兵庫県の砲台
|
アメリカのペリー浦賀来航、ロシア船ディアナ号大阪湾来航などにより、海防に不安を感じた江戸幕府は本格的に摂海防備に着手した。砲台の位置は勝海舟が計画し、今津、西宮、和田岬、舞子などに築かれた。 |
今津砲台跡
文久三年(1863)に建設が始まり慶応二年(1866)後半に完成。 直径10数メートル、2層目をめぐる砲眼からは大砲で四方を狙うことが可能だったという。 砂地に建てるため千本をこえる松グイを打ち込み、その上に岩を積み上げるという難工事となり通常の2倍の賃金で熟練工を集め完成を急いだが約4年かかった。大正四年(1915)、民間に払い下げられたあと石を取るため壊された。ここに置かれた石材は砲台の一部である。 場所:西宮市今津真砂町 |
| 今津砲台のあった場所の対岸の灯台は現在も存在 (文化八年(1810)年築) |
西宮砲台
| 今津砲台と同じく砂地に建築。完成には文久三年から慶応四年後半まで約4年半かかった。 砲台の高さ約12m、直径約17m。2層目にある12個の孔は大砲で四方を狙えるようになっている。外側には漆喰が塗られている。内側には弾薬庫、井戸が設けられていた。 完成後試射をしたが煙が内部に充満し実際に使うことはなかった。 |
場所:西宮市西波止町
和田岬砲台
| 文久三年(1863)4月着工、元治元年(1864)8月完成。2万5千両の費用で約1年半で完成。工事中には勝海舟の案内により14代将軍徳川家茂、姉小路公知、一橋慶喜らが視察。また、神戸海軍塾頭の坂本龍馬も訪れたといわれている。 1 階には弾薬庫と砲身冷却用の井戸(深さ5.2m)がある。 2階と屋上にはそれぞれ11門、16門の砲門が設けられている。しかし 実際に大砲が装備されることはなかった。 当時、砲台の周囲には東西約60m、南北約70mにわたり、星型の土塁が築かれていた。 |
【2階】 |
|
【1階】
場所:神戸市兵庫区和田岬町 (三菱重工 神戸造船所敷地内)
舞子砲台跡
| 幕命により明石藩が中心になり築造。文久三年(1863)〜元治元年(1864)、または慶応元年(1865)年頃。 神戸海軍操練所の明石藩士も築造を手伝っている。塾長の坂本龍馬も見学に訪れている。 |
場所:JR舞子駅南側、マクドナルド舞子店横に碑がある。
HOME