松本奎堂最期の地 





松本清兵衛宅

足ノ郷峠を下りてきた松本奎堂、藤本鉄石ら後発の一行は御殿越しといわれる峠を越えて庄屋松本清兵衛宅に到着。1泊した。

(場所:東吉野笠松)

松本奎堂、藤本鉄石達は翌日、九月二十五日の昼過ぎまでゆっくりしていた。1時過ぎごろに若い隊士らを先発させ、残った鉄石、奎堂ら4人は2時過ぎに清兵衛宅を出た。盲目の奎堂は地元の者を雇いカゴに乗って出発。

清兵衛宅に天誅組が潜んでいるという情報を得た紀州藩は、鉄石らが出た直後に到着し包囲した。
中にまだいると思い、家に突入する前にトキの声をあげ威嚇射撃をした。が、出てきたのは青ざめた松本清兵衛だけだった。


「八つ頃、伊豆尾と申す処に浪士十四、五人カゴをつらし罷り越し、同処にて支度等仕り候処に付、すぐさま人数御差出し、・・・早速浪士通り過ぎ候に付・・・押入れに具足六領、槍一本、書類一行隠しこれあり候」
(伊勢田丸藩士見聞報告書)




奎堂が置き去りにされた地蔵堂

清兵衛宅を出た鉄石と奎堂は途中で別れている。駕籠にのっている奎堂が遅れはじめたからだ。鉄石は先にこの地蔵堂前を過ぎ伊勢街道へと向かっていた。

松本奎堂のカゴは地元の者にかつがれていたが、近くの清兵衛宅で紀州藩兵によるトキの声と銃声がなった途端、彼らはカゴを放り出し逃げていった。

盲目の松本奎堂は従者の村上元吉と共に山に入り潜伏した。

場所:途中に地蔵堂まで歩いていく案内看板があるが、車でもいける。そのまま突き当りまで行き、右手山の方へ入り途中「山口誓子の碑」の所を右折、尾根づたいに行くと地蔵堂がある。



松本奎堂最期の地。
左は従者村上元吉の碑。

天誅組祭80周年祭(昭和17年)奎堂の故郷愛知県刈谷の有志達により建てられた。

文久三年(1963)九月二十五日未の刻(2時半頃)過ぎ、紀州藩の山狩りにより、天誅組総裁松本奎堂と従者の村上元吉はこの地で銃弾に倒れた。


君がため身まかりにきと世の人に
語りつぎてよ峰の松風

(松本奎堂辞世 享年33歳)




松本奎堂最期の地へは、国道166号線沿いにある「天誅義士戦死の地」碑が目印。


「藤本鉄石最期の地


参考文献:天誅組紀行、維新の小道、いはゆる天誅組の大和義挙の研究、実記天誅組始末