
武木 大西家
文久三年(1963)九月二十四日。昼1時ごろ武木に到着した天誅組は最期の会食をした。
大西家には中山忠光、藤本鉄石らが、大辻家には吉村虎太郎が、見世家には那須信吾らがそれぞれ休憩した。
大西では鰹節と勝栗をそえて中山忠光をもてなした。栗が大好きで勝ちということで縁起もいいので忠光は大いに喜んだという。 |
雲をふみ岩をさくみしもののふの
よろひの袖に紅葉かつちる
鉄石はお礼に短冊に和歌をしたため与えた。これが鉄石の絶筆となる。
(この短冊は他の人の手に渡っており大西家にはない) |
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大西家現当主 晋作さん。
(忠光と鉄石をもてなした吉右衛門の孫にあたる)
最期の会食をした武木の大西家をひとめ見みようとさまよっていたら、カブに乗ったおじいさんが教えてくれ、親切に近くまで連れてってくれた。「あそこが大西さんとこや。たぶん家におるから入ってみなさい。」場所と外観を見るだけが目的だったのが思わず急展開。
おじいさんは遠くで、早く入れ入れ。と手で合図してずっと待っている。入って僕が声をかけるまで待っている・・。「すみまっせ〜ん。」おばあさんが出てきた。カブのおじいさんはニコニコして帰っていった。
「いわゆる天誅組の大和義挙の研究(昭和6年発行)」に載っている大西家の写真を見せると、「わたしがここに嫁入りしたときにはまだこれだったけど、すごく古い家でねえ、それからすぐに建て替えたんよ。へえ〜なつかしいねえ。こんなの残ってるの。おじいさ〜ん。」 「はいよ」
いろいろ話をしてもらった。
折角だからHPに写真の載せて紹介しますのでと、天誅組の説明とともに写真を一枚とらせてもらった。
ありがとうございました。大西のおじいちゃんとおばあちゃん。
そして持参していた鰹ぶしのおにぎりで腹ごしらえをし、藤本、松本のたどった道で東吉野へと向かっていった。
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