The blank of 2years
「いつまで自らの過去を封印しているつもりだ?・・・・・・お前が自分の過去から逃げるのは良い。だが、それにカオリを巻き込むな」
トウヤのその言葉に、アキトが震える。
「逃げる?」
アキトはやっと顔を上げ、トウヤのことを見る。
トウヤは軽く頷き、そして言葉を続けた。
「そう、逃げるだ。・・・・・・辛いことがあれば逃げたくなるのは、人間として当たり前だ。だがな・・・・・・お前だけが不幸だとは思わない方が良い」
アキトは、トウヤの言葉を黙って聞いている。
トウヤも口調を和らげ、まるでアキトを諭すように話す。
「確かに、忘れていたほうが幸せだと思えることが、この世の中には存在する。・・・・・・だがな、本当のところはどうだ?・・・・・・それで本当に幸せなのか?」
その問いに、アキトは答えることが出来なかった。
「俺はな・・・・・・お前がここに来たのは、何かの導きだと思っている。もちろん俺は神なんぞ信じちゃいないが、それでもお前が俺とカオリの前に来たのは、偶然だとは思っていない」
そこまで言って、トウヤはゆっくりと椅子から立ち上がる。
アキトは身動き1つせずに、トウヤのことを見ている。
トウヤはカオリの部屋の前まで行き、そこで振り返りアキトの事を見る。
「なあアキト・・・・・・もう逃げるのはよせ。人間、足掻けば何とかなるもんだからよ」
そして、トウヤはカオリの部屋の中に消えていった。
アキトはトウヤの後を追うことも出来ずに、ただ1人で立ち尽くしている。
彼の頭の中に、トウヤの言葉が何度も繰り返される。
(もう逃げるのはよせ・・・・・・か・・・)
アキトは無意識のうちに、自分の首に掛かっているロザリオに触れていた。
心が落ち着く。
何かを、思い出しそうな気がした。
The blank of 2years
〜妖精の守護者 外伝〜
第3話「気高き狼」
BY ささばり
「ごめん!!」
そう言って頭を下げているアキト。
彼が頭を下げている相手は、少し拗ねた表情をしてアキトを見ている少女、カオリである。
そんな2人を、トウヤは1人お茶を啜りながら見ている。
アキトが錯乱してカオリを襲ったあの事件の三日後、カオリは目を覚ました。
未だその首には痛々しく包帯が巻かれてはいるものの、彼女はわりと元気である。
特に、精神的に参っているかとトウヤは危惧していたが、それも杞憂にすぎなかった。
「痛かったです・・・・・・」
そう言って拗ねているカオリに、アキトはオロオロするばかりだ。
日頃、ただでさえ頭が上がらないのだ。
ましてや、今回の事件は完全にアキトに責任があり、一歩間違えば命の危険もあったのだ。
もはやアキトには、頭を下げること以外、何もできなかった。
「兄様は私のことが嫌いなんですね」
「い、いや、そんなことはないよ。あの時はどうかしてただけで・・・・・・」
「私、兄様にキズモノにされてしまったんですね・・・・・・しくしく」
顔を両手で覆い泣いてしまうカオリ。
その様子を見て、ますます狼狽えてしまうアキト。
だが、彼は知らなかった。
彼女が、顔を覆っている手の指の間からこっそりアキトの様子を覗いていようとは。
つまり、嘘泣きである。
「とにかくごめん!!謝って済む問題じゃないかも知れないけど、僕に出来ることなら何でもするから、だから泣かないでよ!」
「・・・・・・本当ですか?」
カオリが顔を覆っていた手をのけて、アキトの事を上目遣いで見る。
彼女があまりに嬉しそうにしているので、逆にアキトの方が少しひいてしまった。
「えっ、ええっと、その・・・・・・」
「兄様!本当に、何でもしてくれるんですよね!」
「・・・・・・いいよ。どんなことでも」
返事をするまでの一瞬の間が、アキトの決意を物語っている。
「えっと、それじゃあですね・・・・・・」
そう言って、そっと唇に人差し指を当てて考え込むカオリ。
その仕草に、何故か微笑ましいものを感じてしまうアキト。
ややあって、カオリがにっこり笑顔を浮かべる。
「私とデートしてくださいませんか?」
「えっ、デート?」
「はい、デートです。もう何処に行くかも決めました。あの、兄様は私とデートするのはお嫌ですか?」
「そんなことないよ・・・・・・わかった、デートしよう」
