「辻井伸行さん」のこと

野口 尚男(昭和33年理工卒)

 「音楽を聴くと感動して涙があふれる」というのは不思議な現象に思う。最近この傾向が強く、それは齢のせいなのか、演奏のせいなのか。辻井伸行のピアノを聴いていると、音の積み重ねが進むにつれ、涙がとめどもなくあふれ出てくる。
 今ではすっかり伸行くんのフアンになり彼のピアノに虜りつかれている。始めは他のピアニストの演奏と同じように聴いているが、少し経つと自分の胸が高ぶって来て、やがてぐーっと息が詰まってしまう。音の一つ一つが輝いてきて耳の中で宝石が転がるような感触に襲われる。演奏が終わってもいつまでもその余韻に浸っていたい、そして「ありがとう」という気持ちでいっぱいになる。2009年の「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」で彼が日本人としてはじめて優勝したとき、クライバーンに抱きしめられたシーンは今でも目が焼きついている。

 辻井伸行くんは私の孫の年代で1988年9月生れ、今年25才になる。産婦人科医の父、母は元フリーのアナンサーである。
 生れてすぐ治癒不可能な全盲の「小眼球」であることがわかり、母親いつ子さんは自殺も考えたという。8ヶ月でショパンの「英雄ポロネーズ」を聞くと足をバタバタさせる、という音楽好き、しかも決まった演奏家(ブーニン)だけにする、他の演奏家の同じ曲をかけてもバタバタさせないという優れた耳の持ち主だった。
 母親のいつ子さんは「この子はピアノの才能があるかもしれない」と感じ、おもちゃのピアノを与えると強い関心を示し、目の見えないなか、ジングルベルの伴奏をあわせることができたという。「ぼくは色が見えないの?、だけどピアノがあるからいいや」、いつ子さんは言葉には尽くせないほどつらかったことだろう。

 伸行の6歳から15歳まで楽譜なしの指導をした川上昌裕先生のテープ録音指導は生易しいことではなかった。左右の手を別々にテープにとり、それが楽譜のない世界での教材であったというからその準備は並大抵のことではなかったと思う。
 川上先生はやがて伸行の成長にあわせ、次ぎの先生へとバトンタッチする。 2005年の「ショパンコンクール」に同行しているので、このコンクールの「ポーランド批評家賞」を受賞したのは川上先生のおかげだろう。

 2009年6月、彼が19歳のとき世界でもっとも難易度の高いといわれている「ヴァン・クライバーン(*)国際ピアノコンクール」で日本人として始めて優勝、いくつもある予選はソロから始まって、室内楽、協奏曲など、さらに現代風の課題曲を盲目でありながらすべてこなさなければならない。超人的なこの負荷をこなしたのだから凄い、というより何か神が乗り移ったとしかいいようがない。クライバーンが「奇跡だ!」といったのも頷ける。

この「ヴァン・クライバーンピアノコンクール」が終えたあと、世界中演奏旅行が始まる。 どこの演奏会場でも満員の聴衆に感動を与え続け、聴衆たちの評価は「素晴らしい!」「ことばにできないほど感動した」、またある人は涙を拭きながら「言葉になりません。ありがとうございました」というのが精一杯の様子だった。

 今年の6月、東南アジアに音楽交流をかねて演奏旅行に出かけた。 台北、シンガポール、ベトナムで演奏会を開いた。シンガポールではショパンの「幻想ポロネーズ」を演奏した。彼のこの曲への取り組みは並大抵のものでなかった。彼の心意気を見るとそれが分る。(曲は、ショパン晩年の作で、愛する人とのわかれ、病など人生の苦難を表現している) 「ショパン晩年の大曲で奥が深くて苦労した」、「この曲に託するショパンの気持ちをどう表現したらよいか」、「この曲の素晴らしさが伝えられるか悩んだ」と語っている。彼はこの曲の素晴らしさをどのうに聴衆に伝えただろうか、演奏を聴くと見事というほかはないものだった。演奏が終わったあと拍手が鳴り止まず、演奏後の聴衆の感想も「信じられない」「ことばにならない」「彼は音楽を通じて聴衆とつながることのできる人」「彼の情熱が伝わってきた」などなど。
 ベトナムでは、10歳のとき始めてオーケストラと競演したときの指揮者・本名徹次氏と15年ぶりの再会、彼の指揮で「ラフマニノフ・P協奏曲第2番」を演奏するが、これがまた抜群の演奏だった。放映された部分はVNSO(ベトナム国立管弦楽団)の聴衆のいない練習場、楽団員も普段着のままの演奏であったが、迫力満点の演奏で「何!この演奏は・・・!」と呻らされた。

 この演奏旅行は彼の人間味あふれる旅でもあった。ベトナムの音楽学校での交流は、彼の作品「それでも、生きていく」が生徒側のプレゼントとして演奏されたが、彼も同じ曲を返礼として演奏、やがてそれにベトナム生徒が合奏に加わり、思わぬ交流に発展する。一つの曲を通じて心が一つになった瞬間だった。

 素晴らしい演奏は、聴く人の涙を誘うものである、ということを改めて知ったのだった。

 (終)
 (*)
ヴァン・クライバーン(Van Cliburn、1934年7月12日 - 2013年2月27日)は、アメリカ合衆国のピアニストである。