さようなら、エルコンドルパサー
(2002.07.17)


月並みな言葉だけれど、心の中にポッカリと大きな穴が開いた気分だ。きのう、エルコンドルパサーが
天国へと旅立ったと聞いた。

あまりに早すぎる死だけれど、ナリタブライアンにしてもロイスアンドロイスにしても、今年のエスト
レーノにしても同じだが、腸ねん転という病気は、進歩を遂げている現在の医学をもってしても、どう
にもならないそうだ。今となっては、これが運命だったと思うよりほかにない。

命あるものは、いつか必ず死ぬ。自分にとって、一生忘れることのできないエルコンドルパサーも、い
つかはこの日が来ると思っていた。でも、それは、いつか自分がかなりのキャリアを積み上げた頃に、
若かりし日の自分の思い出を振り返るような、そんな先の話だと思っていた。まだ、子供もデビューす
る前に天に召されるなんて、考えられなかった。

いま、自分がこの仕事をやっているのは、さまざまな人のおかげであることは疑う余地もない。それは
会社の関係者であり、友人であり、競馬の関係者でもある。だけど、記者としての自信をつけさせてく
れた馬は、エルコンドルパサーしかいない。まだまだ未熟な自分だけれど、その自分がさらに未熟な時
に、4度もフランスに出張するチャンスを与えてくれて、あれだけのすばらしい走りを目の前で見せて
くれて、携わる人々との間に深い関係を築くこともできた。忘れられない馬であり、感謝してもし切れ
ない恩人(馬)であり、そして、あこがれの馬でもあった。

数々のレースが、脳裏に浮かんでくる。ゴール寸前で涙を飲んだ凱旋門賞もそうだけれど、ボクにとっ
ては、サンクルー大賞が忘れられないレースだ。欧州の強豪を従えながら、悠然と馬なりで直線の半ば
まで構え、楽々と優勝したあの快挙。取材者でありながら、涙を浮かべているところを他紙の記者さん
に見つかり、「なに泣いとるんや。こっちももらい泣きしそうになるやんか」と突っ込まれたことが、
ついこの間のことのように思い出される。

日本の馬(日本で調教された馬)が世界に通用するようになったと言われて久しいが、本当の意味で、
世界の頂点にまで近づいたのは、まだエルコンドルパサーだけだと思う。短距離路線を軽視するように
思われるかもしれないが、伝統の重みとチャンピオンディスタンスのタフさを思うと、ボクにはそう思
えるのだ。もしかすると、この先、20年、30年とこの仕事を続けていても、あれだけの走りを見せ
てくれる馬にはめぐり合えないかもしれない。磨きぬかれた心身と、生まれ持った競走馬としての能力
を兼ね備えた名馬。この先、日本にそんな馬が出るとしたら、それはエルコンドルパサーの遺児ではな
いか、と思っている。希望的観測だと言われても、そう思わずにいられない。

いまはただ、安らかに眠ってほしいと願うよりほかにない。そして、天国から子供たちの走りを見守っ
てほしいと思う。一生、忘れることのない名馬へ…。

さようなら、エルコンドルパサー。
Merci beaucoup(ありがとう)。エルコンドルパサー。


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