15.競馬マスコミの存在意義
(00.04.19)

このところ、いろいろと思うところがあり、競馬マスコミとしての存在意義
などについて書いてみたい。競馬マスコミには、主に分類すると、日刊紙、
専門紙、それ以外、の3つがある。一般雑誌などで、ダービーなどの時にだ
け特集を組むものなども、それ以外に分類しておきたい。

多くの競馬ファンが、その3つすべてにお世話になっていることだと思う。
日々の情報は日刊紙から、実際の開催日は専門紙から、また、それ以外にも
競馬への興味を満たすためにメディアを活用する、そういうことに僕ら競馬
マスコミは役立っているのだと思う。実際、一切の競馬マスコミがなくなっ
たりなどしたら、まず今の日本の競馬の隆盛は有り得ないと断言していいだ
ろう。日刊紙には日刊紙の、専門紙には専門紙の、それ以外にはそれ以外の
良さがあり、ファンはそれらの中から自由に選択して、競馬を楽しむための
道具としていると思うし、その道具に詰まっている多くの情報が、馬券の売
り上げにつながっているはずだ。

なぜ、今回、このようなことを書こうと思ったかというと、実は、とあるジ
ョッキーが、日刊紙に対しての取材拒否の姿勢を貫いているからである。詳
しくどこの社のどの記事について不愉快に感じたのかは聞いていないだけに
具体的な解決策を講じることはできないが、このままの状態が続いても、子
供のケンカ(言葉は悪いが、表現的にこれが合う)である。自分としては、
何とか解決させたいと思うばかりなのだが、問題は「日刊紙」のみを敵対視
している点だ。

日刊紙(正確には朝刊紙と夕刊紙があるが、競馬マスコミにおいてはほぼ同
意義)は、主に競馬の盛り上がりに貢献していると言っていい。時には駅の
店頭にズラリと並ぶ1面記事を競馬が飾ることもある。注目度、インパクト
という点では、他の追随を許さないメディアといえるだろう(テレビ中継は
競馬ファンが見るものだから、ここでは別)。したがって、盛り上げる、と
いうよりも、時には「煽る」というくらいの扱いをしなくてはならないこと
もある。決して悪い意味ではなく、良くも悪くも、競馬への興味を引かせる
ということが、意味を持っているわけだ。この役割を日刊紙が担っている。
恐らく、前記のジョッキーは、自分の発言、行動が、納得できない扱い方を
されたために、怒気を発したものだと思う。また、日刊紙に対する取材拒否
の例は、今回に限らない。話し合いで解決したものがほとんどだが、やはり
発言を曲解されたとする場合や、オフレコのつもりでしゃべったことが活字
になった場合など、活字の怖さを味わわされた(と思う)関係者の数は、決
して少なくないようだ。くだんのジョッキーだけでなく、有力調教師から、
大オーナーまで、謝罪の要求があった例は、自分が知るだけで五指に余る。

ところが、専門紙の場合、こうしたトラブルなどほとんど起こらない。当然
のことだ。基本的に、すべてのコメントは、出走馬の調子に関するもので、
センセーショナルな内容や、問題視される発言など、出るはずがない。まあ
トラブルが皆無ということはないだろうが、大きな問題に発展したというこ
とは、聞いたことがない。やはり、日々、担当厩舎制度を採っていることも
あり、信頼関係が強いこともあるだろうが、調子に関するコメントならば、
ウソや誇大表現もありはしないだろうから、当然のことでもある。