アキトは、今までカオリと出かけたことは何度もあった。
だが、改めてデートと言われると緊張してしまう。
そんなアキトを見て、今まで一言も喋らなかったトウヤが、ニヤニヤしながら口を開く。
「お前も情けないな。今からカオリの尻に敷かれてどうする?」
「お父様!」
カオリは、少し頬を赤くしながらも、冷やかすトウヤに強烈な視線を叩き付ける。
その眼光は、不敵な彼女の父を黙らせるのに、十分な力を持っていた。
「お父様、何が仰りたいんですか?あっ、もしかして、もうビールはお飲みになりませんか?それなら、家計も大助かりなのですが」
カオリの言葉を聞いて、あからさまに顔色を変えるトウヤ。
それもそのはず、彼にとってビールの無い生活など考えられない。
ビールこそ人生の友。
人類が生み出したる、至宝。
この世のあらゆる物の頂点に立つ、至高の存在。
そんな偏った考えを持つトウヤにとって、ビール無しの生活は地獄以外の何ものでもない。
(クッ、卑怯な)
およそ父親らしくないことを考えているトウヤ。
だが、カシワギ家の財布の紐はカオリが握っているため、彼は反論することが出来ない。
後は、敗北を認めるのみである。
「アキト、カオリを頼むぞ」
そう言うと、視線をモニターに移し、普段は興味すら示さない株価に目を向けている。
うるさい父親を排除したカオリが、再びアキトに視線を向ける。
「それじゃあ兄様、楽しみにしてますね!」
そう言って笑った少女に、一瞬、誰かの面影が重なる。
だが、アキトにはそれが誰なのか、思い出すことが出来なかった。
シミズ重工、システム開発部。
カシワギ・トウヤが、表向きだけでも勤めている部署である。
そのオフィスで、朝から人だかりが出来ていた。
その日から来たアルバイトの青年に、皆が注目していたのだ。
何故かほんのりと赤くなっている女子社員は、必要以上に青年に密着し、熱心にマシンの起動方法の説明している。
「それではテンカワさん、そのコンソールに右手をおいてください。カシワギ主任のお話では、インターフェースはお持ちとのことですから・・・・・・」
説明を受けている青年は、テンカワアキト。
整った顔立ち、そして幻想的な白髪が特徴的な青年だ。
彼は、先日カオリとデートの約束をしたのだが、無職だった為に金がなかった。
さすがに中学生のカオリに奢ってもらう訳にもいかず、トウヤに頼んでアルバイトをさせてもらうことになった。
「えっと・・・・・・これで良いのかな?」
そう言ってアキトがコンソールに手を置いた瞬間、アキトの右手が光り輝く。
そして同時に、アキトを囲むように、およそ20ものウィンドウが開いた。
「えっ?」
ザワ・・・・・・。
女子社員が驚きの声を上げると同時に、辺りがにわかに騒がしくなる。
それもそのはずだった。
アキトの使っている端末は、使用者の電子情報処理能力によりそのウィンドウ数を制限する。
多くのウィンドウを開ける人間が、それだけ処理能力が優れているのである。
ちなみにこの業界では、一流と言われる人間でも、ウィンドウ6つ程度開くのが限界である。
それをアキトは、いとも簡単に20ものウィンドウを開いた。
「あの・・・・・・タナカさん。これからどうすれば良いんですか?」
「えっ?あっ、ごめんなさい」
アキトに声をかけられ、再び説明に戻る女子社員。
そんな彼らを自分の席から見ているトウヤ。
その隣の席に座る同僚が、声をかけてきた。
「なあカシワギ、あのお前の親戚ってのは、一体何者なんだ?」
「見ての通り、何処にでも居る普通の奴だが」
「あのな、普通ウィンドウがあんなにたくさん出るわけねえだろ?」
トウヤの視線の先には、大量のウィンドウに囲まれているアキトの姿が見える。
(普通・・・・・・か)
トウヤは、アキトが普通でないことを知っていた。
アキトの体内にはナノサイズのマシンが大量に存在している。
火星でも、コンピュータを使用する人間は、少なからず体内にマシンを埋め込む事がある。
だが、アキトの電子情報の処理能力は異常だった。
身体の正常な機能すら阻害する、ある意味、電子情報処理にのみ特化させた身体。
そんな身体を、アキトは持っていた。
(人体実験により得た身体か・・・・・・あんな能力を持った奴は、うちの軍にも居ないぞ?)
