今からちょうど4年前、7月の暑い日の事。 毎年のことながらこの時期は、とてもかゆく皮膚も掻き壊しでひどい状態になる。 暑さとかゆみと痛みと最悪な見たくれでイライラは最高潮になる。 夜も眠れず、全身は塗り薬でベタベタしていて、死んでしまいたくなる。 そんなある日、義父から1冊の本を手渡された。 そこにはたくさんのアトピーを克服した人達の生々しい写真とステロイドの恐ろしさ や、それでもアトピーは治るという衝撃的な内容が書かれていた。いわゆる 民間療法で治すという本だ。 私は5年前の事を思い出していた。 あのときは同じような本を手にして、ステロイドを断ったものの、リバウンドの恐怖 を体験し、ほんの3,4日で大学病院に強制入院となり、その後ステロイド生活に 戻ってしまった。 私は涙を流しながら本を全部読み終え、また同じ後悔はしたくないと、その本を 出版している会社を訪ねることにした。 当時私は0歳と2歳の子供を持つ主婦。 その決意がいかに固かろうと、私が薬を断つ事は、やはり家族に迷惑が及ぶだろう。 家族の理解は不可欠だ。夫と私の母そして、妹と共に訪れることとなった。 リバウンドの恐怖は少しだが体験していたし、ある程度は本で理解していた。 しかし、大量のステロイドを長年使用した者の離脱はそう簡単ではないと説明 され、皆無言で長い道を帰っていった。 その夜、妹が会社を辞めて、家事、育児を手伝うと言ってくれた。 もう後戻りはしない。これで、ステロイドをやめることができる。 妹が来てくれるという心強さから、どんなリバウンドが起きようと大丈夫だと 感じた。
毎日お風呂に入っては、医者に処方してもらったステロイド軟こうを、全身に 塗ったくってネロネロ・ギラギラ状態にする。 何年続けたんだろう。 私はつい先週処方してもらった、コンビニ袋いっぱいのステロイドを、あえて捨て なかった。今日はこれを塗らなくていいんだ。 明日の朝のことは覚悟できている。 朝、目を覚ますと体中がつっぱっていた。鏡をのぞくと薄い皮膚がピシーッと 張っていて赤くテカテカしていた。まーこんなもんか!と思っているとみるみる間に 全身がパンパンにむくんできた。 かゆみはあまりひどくはなかったがかき壊している箇所は、つゆのような汁が出て きてベトベト・パリパリで気分が悪かった。 私にすすめられた治療法のひとつに、遠赤外線低温浴サウナを使う方法がある。 遠赤外線のサウナの箱の中で、ジーッとしていて出られない日々が続いた。 このサウナは、科学的な効能もあったが、かゆみや痛みを忘れ、いやな日常生活 からのがれるには、もってこいの箱だった。とにかくお風呂と低温浴サウナの両方 で、のんびりとリラックスを心がけた。しかしこの時の私には、リラックスの仕方が わからなかった。 何日かして、全身の皮がなくなったかのように、ドロドローッとした汁が にじみ出るようになった。ズルむけのヌルヌルーって感じ。 昼間はさほど気にならないのだが、夜フトンに入る時の不快感と、朝フトンが ぐっしょりといや、びしょびしょにぬれている。頭や首がマクラにへばりつき、 パジャマも体中に張り付いて、それをはがす時の痛みは忘れられない。身体からでる そのヌルヌルは、何とも言えないいやな臭いを放っている。全身は真っ黒になり、 やけどをしたように焦げている。 その頃から夜が怖くなってか、一睡もできなくなってしまった。 そして全身の震え、脱力感、何か重いものを背負ったような疲労感、無気力感と、 恐ろしいほどの寒気におそわれた。外は真夏の太陽がギラギラとしているにも かかわらず、毛布に包まってガタガタと震える日々をおくった。 子供達が私の頭の上でくるくると遊んでいるのも、妹が汗をかきながら家事や育児 に追われているのも、全く気にする余裕がなかった。 もくもくと低温浴サウナとおふろとスキンケアーのスケジュールをこなし、毎日 戦っていた。いや、そんな意気込みはなく、ただ、ただ感情の無いロボットのよう に生活をおくっていた。 