激白!
なぜふじもとは馬鹿コンテンツを民間に移したか?


1. やっぱほら、いちおうセンセーだし、、、

 藤本も定職を持つ人間となりまして、名刺なんかを作ってるわけです。で、名刺には電子メールアドレスの他に、(よせばいいのに)ホームページのURLなんかを書いてあるわけですね。ホームページには学生時代から書きためたバカコンテンツが満載です。まあ、それでも以前は良かったんです。URL書いといても、それを読めるのはコンピュータをいじれる若い世代に限られていたのですから。ところが、最近では分別も常識もあるいい年したカチッとした年配の皆様なんかもWebを見ることができるんですねこれが。およそ機械とは縁がないうちの親父までもがネットサーフィンなんつーものをするご時世です。

 まあ、学生だったらいいんですよ、学生だったら。バカコンテンツが溢れていようと、「バカだなあ」で済む話です。ところが、私のような職種はなぜかどんなに若くても「先生」と呼ばれるんですねこれが。しかも学生から先生と呼ばれるのはわかるんですが、学生は助手を一般に先生とは呼ばず、「ふじもとさん」と呼ぶ。その一方で、私より全然年上の事務職の方とか、ときどきお会いする民間企業の管理職クラスの方々(除く研究者)は、若僧の私を「ふじもと先生」と呼ぶわけです。この辺は、医者と代議士と教員は先生と呼ぶもんだという日本の伝統的(?)価値観みたいなものがあるのでしょうし、これにはまたいろいろ言いたいこともあるのですが、それは置いておきましょう。で、その「先生」の差し出した名刺にURLが書いてある。分別と常識と社会的付き合いのツボを押さえている方々は、まあ一度は見てみますわな。それで、バカコンテンツに行き当たるわけですよ。

 うすうすこういう危惧はあったんですが、あるときそれは現実のものとなりました。一度名刺を渡した某一流企業の管理職の方に再会したとき、「ふじもと先生のホームページは楽しいですねえ」という感想を頂戴したのです。いや、楽観的に見れば額面通り受け取って、洒落の分かる懐の深い方だなあ良かった良かった、と安心していればよいのです。しかし、悲観的立場からするとこの人は「「先生」によるバカコンテンツと、「先生」との社会的付き合いというジレンマの中で苦悩した結果として、「楽しい」という妥協的言葉にたどりついたのではあるまいか、なんていらん心配をしちゃうわけです。

 これではいかん!戦後日本を築き上げてきた熟年層の価値観をいたずらにゆるがし、苦悩させ、未来への夢も希望も失わせるなどということを、いやしくも公僕たるコッカコームインがやってよいものか!というか、まあ端的に言ってこっちが恥ずかしい面があってですね、それでコンテンツを民間プロバイダに移転して、いかにも私はセンセーじゃないよーん、って顔をしようと決めたわけです。

2. でもって、公私の区別は付けないとねえ、、、

もうひとつの理由として、大学のサーバにあんまり本業と関係ないコンテンツを置いておくことは良くないよな、と思ったというのもあります。私が学生ならば、「これはWebコンテンツ作成の訓練の一環である」みたいな理屈は付くだろうし、そもそも私が学生の頃はまだWeb自体が黎明期で、実験的意味合いが非常に強かったのです。しかし今や私は学生では無いし、民間企業が続々とWebホスティングサービスをするご時世。これで相変わらず私的性格の強いコンテンツを大学の「国民の血税で維持されている」サーバに置いておくことは公私の混同であるし、民業の圧迫という側面もあるだろうなと考えたわけです。

 公私の混同はもうちょっと具体的な面で困ることもあります。たとえば、こんなバカコンテンツ(カツカレーだの何だの)でも興味を持ってくれる人がいるわけで、本に載せたいとかいう連絡がまれに来るんです。で、そういう時にやっぱり大学のサーバを指定するのは心苦しいなあ、なんて思うのです。

 また、最近仕事が忙しくてすっかりコンテンツの更新がおろそかになってるんですが、これをきちんと「研究についてのコンテンツ作成や更新は仕事の時間にする」「バカコンテンツは家に帰ってから」という区切りを付けて、真面目にコンテンツの更新をしていこうという決意をしたというのもあるわけです。

 そんなわけで、Hi-Hoのコンテンツはバカ丸出し、大学のコンテンツはいかにも「大学のセンセー」っぽく真面目を装うことにしますので今後ともよろしく。


fujimoto@eva.hi-ho.ne.jp

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