トウヤは、自分の所属してる軍の、電子戦専門の兵士達を思い浮かべている。
そこでも、アキトほどの能力者は見あたらない。
余談だが、テンカワアキトの電子情報処理能力は非常に高い。
彼が元々居た世界には、後に『電子の妖精』と呼ばれる、1人の少女が居た。
彼女は、たった1人で戦艦を動かし、電子戦においては無敵と呼べる力を持っていた。
ホシノ・ルリである。
アキトの能力は、そんな彼女に匹敵するといってもいい。
元々、彼が受けた人体実験のなかに、『大型戦艦の単独オペレーション』と言うものがあった。
後天的に大量のナノマシンを人体に注入し、その影響を調べる試験の一環である。
ほとんどの人間が死亡した中、アキトは生き残り、その実験を受けていたのだ。
そして彼は、その実験を繰り返すことにより、電子の妖精ホシノ・ルリと同様の体質になってしまっていたのである。
「あの、カシワギ主任?」
20分ほど経っただろうか、トウヤは少しボーッとなって居たところを、部下から声をかけられた。
アキトに仕事を教えていた、タナカと言う女子社員だった。
「どうした、アキトが何か問題でも?」
「はい。それがですね・・・・・・」
そういって、何故か言いにくそうにする部下。
トウヤは訝しく思い、視線をアキトの方に向ける。
そこには、手持ち無沙汰なのか、全てのウィンドウを使ってカードゲームをしているアキトが居た。
別に全画面を使う必要など何処にもないのだが・・・・・・。
「あの馬鹿、仕事もしないで」
「いえ、それがもう終わってしまったのです」
「は?」
さすがのトウヤも、自分の部下の報告に呆気にとられてします。
周りの人間達も、何事かと思い集まってくる。
「終わったって・・・・・・確かに簡単な事務処理を渡しはしたが、そんな10分やそこらで終わる分量じゃないぞ?」
「それが、通常なら3日間程かかる処理を、ほんの数分で終わらせてしまったんです。間違いも見あたりませんし、他にどんな仕事をしてもらったらいいのか・・・・・・」
ザワ・・・。
再び辺りが騒然となる。
トウヤも、まさかアキトの能力がそれほどのモノだとは考えていなかったようで、さすがにどうしようか迷ってしまう。
どのみち、アルバイトと言う立場の人間がする仕事ではない。
(俺の本職の方で働かせた方が良いかな?)
トウヤは、そう考えながら再びアキトに視線を向ける。
彼はいつの間にか、無数の女子社員達に囲まれていた。
だが、女子社員達は誰1人としてアキトに声をかけることが出来ない。
先程のカードゲームとは一転、ウィンドウは何かの処理をしているようで、たくさんの文字が現れては消えている。
彼は、急速にこの世界のコンピュータに馴染もうとしていた。
アキトの全身が、コンピュータとのリンクによって、美しく輝いている。
金色の右眼が、キラキラと輝いてる。
青色の左眼が、冷たい光をたたえている。
そして、美しい白髪が、幻想的な輝きを放っている。
美しい。
アキトを取り囲んでいる、女子社員達が声をかけられないのも当然かも知れない。
声をかける事すら罪悪に感じるほど、アキトの姿は美しかった。
さすがのトウヤも、唖然とする。
(まったく、あんな姿、カオリには見せられないな)
そんなトウヤの心配をよそに、アキトはコンピュータとのリンクを続けている。
結局、職場の女子社員達がまともに業務を再開出来たのは、アキトが定時で仕事を終えてからのことである。
当然、遅れを取り戻すために残業するはめになった。
テンカワアキトは走っていた。
何もない、真っ暗な場所を、まるで何かから逃れるかのように。