私の担当のカウンセラーは、「昨日より今日、今日より明日と小さいが必ず変化 しているから、それを見つけなさい。」と励まし続けた。 (すべて排他的になり人も物も出来事も、信じようとせず受け付けなくなっていた私 だが、何千人もの離脱体験者をカウンセリングしてきた彼を信じることは、簡単だった。 アトピービジネスと言われる民間療法で彼だけは、違っていたからだ。) 「離脱で死ぬ事はない。がんばる事もしなくていい。必ず薬物離脱は明けるから。」 その5日後、本当に見つけられた。おなかの真中に直径2cmぐらいの白い皮膚。 まだ弱々しいがきれいな皮膚だ。それから私はお風呂と低温浴サウナとスキンケアー の1セット2時間近くかかる大仕事。それを1日3セットをこなすのが楽になって きたのである。 それからが早かった。毎日が変化で食事も楽しくなり、まだ睡眠は十分に取れな かったし、かゆみも相変わらずだったが、口数が増えてきた。妹と冗談をかわしたり、 子供の言動を見て大笑いしたりできるようになった。ステロイドを断ってから わずか5週間足らずのことだった。それでも、明け方5時頃にようやっと 寝付く状態が続いていた。とにかくこの時期は、体力が消耗しないように心がける ため、眠れる時は寝るようにしていたので、午前中いっぱい寝ていてお昼頃によう やっと起き出す生活をしていた。 低温サウナと入浴と食事以外はほとんど動けなかった。食欲は幸いにも衰え なかったが、ガタガタとやせてしまった。 肌の状態は、スケンケアーを念入りにするものの、全身から皮膚組織が壊れている ためか、水分が蒸発していくのがわかる。 洋服やパジャマは、水分ですぐ湿ってしまい 身体全体から湯気のようなものが モヤモヤーっと出ている。 そんな状態のなか息子の入院や娘の保育園の行事が続き、とてもたいへんな思い をした。朝、起きられないので徹夜をし、お風呂に入って外へでる。膝や肘が痛みや 乾燥からまっすぐにのばせず、首や顔は、風や汗でしみるのですくめてしまい、人目 を気にして猫背になり、腰を曲げ、老婆のようにやっとの思いで、行ったことを 思い出す。徹夜をして外出してもなお、夜は一睡も出来なかった。 しばらくして、ポロポロの細かい皮膚が、赤むけた肌の上に現れた。 まるで、全身にパン粉をまとったような感じ。それはとてもかゆく、チクチクとした 痛みを感じた。掻かずにはおれない。そんなかゆみが襲う。 掻けばポロポロと細かいそれが剥がれ落ち、また赤むけた肌が見え、黄色い臭い汁が タラーッとにじみ出る。ヒリヒリして痛いのに、そこがむしょうにかゆく、 グチャグチャになってもなお、かいてしまう。 一晩で、全身の皮膚が剥がれ落ちるので、ベッドの上の粉を集めると、砂場で作る お山ぐらいの量になる。私の歩いたあとは、白い粉の跡が残り、座っていた場所は、 床が見えなくなるほど。 気が変になりそうな、泣き叫びたいような、今、思い出してもぐったりする ような、そんな毎日が、3ヶ月程続いた。 それでも、年が明けた頃には、だいぶ眠れるようになり、生活のリズムも取り戻し、 精神的にも安定していった。 はっきりとこの日と言えないが、その頃が 薬物離脱が明けた頃だと思う。 とにかくホッとできる時間がなく、たいへん苦しかった時期だった。 ただ、必ず薬物離脱は誰にでも終わりがある。ということが分かっていただけに 不安や恐れはひとつもなかった。 カウンセラーのアドバイスを信じ、次の症状はこうなる、そしてこのようになった ら終わりに近い。というような多くの患者さんの、前例通り進行していったので、 何も考えずに乗り越えられたような気がする。 これで離脱から開放され、アトピー地獄から脱出できると思い込んだ私は、この後 とんでもない体験が待っていようとは考えもしなかった。 長い間苦しんできたせいなのか、変に捻じ曲がった私の心の修正をしなくては ならない時期がきたのである。