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子規庵を行く。/2005.03.10 thu.

正岡子規が晩年を過ごした子規庵に行ってきました。


■データ
竣工年 昭和25年(1950)
設計  −−
施工  −−

現在一般公開されている建物は、昭和25年に再建された建物です。

行き方
JR日暮里駅から15分くらい?住宅地の中にあるのではっきり言ってわかりにくいです。要注意。(本当はJR鶯谷駅からの方が近い)

開館情報
10時30分〜16時(月曜日休み)
500円

内部は撮影禁止のため、外観だけ写真撮影してきました。
建物は、元は旧前田侯の御家人長屋の一つだったそうです。それを子規が譲り受け、住居とし、逝去するまでを過ごしたとのこと(パンフレットより)。

看板。
はっきり言って普通の(古びた)日本家屋のため、看板が出ていないと見過ごします。自分は見過ごして迷子になりましたσ(^◇^;)

病室として子規が寝起きしていた6畳間も公開されていました。子規が愛用した踏み机の復原が置かれていて、ここで「病床六尺」や「仰臥漫録」などが執筆されていたのか〜、と思うとなんだかとても感慨深く、それだけで感動してしまいました。

窓からは(冬なので)枯れた糸瓜がぶら下がっています。そういうところも何やら感じ入る所がありました。
と言っても、実はこの建物自体は再建モノ、ということを行って初めて知りました。
本物は昭和20年の空襲で焼失してしまい、寒川鼠骨等の働きかけで、昭和25年に再建を果たしたモノが、現在公開されているのだとか。

空襲で焼け残った蔵が庭にありました。そこには子規愛用の品々が今も保管されているそうです。見てみたい!あと子規が使用した地図の展示会をしていたのは知っていたのですが(新聞で読んだ)、やっぱり見に来ればよかったと後悔したのでした。

中村不折旧宅(書道博物館)
■データ
竣工年 昭和11年(1936)?
設計  −−
施工  −−

子規庵の真向かいにある書道博物館。子規庵へ来るときは、これを目標に来た方がわかりやすいかもしれない。

開館情報
不明。
入らなかったのでわかりません。

不思議な形の建物があるな〜と覗いてみたら、中村不折という人の旧宅でした。

玄関を真ん中に、コンクリートの建物が左右対称に建っています。
私が求めている西洋館や煉瓦造りの家とは違いますが、昭和初期の建物には、日本家屋とも違う西洋館とも違う独特の雰囲気が感じられて、結構好きだったりします。ちょっと乱歩の小説に出てきそうな感じがしませんか?

今度機会があったら入ってみたいと思います。

(おまけ)
この近くには「三平堂」という立派な建物があり、料亭かな〜と思ったら、林家三平の記念館でした(笑)

しかしこの前行った「旧岩崎邸」もそうだったけど、ここも行くまでにラブホ街を通らなくてはいけなくて、歩きづらかったなぁ(^^ゞ 昼間のラブホ街を一人で歩くことほど恥ずかしいことはないと思いました(それが鶯谷駅まで続いている怖さよ・・・)。ラブホっていうか、逢い引き茶屋?みたいな渋いのもあった。さすが上野(←?)。

参考文献

子規庵パンフレット