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2004年読破作品一覧 |
『仰臥漫録』正岡子規 病床にある子規が、毎日の食事、訪問客、俳句などについて綴った日記。 殆どが毎日の食事の記録で、読み始めはつまらなかった。でも、読んでいくうちに、これが本当に明日も知れない病者なのだろうか?と疑いたくなってくるほど、生に対して、また食に対して、貪欲な姿が浮き彫りになってきて、凄まじいのだ。凄まじいまでのエネルギーを感じるのだ。また解説を読んでから本編について考えると成る程と頷ける。読後の充実感は言うまでもないです。面白かった。 |
『天使の牙(上下)』大沢在昌 2003年映画化された作品の原作。映画の主演が大沢たかおだったことから(私は大沢たかおが好きです)、興味を持ち、原作を読んだ。 主人公・アスカが麻薬組織「クライン」の追っ手たちから逃げるため、知恵を絞って戦うところは、息もつかせぬスリルに溢れてて、面白くてあっという間に読んでしまいました。けど、最後の君国と仁王の戦いは、どちらかというと君国とアスカで戦って欲しかったなぁ(強い女性が戦う様は好き)。あと、その後のアスカと仁王の関係ですけど、話中、あんなに正体を明かすかどうか悩んでいた割に、結構あっさり受け入れられてしまったなぁというかんじがした。仁王なんてどうでもいいですから(←暴言)、アスカがもっともっとがんばって戦って生き抜く様が見たかった。 |
『一号線を北上せよ』沢木耕太郎 やっと読んだ。ずっと読みたかった作品。 私が棺桶に持って行こうと思っている「深夜特急」。その続編的位置の作品。 深夜特急の旅をしてから20年後。作者が仕事で、または好奇心から訪れた国々について語った紀行文。 深夜特急のような熱に浮かされた情熱とか意地などは、さすがに年を取った所為かなくなっているなぁ、と思ったけど、その分、旅を豊かに味わえるようになった作者の姿がそこにはあって、文中にも、 若いときは若者らしい旅を、年を取ったら年寄りらしい旅を と書いている。 年相応の旅・・・それが「深夜特急」を経て本作品を読むとよくわかる。 その時、その年齢でしか感じられない世界は確かに存在する。 この人の文章は本当に読んでいると気持ちいい。 文章が醸し出す心地よい空気に酔いしれてしまいそうになる。 私は沢木耕太郎と同じ時代を生きられて幸せだ。 あと、沢木さんが飛行機事故から生還して本当によかったなぁ、と思う。 |
『夏の朝の成層圏』池澤夏樹 南の海で船から転落した主人公・ヤシが、命からがらたどり着いたのは無人島であった。 椰子の実と魚とで生きながらえるヤシ。このままひとりで島民として生きていく運命を受け入れようと思ったその時、都会から一人の男が島にやって来ます。 ヤシと男との付かず離れずの生活が始まり、心地よい距離が保てるようになったとやっとわかった頃、しかし、男は都会へと帰っていく。 ヤシも、都会で生まれた自分が島の意識に溶け込めることは不可能であることを悟り、島を離れる決意をするのであった。 タイトルどおりこのお話は「夏」が舞台なのですが、私は夏を舞台にしたお話が好きです。 そしてこの作品の文章の中には、私がイメージする夏の雰囲気がありました。 行間からわいてくる夏のイメージ。 暑さ、キーンと耳鳴りがする静けさ、青い空、白い雲、浜に寄せる波、波音、孤立感、孤独感・・・ そんなものが本を読んだ瞬間、ぱーっと頭に浮かんできて、その心地よさに本当に涙が出るくらい胸が奮えました。 思えば、日本語の組み合わせによって、読んだ時の印象が様々に変わるというのは不思議なことだと思う。 日本語は限られているのにね。 限られているのにどうして好きな文章と嫌いな文章が生まれるのだろう? 今回、この作品を読んで、文章の不可思議さを思いました。 文字の力はすごい! また一つ心地よいと文章を書く作家に出会えて幸せだなぁ。 |
