東京ジュニア・コーラスの歴史 天ヶ瀬 恭三
(第一回) LaLaLa No.18(1951/01)
まえがき
池田君が五〇枚ばかりの草稿を作ってくれましたので、それやあれやを参照しながら、適当にまとめてみることにしました。生い立ちをふりかえってみる事は、古くからいるものにとっては、そこから新しい力を得ることになり、新しく参加した人にとっては、このコーラスの持つ性格を理解されることにもなりますので、この一文は強ち筆者の懐古趣味からのみ書かれたものでないことを、蛇足ながらおことわりいたします。 (一) 久し振りに梅の花でものどかに愛でて、俳句の一つもひねり出そうかと言うような頃になった。もっとも物価がピョンピョンはねあがって、軍需工場閉鎖で締出された失業者と復員者とは、例のカーキ色のヨレヨレ軍服と 編上靴に、人間と同じ位のボリューム、 というよりキャパシティを持った頭陀袋をせおって、貨物列車にぶら下がっていたし、ジュクやノガミがそろそろアプレ的症状を呈し出して、バクダン焼酎などが時代の寵児たらんとしていたけれども、それでも、もう防空壕はさっさとうめてしまったし、火たゝきや、竹槍などもどこかへ姿を消してしまっていたから、何といっても人間共は、苦しい苦しいといゝながら、心のすみのどこかで案外アグラをかいていたのだろう。だからこそ、梅の花を見ても俳句の一つもつくれない連中は、タンゴやルンバにうつつを抜かしたり、あるいはあどけなくも童謡のようなものを歌って見たりしたくなったのだろう。真の平和とは何ぞや、だとか、永世の中立堅持だとかいうのはもっと先の話で、とにかく、心のすみっこにひそんでいる平和、夢の世界に持っている平和、そんなものをしらずしらずの中に求めながら一九四六年の正月は明けていったようである。 この希望は先ず子供たちの夢を育てるということから始められた。奥沢小学校の音楽の金森先生は敗戦后始めての「雛祭り」を期してこの第一歩を印そうと卒業生達に檄をとばした。曰く
「戦時中は疎開やら、防空演習やらで、今の子供達は本当に楽しいお祭りをしりません。歌も軍歌や国民歌謡しか知らないのです。私たち大人はこの子供達を子供達の世界へつれもどしてやらなくてはならないと思います。それには父兄の方々、卒業生の方々、先生方が協力して楽しいお雛祭りを作ってやろうではありませんか。それでまず卒業生の方々にコーラスをして戴いて子供達にきかせてやりたいのです。」
のこのこ集まってきた卒業生は、在学当時から一応音楽の方で先生に認められていたお歴々だったが、その中には池田君や秋間君の顔が見え、僕もその末席をけがしていた。吉野さんといって当時第一師範学校に通っていた人が専らマネージャーみたいな事をしていた。女が七・八人、男が五・六人だったと思うが、先生から渡された楽譜は「オールド・ブラック・ジョー」と「故郷の廃家」だった。二部で歌うようになっていたが中でも「オールド・ブラック・ジョー」の方は男性がメロディーを歌い仲々面白い編曲だった。それ以後僕はこの編曲を他で一度も聞いた事もないし、見た事もない。練習は一月の終り頃に始められて五・六回は集ったように思う。池田君が最初の時だけで来なくなってしまったが、彼も復員したてで歌など歌う気がしなかったのかもしれない。しかし、久し振りに小学校の音楽室で、先生のピアノにあわせて歌っていると、恐らく誰の心にも、かつての楽しい思い出が、今度はコーラスという形をとってひそかに頭をもたげだしたのを感じたに違いない。
丁度その頃、同じ奥沢小学校の同窓生の間で戦後の復活同窓会総会を近い内に持とうじゃないかという話が持ち上がっていた。この話が意外に早くまとまって、二月二十八日に総会を開くことにきまったのである。この時の同窓会の幹事には、大島さんや数野さん(現会員数野君の御令兄)などが含まれていた。 偶然、というよりはむしろ必然的に同時に発足したこの二つの集り、同窓会総会とコーラスが手を握りあったのは当然のことである。三月三日のお雛祭り用コーラスがまず二月二十八日の総会においてデビューしたわけだ。先生のピアノに合わせて一斉にお辞儀をしたかどうか忘れたが、とにかくそういった発表会だった。オーバーの襟を立てゝ火鉢にあたっていたかも知れないが、今考えてみると、どうも青空にポッカリ白い雲でも浮んでいたのじゃないかとも思われる。歌声がすーっとその青空へとけこんで行ったのじゃないだろうか。雛祭りの時は、講堂の正面に緑の幕をたらして、桃の花など色紙で切りぬいたのをはっておいた。まっ黒いピアノとの配合がばかに印象的だったような記憶がある。子供達がどれだけ夢の世界へつれもどされたかわからないが、僕たち自身まちがいなく子供の世界にひきもどされ、夢の国 ? へはいりこんでしまって、それ以来未だにそれっきり出てこようとしなくなったことだけはたしからしい。蓋しこの二つの集まりと、その結びつきこそ、このコーラスの母体であった。 (次回に続く) |