富田林
中村邸
中村邸
場所:大阪富田林市寺内町(JR富田林駅すぐ)
嘉永六年(1853)二月、長州の吉田松蔭が中村徳兵衛宅を五條の
森田節斎
とともに訪れた。松蔭は二十四日間前後滞在した。
当時吉田松陰は24才の青年であった。
7年後天誅組の挙兵に参加する中村徳治郎(当時15才)や、近所に住む水郡善之祐(当時28才)も松蔭の話を聞いたことだろうと想像される。
天誅組隊士 中村徳治郎
天保10年(1840)6月20日、富田林の豪商中村家に生まれる。
中山忠光が水郡家に来たときには駆けつけ大和義挙に参加。
天誅組河内勢の首領・水郡善之祐(にごりぜんのすけ)の水郡家と中村家は親戚どおしである。
五條桜井寺本陣での役割は「御陣中見廻り役預り」として陣中を見廻っていた。
天誅組の河内勢が十津川で中山忠光の本隊から分離後、紀州藩の攻撃にあい河内勢の仲間たちとはぐれてしまう。
その後、助かり帰郷する。
その無事帰郷までには2つの説がある。
1)熊野で捕まり和歌山で取調べを受けたあと、京都西町奉行所に送られたが、志士として名を知られていなかったため「村預け」の判決で富田林に帰郷をゆるされた。
2)攻撃にあったあと、なんとか自力で高野街道まで出て生還。
帰郷後の履歴は以下のとおり。
河内長野郡役所に勤務。
大阪市博物館に勤務。
大阪市土木課勤務。
大阪市区役所勤務。
大正6年11月14日没。
参考文献:天誅組河内勢の研究