フランス日記

(8)〜終わり〜

24日(月)
 数々の笑いと涙を呼んだフランス珍道中もいよいよきょうが最
終日。出発が午後8時と遅いこともあって、この日は自由行動と
なった。とはいえ、そこは週刊誌の悲しいところで、この日も仕
事があったのである。フランスに入厩したダンシングキイの3歳
すなわちダンスパートナー、エアダブリン、ダンスインザダーク
の妹の取材だ。フランスの超一流厩舎・ファーブル厩舎に朝から
うかがって写真をパチリ。それだけなのだが、なにせ、「フラン
ス一のコワモテ」で通っている調教師だけに、アポが取れたこと
自体が奇跡的なのである。手配した上に案内してくれたJRAパ
リ事務所のOさんには、感謝してもし切れないが、Oさん自身も
「こういう依頼がなければ、ファーブル厩舎に来れることはあり
ませんでした」と感激していたくらい、貴重な時間だったのであ
る。さて、ここでみた3歳牝馬は、来年の今ごろ、どんなスター
になっているだろうか…。
 レース後のエルコンドルの様子を見に行って、二ノ宮師に取材
のお礼を述べてパリに戻ったら、まだ昼前。記者グループもまだ
チェックアウトを済ませたばかりで、お出かけタイムはこれから
だった。ここぞとばかりに、またもWの車に乗り込み、最後のパ
リを楽しむべく出発。車内では、シャンパンのメッカであるシャ
ンパーニュに向かおうとする意見が出ていたが、運転者のWとこ
のオレ様が下戸ということで、見事に案は却下された。まあ、オ
レ様は実のところあまり関係なく、運転者が飲めないのはかわい
そうだということなのであるが。
 結局、向かうところはヴェルサイユ宮殿に決定。意外に近く、
m分くらいだったか、その程度で到着した。今まで、写真などで
見たことはあったが、現実に見てみると何とも形容し難い。壮大
などという表現では陳腐に聞こえるほどだ。こんなもん、作った
ヤツの気が知れないというものである。その昔、豊臣秀吉が大阪
城を作った時にも民衆はそのように表現したそうだが、作成にか
けた年数が違う。あまりのスケールに呆れて感動もしなかった。
ひとこと言わせてもらえば、オレにもこの経済力があればなぁ、
てなものだ(最近は、何を見てもそう思いつつある。終わってる
な。オレは)。
 多少の余裕を持って空港へ向かおうということで珍しく一致。
メンバーもさすがに疲れがきているだけに、少し早めにヴェルサ
イユを後にした。結果として、これが幸いしたといえよう。よく
分からずに入った高速道路を走っていると、いくら走っても見慣
れない地名ばかり出てくる。かといって、反対方向もよく見えな
い。何だかんだとT分近く走ったところで、ようやく逆走に気づ
いた。気づいたはいいが、もちろん高速道路でUターンなどでき
ようはずもなく、ただ悶々と出口を求めて走った。ところが、こ
んな時に限って、走れど走れど出口がない。徐々に青ざめていく
Wをはじめとする一同。5分あまりが1時間にも2時間にも感じ
ていた頃になって、ようやく、サービスエリアが見えてきた。と
にかくそこへイン。トイレなどを済ませ、何とか打開策を探って
いると、Nさんが反対方向の出口があることに気づいた。860
0フランのぼったくられで、その名声を地に貶めていたNさんが
久方ぶりに尊敬のまなざしで見られた瞬間である。かくして、さ
んざん無駄な走りをした挙げ句、なんとかかんとかシャルル・ド
・ゴール空港に到着。長い長い旅は終わりとなった。各々の手に
は、思い思いの土産。その中には、「欲しがる人がいるもんだか
ら、仕方なく。イヤイヤだけど」とか何とか言いながら入ってい
ったポルノショップで買った無修正エロ本など(警察当局の方に
は、ぜひともマークしてほしかった)があった。中にはご丁寧に
ウケ狙いでホモ本を買ったW(運転者=仮名)もいた。いずれに
しても「家に帰るまでが出張」などというギャグも笑いが出ない
ほどに疲れ切ったご一行さまは、行きよりはるかに空いた帰りの
機内で豪快に眠りこけながら、日本にたどりついたのである。
 今回、ハッキリいって自分に関しては面白いというエピソード
がない。他人ばかりネタにしているのは非常に申し訳なく思う。
ホントに。でも、あまりに他の人々が面白すぎたからいけないの
だ。そうは思いませんか? まあ、これらは読んだ方のご判断に
お任せするとして、次なる旅行記にご期待いただきたい。次は自
分なりの視点で、もう少し変わったことを書いていきたいと思う。

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