『人間失格』太宰治 自分と世間(他人)との距離感をうまくつかめない主人公・葉蔵の辛く、苦しい半生を綴った作品。 女の間を渡り歩くヒモのような生活をし、酒におぼれ、薬物中毒になり、結婚した妻は他の男に犯され、最終的には精神病棟に入院。人間失格のレッテルを貼られる主人公の過酷な生涯。 たまたま彼の書いたノートを手に入れた小説家が、それを紹介したという体裁をとっているが、その綴られた内容は、太宰自身の実体験を基にしていることに疑いはない。 世間を殊更怖がり、他人を理解できない恐怖におびえ、それゆえ、かえってお道化る主人公の心情が痛いほどわかる。自分もそうだから。そう見えなくてもそうだから。主人公も繰り返し、世間はそう理解するかもしれないが、本当は違うんだ。本当は、世間を理解できないがゆえにとってしまう行動なのだ、と述べている。 文章や構成がうまいかどうかは私にはわかりません(解説には「稚拙な部分がある」と書いてあった)が、太宰作品の持つ、異様なまでの熱というか怖いくらいの情念はすさまじいと思いました。ある種の人々に絶大なる人気を誇るのがわかる気がした。 でもちょっと思ったのは、世間を理解できないが故の恐怖から逃れるため、酒におぼれ、女を渡り歩く主人公。その気持ちは、ここまで描いてくれれば、それはしょうがないな、と納得する部分もある。が、同じように他人との距離がうまくとれない私からすると、それから逃れるため、酒、女、薬にまみれ、自堕落に(人に迷惑をかけながら)生きることができる主人公は、それはそれでマシなんじゃないかと思ってしまう。世間から逃れたいが逃れられず、ストレスためて生きている私からしてみればね。 もしかして、この主人公は完ぺき主義だったのかなぁ。 しかし、太宰の作品は正気で読むには辛い。こんな血反吐を吐くような凄まじい小説があるんだ・・・と目から鱗が落ちました。 |
『富嶽百景・走れメロス』太宰治 私はこの短篇集を読んで、太宰治を躊躇わずに「好き」と言える人が果たして世の中にはいるのだろうか?と思った。躊躇わずに「好き」と言える人間がいたらすごいと思った。こんなに読んでいて辛い作品、自分の内面をえぐり出される作品てない。太宰は自分の内面を、血を吐く思いで、また骨を削る思いで無理矢理に現実に吐き出している。そして、読んでいるうちに、なぜかその吐き出されている思いは、太宰の思いではなくて、自分の思いにすり替わっていくのだ。隠していた自分の内面を、太宰の言葉によって白昼にさらけ出された私はいたたまれなくなり、読むのが辛い。でも、今まで辛かったし、向き合おうとしなかった自分のマイナス面を、文字という確乎としたモノで明確に私に突きつけてくれる、爽快さ・・・ではないな、安心感?なんというか、とにかく「思い」という曖昧なモノだったモノを文字に表してくれる、気持ちよさが太宰作品にはある。そうして「あぁそうそう、私はこう思っていたのだ。わかってくれる人がここにいた。私だけがこんな思いをしていたわけではないんだ」という救済につがなっていく気がして、兎に角、辛いのに最後まで読んでしまうという、太宰作品。悪魔的魅力です。恐ろしい。 |
『子規句集』高浜虚子 選 有名な「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」も収録されている。私が好きなのは「紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘」。紫陽花と移ろいやすい人間の心とを掛けてあって、非常にうまいと思う。 俳句とクラシックの味わい方は似ているなぁ、と思う。 どちらも理解できるかできないか、といわれるとあまりよく理解できない。 けどたまに「あ、これ好きだな」と思う部分にぶつかる。 そういう時はたいてい、内容を理解しているとかではなくて、読んだり、聞いたりした瞬間、何か、ぱーっと頭の中に広がるイメージがあったりする。そのイメージがとても心地よく感じられる。それを感じたくて私は俳句を読んでいるし、好きだなと思う。 自分が俳句を読むのはそんなかんじ。 読むというよりはまさに味わうといったところか。 しかし、1000句ほど読んで、いいなぁ、と思ったのは10句に満たないかも? |