわら
ず、本命馬がどこかに消えていた。どーなっとんじゃ。このあたり
の経緯は作り話のようなハナシだが、すべてホント。この勢いでは
大賞典など当たるはずもなく、ものの見事にフケてきました。まだ
明日のケイリングランプリの資金はあるが、果たして、大晦日の高
崎大賞典に行けるかどうかは、限りなく怪しくなってきたというと
ころである。神山、頼むぞ。

28日(火)

朝から謎のアキレス腱痛が発生。朝のうちは、ちょっと気になる程
度だったが、時間が経つにつれて痛みが増してきた。しまいにゃ、
階段の下りでは一段一段を両足で下りる始末。何が何だか分からな
い。明日、起きて何ともなければいいけれど、もしもこの痛みが引
かないようだと、病院行き、すなわち大井回避ということになって
しまう…。頼むから治ってくれ〜。金銭的には治らん方がいいのか
もしれんけどなぁ…。

27日(月)

忘年会は比較的早めに切り上げ(歌い足りないが)、きょうの競馬
記者クラブ総会に備えた。総会もいくつかの議題をとどこおりなく
話し合って終了。その後、会社に立ち寄って我が雑誌の年鑑を1冊
入手して帰宅した。明日1日が、疲れを取る日となる。29日の大
井を皮切りに、ギャンブル3連闘へ。しかし、有馬記念の敗北で手
もとは不安が残っている。3連闘目の高崎までたどりつけるかどう
か…。ダメなら寝正月しかねえな。東京大賞典、当てるぞ〜!

26日(日)

有馬記念は、素直にいいレースだったと思う。勝ち時計は悪かった
が、要は内容。スペシャルウィークが思い切り下げて外をブン回す
というのは、ほぼ予測できたのだが、それでもあそこまで来たのだ
から、強いとしか言いようがない。自分の不明を恥じるのみだ。ま
た、グラスワンダーの強さはそれを上回るものでもあった。確かに
太いと思えるデキだったが、それでも差し返す精神力。スターホー
スという表現が似合う馬だ。閑話休題。スターで思い出したが、き
ょうは記者席に
スターにしきのあきらさんがいらしていた。ウ
チの新聞で予想をしている関係であるが、これが何とも気さくな人
で、単なる、と言っては非常に失礼だが、ホントにどこにでもいる
ような熱心な競馬ファン。知識も豊富だった。それにしても、かっ
こええな〜。今はまだPM8:30。これから編集部の忘年会に行
ってきます。暴れるぞー!

25日(土)

推奨レースにはしなかったが、クリスマスSをマイネルマックスが
勝った。朝日杯3歳Sを取らせてもらった恩義もあるが、担当する
村上厩務員は、厩舎に行くと必ず日本酒を勧めてくれて(おかげで
午後の仕事がままならなくなったことも何度かあるが)、お世話に
なったことが何度となくあったものだ。検量室に下りていくと、も
う村上さんは号泣状態。「泣かんとこうと思っとったんやけど、3
年ぶりやからなあ」。確定を待つマックスを曳きながら、何度も何
度も涙をぬぐっていた村上さん。ホントにおめでとうございます。
それにひきかえ、2Rのパドック。後藤Jの復帰レースとあって、
すごい祝福の声が上がっていたが、その中に混じって後藤、吉田の
両騎手に対するヤジが聞こえた。とても書けないことばかりだが、
悪いヤツらがいるものだ。レースで失敗してヤジられるのならば、
ある程度、仕方ない部分もあるだろうが、制裁を受けた加害者と、
精神的に傷を負った被害者に対して、あのような言葉を投げかける
神経を疑う。おめえら、競馬場に来るな。

24日(金)

世の中いろんなバカはいるけれども、なかなか自分の上を行く人に
は巡り合えないものだ。きょうは午前中から大宮に行く用事があっ
たため、前夜は会社から家には帰宅せず、上野のカプセルホテルに
止まって、高崎線で大宮に向かった。朝10時前には大宮に到着。
少し早く着いたため、時間でもつぶすか…と足取りも軽く駅前を散
策していたのだが、そこでふと気づいた。
なぜ足取りが軽いの?
そう、高崎線に乗り込んだ時、自分は確かに美浦出張用グッズの入
った大きなバッグと、いつものビジネス用カバンの2つを持ってい
た。しかし、手元にあるのはビジネス用カバンのみ。
これって、な
あに? 
3秒(推定)の考察の結果、高崎線の網棚の上にあるはず
という結論に達した。顔面蒼白で大宮駅に駆け戻る。忘れ物センタ
ーの駅員の対応のまずさ(「おめえが忘れるのが悪いんだよ」てな
態度がミエミエ。でもそのとおりです。はい)に怒りを覚えつつも
頼れるのはJRのネットワークのみ。事情を説明して、途中駅での
調査を頼んだが、答えはにべもなかった。「高崎線は、途中の駅の
ホームに駅員なんていないんですよ。終点まで行かないと調べられ
ませんから」。その後の時間の長かったこと…。1時間半を経て、
再びその忘れ物センターに行くと、ほどなく電話が鳴り「ありまし
た」。ホッとしたのはいいが、着払いの宅配便だと数日かかってし
まう。仕事に必要なものも入っているため、仕方なく高崎に向かう
ことになってしまった…。ちょうど来週の金曜日(大晦日)は、高
崎大賞典に行くつもりだったが、こんな形で駅まで下見に行くとは
思わなかったよ。なんてえクリスマスイヴだ。ばかったれー!
ふと思い出したけど、一昨年の北海道出張でも日高本線の中にバッ
グを忘れたっけな。あのときゃ、折り返し電車で積んで来てくれた
もんだ。というか、こんなこと2度もやるヤツぁいねえよなあ…。

23日(木)

本年最後のトレセン勤務となった。というのも、今年は我が雑誌創
刊以来初の年末年始休業なのである。社会人として非常に心苦しい
発言ではあるが、素直にうれしい。というのも、1月の前半が5、
6、8、9日という変速開催のため、特別登録が4日分まとめて発
表されるわけで、必然的に雑誌も2週分の合併号となるわけだ。し
たがって、新年最初の発行は10日。始動は1月4日でOKという
次第である。実際にトレセンで働く方々から見れば楽なことだろう
し、実際に年末ギャンブルツアーを実行すべく計画を練っている当
方としては、何ともうれしくもあり、申し訳なくも思う。まあ、ホ
ントに数年の1度のことなので、許してちょーだい!