『ハアッ・・・・・・ハアッ・・・・・・・』
呼吸を乱しながら、それでもアキトは走ることを止めなかった。
そんな彼の後を、何か暗い影が追いかけている。
『どうして追いかけて来るんだ!』
自らを支配する恐怖を、まるで振り払うかの如く叫ぶアキト。
彼がどんなに全力で走っても、背後から追いかけてくる影を振り切ることが出来ない。
それどころか、その差は徐々に詰まりつつある。
得体の知れない影が、アキトを追い詰めていく。
『なんなんだよ。どうして・・・・・・!!』
アキトは言葉を失い、その場で足を止めた。
彼の目の前に、人影がいた。
背後から追いかけてきたはずの影が、いつの間にかアキトの正面にいた。
『誰なんだよ!!』
そう叫んだアキトに、人影は何も答えない。
人影は黙って、ただジッとアキトの事を見つめている。
やがて、人影が口を開いた。
『見つけたぞ、テンカワアキト』
冷たく、死を連想させるような声を、アキトは知っている様な気がした。
全身から、冷や汗が吹き出してくる。
得も言われぬ恐怖に、全身の震えが止まらない。
『もはや逃げられんぞ』
死神がそう言った瞬間、その隣にもう一つの人影が現れる。
後ろ手に縛られた、美しい少女。
『えっ?』
死神に囚われているその人影をみて、アキトは唖然とした。
この暗い世界の中でも輝きを失わない、金色の瞳と瑠璃色の髪。
(知ってる)
直感。
そう、アキトは確かにこの少女の事を知っているはずだった。
『アキトさん、助けて!』
瑠璃色の髪の少女が、アキトに助けを求める。
それを聞いた死神が、いやらしく笑う。
『テンカワアキト・・・・・・己の無力さを噛みしめるが良い』
死神が、闇に光る刃を抜く。
その口元には、笑み。
死神は、少女を殺すことに快楽を感じているかのようだった。
『止めろー!』
アキトが走り出す。
何とか死神の凶行を止めようと、彼は必死に走る。
だが、死神との距離はいっこうに縮まらず、少女を助けに行くこともできない。
『アキトさん!!』
少女の助けを呼ぶ声が、辺りにむなしく響いている。
アキトは必死に走る。
たとえ記憶が無くても、彼にはわかっていたのだ。
何よりも大切なものがある。
どんな事があっても護りたいものがある。
だが、届かない。
『クックックッ・・・・・・終わりだ』
『やっ、止めてくれー!』
次の瞬間、少女の身体に、刃が深々と突き刺さった。
ベッドの上で、アキトが目を覚ます。
着ていたパジャマが、汗を吸って冷たくなっている。
「・・・・・・夢?」
アキトはそう呟きながら、ベッドからおりて窓の側まで歩いていく。
月が、出ていた。
その光は、冷たくアキトの姿を照らし出している。
(何だったんだ、あの夢は?)
バサ!
アキトは、汗で濡れたパジャマを乱暴に脱ぎ捨てた。
月明かりで、アキトの肉体に刻まれた傷痕が浮かび上がる。
(あれは・・・・・・死神だった)
先程見た夢を、アキトは鮮明に覚えていた。
1人の死神がいた。
その姿を思い出しただけで、アキトは全身から汗が噴き出してくるのを感じた。
恐怖。
一言で、その死神の存在を肯定できた。
(それに・・・・・・あの娘は?)
死神に捕らわれていた少女。
瑠璃色の髪をした、美しい少女。
その娘の姿を思い出しただけで、アキトは胸が痛んだ。
(何だろう?どうしてこんなに胸が苦しいんだろう?)
アキトは、自分の鼓動が早くなってきているのを感じていた。
どうしようもない、押さえることの出来ない感情がある。
(僕はあの娘を、知っているはずなのに)
ズキッ!!
