『グラディエーター』

 えーと、今をときめく(こればっか)ラッセル・クロウ主演、ローマが舞台の洋物時代劇。日本でも某塩野七生センセーの関係でローマがプチブームになってたりして、その意味でも旬と言えるでしょう。ふじもとでさえ、映画に出てくる皇帝マルクス・アウレリウスを知ってたくらいですから。おおっ、マルクス・アウレリウス役は何とあのリチャード・ハリスだったのか!観てて全然気づかなかった。「オルカ」や「ワイルド・ギース」に出ていた頃のイメージとはずいぶん違うなあ、まあ年取ってるのは確かですが……。

 お話は、マルクス・アウレリウスの命を受けてゲルマン人と戦う将軍マキシマス(ラッセル・クロウ)というところから始まります。ゲルマン人は何だかよくわからんホゲホゲした言葉をしゃべりますが、なぜかローマ人がゲルマン語系の英語を喋るあたりはご愛嬌。そりゃそうだよアメリカ映画だもん。マキシマスは知略と勇気、兵の信望と三拍子揃った将軍で、ゲルマン人の地を平定して凱歌をあげます。皇帝は彼に望む褒美を与えようと言いますが、マキシマスはただ「故郷に帰って妻と子に会いたい」と答えます。功成って隠退する、まさに将の鑑。哲学者の異名を取るほど聡明だった(らしい)皇帝マルクス・アウレリウスは、マキシマスを次期皇帝に最もふさわしい人物と考え、彼に即位を促します。当時のローマ帝国は世襲制が当たり前というわけではなかったんですね。

 ところが、皇帝にはバカ息子がいるわけですな。このバカ息子ことコモドゥスがまた、自分が次期皇帝になれないことを知っちゃったもんだから、逆ギレして実の親父である皇帝を殺しちゃうわけです。おまけに、皇帝暗殺犯が自分であるということを感づいているマキシマスまでをも、帝国への反逆とか適当な罪を着せて殺そうとします。マキシマスは命からがら逃げ延びますが、故郷の妻と息子は同罪であるということでローマ軍に虐殺されてしまうのです。絶望の底で奴隷商人に拾われたマキシマスはやがて剣闘の興行師へと売られ、「スペイン人」のあだ名を持つ剣闘士(グラディエーター)となります。ちょうどその頃、バカ息子コモドゥスは皇帝に即位して、案の定前皇帝が禁止していたコロシアムでの剣闘を毎日繰り返すというアホアホな政策を実行します。それを知ったマキシマスは、コロシアムでの剣闘に出場して前皇帝と妻子の仇討ちをしようと心に誓う、ってな展開になります。

 なんちゅーかもう、物凄く日本の仇討ち時代劇風というか、日本人の心の琴線に触れまくりという感じのするあらすじでしょ?加えて、マキシマスは絵に描いたような朴訥な性格と風貌の男、対するコモドゥスはまた生っちろい神経質そうな悪役ヅラに仕上がっています。マキシマスのかつての部下は、地位や境遇を超えて彼に付き従おうとしますし、剣闘士の仲間たちも彼の魅力に惹かれて加勢します。さらに、コモドゥスの姉もかつてマキシマスと恋仲であったような描写があり、陰ながら彼を救おうと奔走したりと、もう正に仇討ち時代劇の必須条件揃いまくり。

 ただし、日本の時代劇と根本的に違うところもあって、それはやっぱり映像のスケール。コロシアムの映像はCGだと思うんですが、ちょっとそれとは気づかないくらいリアルで壮大です。冒頭のゲルマン人との戦いでも、火矢が飛び交う映像は迫力満点ですし、マキシマスの故郷(スペイン?)の広大な田園や彼が放浪する荒野など、ローマ帝国の版図に含まれる様々な風景を巧みに映像化していると言えるでしょう。何度か書いていますが、CGは使えばよいってもんでは無くて適材適所で使ってこそ生きるんですよね。

 ラストについてはここでは書きませんが、これまたありがちなハリウッド映画のハッピーエンドとは異なる、日本人の心にジーンと来るような終わり方です。日本向けに別のラストを作ったんじゃないだろうな、と思いたくなるほどしっくり来る感じ。映画そのものでは描かれていませんが、実はマルクス・アウレリウスの死と息子コモドゥスの時代はローマ衰退の始まりだったんだそうです。つまり、この映画は「ローマの終わりの始まり」を描いているんですね。そう考えると、この映画のラストは一層もののあわれを感じてしまったりするわけです。

 関係無いけど、ラッセル・クロウは新作ではメグ・ライアンと共演ですか、大出世ですなあ、いいなあ。ふじもとは個人的にメグ・ライアンやニコール・キッドマンみたいに鼻先がツンとしていて、唇の端がいつでも「ニコッ」としているタイプに弱いんですよ(笑)。


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