奈良県東吉野村 鷲家口 決死隊編

大将中山忠光を無事に逃すため、決死隊が鷲家口の彦根藩(井伊家)本陣に突入し、かく乱する作戦をとった。

文久3年9月24日
(西暦1863年11月5日)夜7〜8時ごろ
天気:雨



天誅義士記念の碑

(場所:東吉野村小川小学校そば、宝泉寺向かい)




宝泉寺
彦根藩がかがり火をたいて天誅組来襲を警戒していた。
決死隊6名はまずここに突撃し警備隊を蹴散らした。


彦根藩士大館孫左衛門(那須信吾に倒された)、伊藤弥左衛門(植村定七に倒された)の墓がある。



植村定七戦死の地

彦根藩の伊藤弥左衛門が決死隊の前に一人飛び込んできた。植村定七はそれを斬り倒したが、その直後銃弾に倒れた。

(場所:小川小学校前)




出店坂
この坂を降りたところに彦根藩(井伊家)脇本陣があった。
那須ら決死隊は銃弾のなかこの坂を駆け下りていった。


(場所:小川小学校脇〜鷲家口)





彦根藩脇本陣(碇屋)

(場所:東吉野村鷲家口)



那須信吾戦死の地


出店坂を駆け下りた那須信吾は、碇屋の前をとおりすぎ、まず彦根藩大館孫左衛門と渡り合い槍でこれを倒した。そして碇屋にもどって来て突入しようとしたが銃弾に倒れた。狙撃手は彦根藩佐藤長三郎であった。

(場所:鷲家口 いかり屋前)
 

1・那須信吾が彦根藩大館孫左衛門を倒した場所。

2・「山下佐吉戦死の地」の碑が立っている。
山下佐吉(大和)は潜伏中彦根藩兵に見つかり、この地で戦闘の末戦死した。




(場所:碇屋を北上すぐ)



 「六人の決死隊の行動


鷲家口 中山忠光本隊



(高知県梼原にある那須信吾(左)、吉村虎太郎(右)らの銅像)