22日(水)

とにかくマスコミの数が多い。ダービーウィークと同じだが、まあ
よくもこれだけいるものだ、と思うくらいの人数である。よく見る
顔もいれば、どこの人? という人も当然いる。しかし、こうした
人々はたいてい、普段は競馬に触れないようなメディアの人々であ
り、こうしたところで競馬が取り上げられる回数が増えてこそ、競
馬の盛り上がりにつながってくるわけだ。取材にあたっての人込み
がうっとうしくなるのは確かでも、文句は言えまい。なーんて余裕
をカマしていられるのも、金杯の取材してるからなんだけどな〜。

21日(火)

いよいよ有馬記念、という週。前々から言っているが、そのような
環境にあって、早くも金杯の話を聞いて回っている。さすがに毎年
やっているだけあって、イヤな顔はされなくなったが、「まだ先の
ことだから」という言葉は多い。そりゃそうだわな。明日は追い切
りが行われる。通常の週と違って、1週前追い切りドキュメントの
コーナーがない点は楽だが、その分、きちんと聞いて回らねば。ま
だ正月ボケするわけにはいかねえもんな。

20日(月)

美浦入りする前に、JRA主催の「有馬記念フェスティバル」に立
ち寄った。出走するジョッキー5人のトークが炸裂して、非常に楽
しいイベントである。特に、大酔っ払いの的場Jが寝ていたり、和
田Jがしきりにボケたりするシーンは大笑いだった。しかし、何よ
りの収穫は、新聞記者控え室にいた時に、ゲストでやってきた
優香
をナマで見ることができた
ことである! いいでしょ〜。いひひ。

19日(日)

午前の勝負レースと銘打ったレースで、ものの見事に1−3着を食
らっては、1日の敗北もやむを得ないところだろう。ブラックホー
クの勝利で裏バーを食らわなかったのが、せめてもの救いだと思う
ことにする。我が愛馬も8着に終わった。まだまだこれからだ。さ
て、いよいよ今週は有馬記念ウィーク。先週、栗東で仕入れた情報
と、今週、美浦で見聞するものを合わせて、自分なりの結論を出す
ことになる。もっかのところグラスワンダー本命の予定だが、あれ
これ思うに、力量だけの勝負になるかどうか疑問だ。締めくくりの
レースだけに、じっくりと考えた上で結論を出そう。

18日(土)

エルコンドルパサーを追いかけて、いくつも感動的なレースに出会
うことができたが、きょうはエルコンドルのレースを除くと久しぶ
りに感動するレースを見ることができた。言わずもがなの中山大障
害である。もちろん、馬券を買ったビリ人気のダブルサンキューが
4コーナー3番手という見せ場を作って6着に健闘したこともある
が、大竹柵、赤レンガ(大生け垣)といった障害も多くの馬たちが
次々とクリアしていく様子に感動できたのだ。三浦Jいわく「団子
状態で道中を進んで、1頭落馬したのは残念だけど、みんな上手に
飛越していましたよね。フランスの障害レースみたいでしたよ。こ
んなレースをたくさん見せることができれば、もっと障害の人気が
上がるでしょうね」。全く同感である。イチバンリュウで落馬した
植野Jが「おめでとう」と西谷Jを迎えた。笑顔が消えて「大丈夫
か?」と西谷Jが植野Jの肩を抱く。障害騎手だけに共通する連帯
意識だろう。表彰式でのファンの拍手も大きかった。PR次第で、
ファンの人気はもっと上がるはずだ。スピードを競う平地とは別の
技術が見どころの障害レース。今後も楽しみにしていきたい。

17日(金)

栗東出張の長距離輸送の疲れを引きずって、1日中眠たさを感じた
1日だった。しかし、気づいてみると…

↑我ながら色彩感覚が悪すぎ
である。皆さんに支えられてアクセス数も約15000(途中数回
カウンターが消えた分も合わせてます)に達している。まことにも
ってありがたい限り。ハズレの多い予想、愚にもつかぬ日記、デザ
インも拙いもので、他のHPと比べても恥ずかしいばかりだが、ア
クセスして下さる方々のことを考えて、せめて掲示板のレスだけで
もと頑張ってきた。今後もあくまでマイペースの更新となるだろう
が、皆さま変わらぬお付き合いをよろしくお願い申し上げます。

16日(木)

栗東での取材を終え、無事に帰京。会社での会議は、翌週の内容に
ついてだが、翌週の仕事は鬼も笑う来年のお話である。東西金杯に
シンザン記念。現段階では出否も定かではない馬が多いだけに、次
週はその出否を聞いて回ることから始めねばならない。そういえば
「来年のことは来年聞け〜!」と怒鳴られたことがあったなあ…。
ま、たまたま機嫌が悪かったのだろう。今では週刊誌の仕事も多く
の関係者にご理解いただいて成り立っている。有馬記念の喧騒に背
を向けての取材。ちと後ろ髪を引かれる思いはあるんだけどな。

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