自分が日刊紙の立場に限りなく近い(所属は雑誌の編集部だが、大きな組織
としては、日刊紙の特別版なわけだし、仕事も日刊紙の記者室で行っている
から)こともあり、立場論としては、どうしても日刊紙としてのものになっ
てしまうが、前述のように、日刊紙は競馬の盛り上がりに貢献しているとい
う点を、少しでも考慮してほしい。実際、そのジョッキーがどのような記事
を書かれたのかが分からないだけに、うかつなことは書けないが、話し合い
くらいには応じてほしいと思うのだ。正直、自分はそこまで態度を硬化させ
ていると知らず、コメントを聞きに行ったところ「横に日刊紙がいるから、
話さない」といわれた。何があったのか教えてほしい、といっても「ムカつ
くから」のひとこと。取りつく島もない、とはこのことだった。ただ、その
後に付け加えた言葉で、特定の社に敵意を抱いていることは分かったのに、
日刊紙すべてに対して拒否の姿勢を打ち出していることがひっかかるのだ。

ジョッキーの中には、「偏屈者」で知られる人もいる。しかし、そのジョッ
キーは、以前から決してそのようなタイプではなかった。それだけに、何が
あったのかを知ることが先決だとは思うが、日刊紙という存在をひとくくり
にして敵意を抱いている点が、問題だと思う。実際に敵意を抱く社に対して
のみの取材拒否なら理解できるのだが、なぜそうなるのか。これはひとえに
日刊紙の体質を考えてのものだろう。だが、想像してほしい。もし、競馬を
扱うメディアとして、専門紙しかなかったらどうなるか。すでに競馬を知っ
ている人には想像することが難しいかもしれないが、日刊紙に比べて高価な
専門紙は、専門知識がある人にしか近寄りがたいものである。また、日刊紙
は、できる限り専門的な表現を避ける方針もある(例=「テン乗り」ではな
く「初騎乗」とするように徹底されることもある)し、大レースの時に多く
の人の注目を集めるための広告塔的な意味合いもあるわけだ。逆に知識が深
くなってくると、日刊紙だけでは足りなくなる人もいるわけで、そうなれば
専門紙を読めばいい。併用するもよし。いずれにしても、日刊紙の存在意義
をあまりに理解されないと、ちょっと悲しいものである。

取り上げ方が気に入らないというからには、よほどの理由があることは推察
できる。しかし、ジョッキーの中には「やはり、大勢の目に留まる新聞に取
り上げられることは、自分の宣伝にもなりますから、どんどん取り上げてほ
しいと思います」という姿勢の人もある。これがすべて正しいとは言わない
が、騎乗者という貴重な立場のコメントがなくては、マスコミにとっても、
ファンに対しての責任を果たしているとは言い難い。そしてもちろん、ファ
ンの馬券の売り上げが、競馬の発展、隆盛のすべてを支えている日本の競馬
にあって、コメント拒否を続けることは、ジョッキーとしても決して得策で
はないはずだ。言葉を選ばずに言えば、やはりジョッキーにとってコメント
も仕事の一環だと思う。日刊紙に対してもコメントすることは、責務である
と思うのだが、どうだろうか。

まあ、このような文章が本人の目に留まることはないだろう。しかし、時と
して敵対視されることが多い日刊紙の立場に近いものとして、このような機
会に、立場論として言わせてもらった。もちろん、ウソや捏造が許されない
世界であることは当然だ。そのようなことは、多大な信頼の失墜につながる
わけで、あってはならない。だが、そこまでの悪意がない限り、なにがしか
の解決策を見出したいと思う。自分がそれをできるとは限らないが、心の奥
に残るわだかまりを解消したくて、この文章を書いてみた。一般のファンに
とっては、あまり関心のない問題かもしれないが、時としてこのような問題
も起きているんだ、ということを知ってもらいたい。

最後になるが、ここまでの文章を読んで「競馬の人気は、オレらマスコミが
支えてやっているんだ!」というような傲慢さが感じられたとしたら、文筆
業の端くれとして、情けなく思う。しかし、それはただ単に自分の文章力が
至らないためであり、決して本位ではない。あくまでも、そういう側面もあ
るということに目を向けていただきたい、というだけのことだ。ご理解いた
だければ、これに勝る幸いはない。

競馬雑感home