「クッ・・・・・・あぅ」
激しい頭痛がアキトを襲う。
彼は頭を押さえながら、その場に膝をついてしまった。
その頭痛が、アキトの記憶が戻ることを邪魔しているのだ。
それはまるで、世界が『闇の王子』の復活を邪魔しているかの様だった。
それから一週間ほどたったある日、アキトとカオリは駅前で待ち合わせをしていた。
アキトは、カオリとデートの約束をしていた。
そして、この日がちょうどそのデートの日となっていたのだ。
「部活、ながびいてるのかな?」
駅前の噴水の前のベンチに1人座り、ぼけっと空を見ているアキト。
カオリは、午前中は彼女の所属部である『料理部』のミーティングである。
そして部活が終わってから、2人でショッピングに行く予定なのである。
ちなみに、トウヤの好意でバイト代を日払いにしてもらっているおかげで、今では一回のデートには充分な金額が集まっていた。
現在の時刻は12時13分。
そろそろカオリが来ても良い時間である。
「何だろう・・・・・・誰かに見られている様な気がする」
そう呟き、落ち着かない様子で辺りを見回しているアキト。
彼は先程から感じる視線が気になっていた。
アキトはかなりの美形である。
上背もあり、その上、珍しい白髪が他人の目を、特に女性の目を惹き付けている。
それを敏感に感じ取っているアキト。
その時、右の方から誰かが走ってくる。
ゆっくりベンチから立ち上がると、そちらを向くアキト。
「お待たせしました、兄様!」
そう言いながらアキトの側に駆け寄ってくるカオリ。
彼女はアキトの前まで来て、乱れた呼吸を正している。
「カオリ、そんなに急いで来なくても良かったのに・・・・・・」
カオリを心配そうに見るアキト。
だが、カオリも何か急いでいるようで、落ち着かない様子で後ろを見たりしている。
「兄様、早くここを離れましょう!」
「え?」
いきなりの事で何の事だかわからないアキトの手を掴むカオリ。
彼女はまるで何かに怯えるかのように、辺りを見回している。
「誰かに追われているの?」
「いいから急ぎましょう、兄様!」
カオリがそう言ったまさにその時。
『あ〜!カオリみ〜つけた!』
そう聞こえたかと思うと、5人ほどの女子中学生が人混みをかき分けて走ってくる。
そして、アキト達の周囲を囲むようにする。
皆カオリと同じ制服を着ている。
「きゃあ〜、これカオリのカレシ?格好いい!!」
いきなり大声を出す彼女たちはきゃあきゃあ言っている。
余りの勢いに目を白黒させているアキト。
「ずるいカオリ!!どうも様子がおかしいと思ったら、いつの間にカレシなんて出来たのよ!」
「私の気持ちを裏切ったのね・・・・・・」
「白くて綺麗な髪・・・・・・素敵・・・・・・」
「ねえねえカオリ、もうしちゃったの?」
カオリを囲みながら、みんなで好き勝手なことを言っている。
その元気のいい集団のうちの1人が、いきなりアキトに声をかける。
「ねえお兄さん、名前なんて言うんですか?」
「えっ?あっ、テンカワ・アキトです」
「アキトさんですか!格好いい〜!!」
そう言ってまた辺りが騒然となる。
もう何がなんだかわからないアキトと、その隣で真っ赤になって俯いているカオリ。
結局彼らが解放されたのは、それから15分後の事だった。
仲良く並んで歩いているアキトとカオリ。
そんな2人のことを、遠くから見つめる人影があった。
一見するとただのサラリーマンのようだが、その雰囲気は異様なものだった。
男はジッとアキトとカオリを見つめ、2人が移動するのにあわせて彼自身も動き出す。
その男が何かを呟くと、ポッと1つのウィンドウが彼の目の前に浮かび上がる。
「ブラボー1からアルファへ。現在ステーション前にて『妖精』を監視中。『狼』は同行していない模様。同行しているのは『同居人』だけだ。指示を請う」
男はウィンドウに向かってそう口にする。
不思議なことに、周りを歩いている通行人は、男に何の関心も抱いていない。
何故なら、男も、ウィンドウも、周囲の人間には見えていないのだから。
当然、彼の声も他人には聞こえていない。
彼は光学迷彩装置という特殊な装置を使用し、その姿を完全に隠蔽することに成功していたのだ。
軍隊では標準装備とされている光学迷彩だが、一般人に手にはいる代物ではない。
さらには、音声まで外部に漏れないように出来るほどの高性能の光学迷彩など、軍隊といえども簡単に手に入るモノではない。
一瞬の間の後、彼の耳のイヤホンを通して男の声が聞こえてきた。
