復活の世界 Faile(41)「さようなら」

誰でも一度は経験があると思うのですが、友達や同僚と別れる時、思いを籠めて、「さよなら」と言って、手を振って挨拶したことがあるでしょう。

そうでなくても、ごく日常生活の中で、「じゃ」と軽く手を上げて別れるというようなことはよくあることです。これは前者のように、親しみを籠めてする挨拶とは違いますが、それでもそれを行う意図は、ほとんど違いはないと思います 。

しかしどうしてこんなことをするのだろうかと、考えたことがありますか。実はこれも、古代から行われてきた習俗と、大いに関係があるのです。つまり現代でも、当たり前のように行われていることが、実は古代の習俗が受け継がれてきて、今日に至っているということなのです。もちろん現代では、手を振るなどという単純な行為には、大変大きな意味合いがあったのだなどということは、ほとんど考えもしないはずです。しかし古代では、極めて重要な行為だったのです。

「手を振る」

実はこの「振る」ということに、大変重要な意味が含まれていたのです。つまり手を振るということは、相手の人に活性化した気を送るという意味があったのです。つまり魂を揺さぶって、活性化するということなのです。

こういうことを「魂振り」(たまふり)と言ってきました。

古代の豪族である中臣氏・・・実はその後藤原氏と呼ばれるようになりましたが、彼らはこの魂振という呪術的な習俗を、体得していましたので、その一族は天智天皇、天武天皇期はもちろんのこと、その後ずっと、権力を維持しつづけていったのですが、話を本題に戻しましょう。

さて、あなたも、かつてこんな歌を、読んだり、聞いたりしたことがあるのではありませんか。


あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき

野守は見ずや 君が袖振る


大海人皇子(おおあまのおうじ)と中大兄皇子(なかのえのおおきみ)が薬猟を楽しむために、蒲生野(がもうの)へ出かけた時のことです。同行した額田王(ぬかだのおおきみ)に対して、大海人皇子がさかんに袖を振って合図を送ってくるので、彼女は野守が見咎めたりしないだろうかと、不安な気持ちでいた気持ちを詠ったものですが、この大海人皇子が盛んに袖を振るのは、好きな額田王へ高ぶる魂の活性化した気を送ろうとしたからです。

「振る」というのは、魂を揺さぶって、相手の魂を活性化して、元気でいて貰おうという気配りの様子だったわけです。

 

古代ではそんなことが、かなり重要な習慣でした。

こういった魂を高揚させる「魂振り」の秘法を持っていたのが、中臣鎌足を頂点とする一族だったので、彼はそのために朝廷で重要な地位を占めるようになっていったと思われます。それは当然のことですね。現人神と崇められる天皇が、意気消沈して勢いを失っては大変です。魂の活性化をするという秘儀を持った者として、いつも天皇の魂を活性化していられるように、務めていたわけです。

そんなわけで、古代では魂を奮い立たせる、「振る」という行為は、大変大事にされていったものでした。

「また逢いましょう。それまで元気でいてね」

親しい人たちの間では、そんな気持ちを籠めて活性化した「気」を送るために、袖を振ったり、領布を振ったりしていたわけです。それがさまざまな時代をへて、ハンカチを振ったり、帽子を振ったりしながら、手を振るようになってきたというわけなのです。

我々の周辺でよく見かけるこうした風習は、まさに古代から行われてきた風習だったのですが、最近はそれが、だんだん目立たなくなってきています。つまり、相手に活性化した「気」を送って上げて、健やかでいてほしいという思いやりといったものが、だんだん薄れてきてしまったためでしょうか。時を経るに従って、そんな気風が薄らいでいくのは、残念でなりません。

いつまでも相手のことを思いやる気持ちが溢れて、ついつい大きく手を振って別れを惜しむ風習は、いうまでも残していきたいと思うのですが・・・。

起源は古代の「気」を送る風習から起こったということを知らないまま、「じゃ、元気でな」と手を振って別れる現代人を見やりながら、時代の差はあっても、やはりみな日本人の血を受け継いできているのだなと、嬉しく思わざるを得ません。


今回はかつてHPで公開したものを採録したものです☆