『地雷を踏んだらサヨウナラ』

 戦争写真家一ノ瀬泰造の伝記映画、というほど網羅的な話ではなくて、一ノ瀬泰造という人が心を寄せたアンコールワットやその周辺の人々の生き様を描いた映画です。主演の浅野忠信(ゼロックスのCMであらゆる場所に出没し「カラープリンターと言えば何?」と問い掛ける人)を『鮫肌男と桃尻女』で観てちょっと面白いと思ったのと、日本映画には珍しい海外ロケ中心の作風に興味を持って観てみました。浅野は『鮫肌〜』とはうって変わった抑え目の演技ですが、カンボジア語や英語を駆使するなど、なかなかの役者魂を感じさせます。

 泰造はベトナム戦争から飛び火した格好のカンボジア紛争に飛び込み、戦争写真を撮るうちにアンコール・ワット遺跡の撮影に心を惹かれるようになります。当時アンコール周辺は悪名高きクメール・ルージュの支配地域だったので、写真が撮れれば数万ドルになるしピューリッツァー賞にも手が届くほどなのですが、それを狙った多くのカメラマンが不帰の人となる危険地帯でもあったのだそうです。泰造はアンコール遺跡に近い村に滞在し、そこの人々と暮らしながら撮影の機会をうかがいますが、流れ弾にやられた子供の写真を撮ろうとして親になじられるなど、戦争写真家としての自分にいろいろと疑問も持ったりもします。それでいながら、アンコール・ワットへの思いだけは一層募るばかりで、危険なところへもどんどんと進んでいく。

 この辺を観ていると、何か『ライト・スタッフ』と共通する男の思考様式みたいなものが見えて面白いですね。家族を不幸せにするとか、周囲にいろいろ言われて悩んだり自己嫌悪もしたりするのだけど、それとはまったく別のところで目指す対象(泰造にとってはアンコール遺跡であり、『ライト・スタッフ』では超音速と大気圏外)への思いがどんどん高まっていく、という感じ。女性には「だからどうした?」って言われそうな対象なんですが、やっぱり男としては共感できてしまうわけです。

 泰造はとうとうカンボジア政府から強制退去を命じられ、ベトナムへと活動の場を移します。そこでカメラマン仲間の死に直面し、またバーのウェイトレスとの恋愛などもあったりして、彼を引き止める要素はずいぶんあるようなのですが、それでも彼は再び危険を冒してカンボジアへと潜入します。親友の結婚式に参列するため村に戻り、そこでなついていた子供が地雷にやられて死んでしまいますが、もはや彼は止まることはありません。最後に親友に「帰ってこれたら写真を送るよ。でも地雷を踏んだらサヨウナラ ("One step on a mine, it's all over.")だ」と言い残し(実際にはこの言葉は手紙に書かれたものだったそうですが)アンコールワットへと向かいます。

 彼の最後ははっきりとはしていない(クメール・ルージュに拘束され撲殺されたことは確からしい)ので、ここから先は想像の世界ではあるのですが、彼はクメール・ルージュに捕まってカメラを奪われ、死の淵に立つも必死で逃げ出してジャングルを迷走し、ついにアンコール・ワットの威容をその目にすることになります。もちろん、彼の手にカメラは無いのですが、彼は一心不乱にカメラを求め、遺跡へとさらに歩を進めます。これでこの映画は終わり。

 ラストについては、確かに「彼はアンコール・ワットをその目にすることができた」という期待を持たせてもいいんですけど、個人的にはもうちょっとドライに、届かない夢であっても良かったのではないかなあと思うわけです。それから、これは制作費の限界なのかも知れませんけど、どうしても戦争の現場って感じの雰囲気があまり出ていないみたいです。ストーリーそのものは良いと思うし、プロデューサー奥山和由(!)の熱気も伝わってくるのですが、どうしてもちょっと小さく収まっちゃってる感じ。とはいえ、小品にして高い志と強い熱気を感じる、なかなかの映画だとは思います。


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