5.競馬とのなれ初め
(99.01.27)

 

まあこんなものに時効というものが成立するのかどうかは知らない
が、初めて馬券を買ったのは高校1年の秋である。サクラスターオー
が勝った菊花賞だ。中学校時代の友人で、その頃、ある有名な私大の
付属高校に通っていたヤツが、やけに馬券で儲かる話を聞かせるので
一度やってやろうという実に不純な気持ちになったのがきっかけである。

しかし、それをさかのぼること10数年。思い出すと我が家は毎週末に、
ラジオ関東(現ラジオ日本)の放送が流れていた。オヤジが横浜場外
(当時。今はウインズっていいますよね)で買ってきていたので、その
結果を聞いていたんだと思う。その頃の馬の名前で鮮明に覚えていた
のはテンポイントだった。しかし、記憶が確かならば、ミスターシービー
の頃にはオヤジは馬券を止めている。理由は未だに知らない。

インプリンティングなのかどうか知らないが、競馬というものにも、
まるで抵抗はなかった。まあオトナの世界に足を踏み入れるのが
楽しみな年齢だったこともあるだろう。しかし、実際に馬券を買いに
行ったわけではない。その友人の父親が買ってきてくれたのであり、
それを手にしてテレビ観戦したわけである。

カッコから入る悪い癖は当時もあって、いきなり専門紙を買った。
当時は確か300円だったと思うが、それでも仰天の高値である。
慌てたが、スポーツ新聞を買う知恵など知らず、しぶしぶ払った。
ダービーニュースだったと思う。で、ワクワクしながら友人宅へ。
今にして思うと、ヤツはとんでもない高校1年生だった。オグリ、タマモ
の前である。にもかかわらず「この厩舎は最近勝っていないから、
そろそろやるはずだ」なんて講釈をたれていたんだから。まあ、
それは置いといて、自分が軸に選んだ馬は覚えていないのだ。
なんとなくメグロアサヒだったのではないかと思うのだが、全く
自信がない。ただ、ダービー馬メリーナイスは危険な人気馬だと
友人は言った。もとより、金を増やすつもりできたのだから、
1番人気が危険だと聞けば、鵜呑みにするに決まっている。

ただ、ダービーと同じくらい大レースを勝っている馬が1頭いること
には気づいた。だが、友人は「こんな休み明けで走るわけがない」と
一刀両断。言うまでもなく、それがスターオーである。枠連の同枠に
何がいたのかも覚えていない(調べれば分かるけどさ)が、とにかく
それも鵜呑みにして、結局外れた。競馬を始めて最初に気づいた
ことは、人の言う事を信じてはならないということであるが、これは
今でも時々忘れてしまうことがある。注意しよう。

で、ここで痛い目に遭ったため、しばし競馬から離れた。だから、
スターオーの悲劇もしらないし、チヨノオーのダービーも見ていない。
この頃にキャリアを積んでいれば、また違った競馬観を養っていたの
かもしれないが、今となっては叶わない事だ。そして、1年が経つ。

良き友に恵まれているのは最大の財産だと思っているが、紺三郎氏
とも中学校時代からの親友付き合いが続いている。前出の友人が
競馬へのきっかけを作ってくれたとすれば、紺三郎氏は競馬に引き
ずりこんでくれた(勝手にハマッたのだが)張本人だ。彼も高2の身分
にして、芦毛マニアという(いまだその好みは熱狂的である)剛の者。
その彼が「とにかくすごいんだ」というのがオグリキャップとタマモクロス
だった。そう、あの秋の天皇賞の週である。

あまり記憶していないが、たぶん彼は2頭のすごさを語ってくれて
いたのではないだろうか。全く覚えていないことを申し訳なく思うが、
やはり1年前と同じく、馬耳東風に穴馬を探していたのである。
そこでシロウトのピックアップした馬はレジェンドテイオー。前年の
2着馬であり、メンバー中、唯一の逃げ馬でもあった。「この馬なら
最低でも見せ場は作ってくれるんだろう」という安直な考えである。
しかし、未だにこの安直な考えで馬券を買う事もある。進歩がねえな。

が、この安直な考えは意外に楽しめた。今になってビデオを見ると、
坂上ではすっかり2頭に捕まっているのだが、当時の自分には実に
惜しい着差に感じられたのである。前のオグリキャップより、後ろの
ダイナアクトレスとの方が僅差なのにもかかわらず、だ。とにもかくにも
このレジェンドテイオーが、ボクの人生の通り道(下り坂?)に潤滑油を塗り、
そのうえ背中を力一杯押してくれたおかげで、今日にいたっているわけである。

ふと、きょうのようなことを思い出したのは、我が愛馬(一口会員制
クラブ)の引退が近そうだからだ。父譲りの雄大な馬格も、冬場は絞る
のに苦労することになっている。おそらく、今週あたり凡走したら、
引退の運びとなるだろう。父はもちろんレジェンドテイオー。
自分を本格的に競馬に導いてくれた、大恩ある馬である。

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