『了解ブラボー1。当初の予定通り『巣穴』にて仕掛ける。合流後、『妖精』を奪取し撤収しろ。なお、その際『同居人』は確実に処理しろ』
「了解」
男が短く答えると、開いていたウィンドウが閉じる。
「さて、問題は『狼』の足止めが上手くいくかどうかだな」
そう呟く男は、『同居人』アキトと、『妖精』カオリの後を、一定の距離をとったまま歩いている。
軽く周囲に視線を走らせる。
「いくら護衛がついていたとしても、あの程度では役にはたたんな」
男は、1人ほくそ笑む。
ターゲットを護衛している者達は、男の存在に気付いていない。
『狼』ことカシワギ・トウヤなら、男の存在をいとも簡単に見破るかも知れない。
だが、護衛達にはそれ程の実力はなく、結果的に男の存在見逃してしまっていた。
しばらく歩いただろうか。
不意に、男は足を止めた。
「またか?『同居人』・・・・・・先程から何度もこちらを気にしている。アイツ、まさかこの俺に気付いているのか?」
男はしばらくその場にとどまり、気配を押し殺してアキトの様子を探る。
美しい白髪をした青年。
報告では、カシワギ・トウヤの親戚だと言うことである。
ただ、それだけ。
外見的な特徴以外は特にない、いたって普通の青年。
戦闘能力も無きに等しい。
そんな男が、光学迷彩に身を包んでいるプロの兵士の気配を悟れるはずがない。
「思い過ごしか」
そうしている間に、アキトとカオリはビルの中に入っていってしまった。
そして、男も2人を追うようにして、ビルの中に入っていった。
その夜、カシワギ邸。
出来上がった料理を目の前にして、アキトはお預けをくらっている。
カオリもせっかくの料理が冷めるのがいやなのか、せわしなく時計に目を向けている。
「お父様・・・・・・どうなさったのかしら?」
心配そうに言うカオリ。
先程トウヤから『これから帰る』との連絡があり、その時間から考えると、もうすでに家に着いていても良い時間だ。
それなのに、彼は未だに帰ってこない。
「とにかく、もう少し待ってようよ」
「そうですね。お父様が帰って来なくては仕方がないですものね」
そう言って、カオリはアキトの事をジッと見つめる。
カオリは、アキトの味覚のことについて、それ程詳しく知っているわけではない。
ただ、精神的な問題で、味に鈍感になってしまったと解釈しているのだろう。
ちなみに、実際の所、アキトは味も匂いも感じることが出来ない。
精神的な問題ではなく、脳の損傷により、味覚と臭覚は完全になくなっていた。
それを癒すことは不可能だという事を、アキトの主治医のミカも言っている。
「ねえ兄様?」
そう言ったカオリは、微かに頬を赤らめている。
「なんだい、カオリ?」
「私の料理、美味しいですか?」
その問い掛けに、しばし言葉を失うアキト。
何か、胸を引き裂かれる思いがする。
だが、アキトはすぐに極上の笑顔を浮かべる。
「美味しいよ」
ただ一言、にっこり微笑みながら言うアキト。
美麗な単語で飾るのではなく、ただ一言、心からの笑顔と共に。
その一言が、カオリに対してどんな影響を与えるか、考えてもいない。
案の定、カオリは赤かった顔をさらに赤くして、俯いてしまう。
「あの・・・・・・にっ、兄様は、料理の上手な女性はお好きですか?」
カオリは混乱していた。
普段の彼女なら、これ程にも露骨にその意図が分かってしまう質問など、決してしなかっただろう。
「えっと・・・・・・」
アキトも、さすがにここまでストレートの訊かれては赤面してしまう。
だが、まるで縋り付くような眼差しで見てくるカオリをみて、彼も心の内を告白する。
「好きだよ」
もしもアキトが記憶を失っていなければ、こんな事は言わなかっただろう。
彼は、自分の言葉が近い将来どれ程カオリを傷付けるか、考えることが出来なかった。
どんなに愛していようが、彼はこの世界に留まることは出来ない。
彼は、いずれ戻らねばならないのだ。
自らの住んでいた世界に・・・・・・。
だが、記憶を失っているアキトにそんなことが考えられるわけがない。
カオリもアキトも、そのままお互い黙ってしまう。
直接的ではないにしても、お互いの気持ちを確かめあった2人は、何となく幸せだった。
「いい加減、出てきたらどうだ?」
暗い路地裏で、トウヤが凍り付く様な冷たい声を発する。
その言葉に呼応するかのように、複数の人間達が姿を現す。
「オリオンの犬か」
トウヤが、静かに言った。
問いかけではなく、確認。
トウヤに直接喧嘩を売ってくる相手など、オリオングループしかいない。
「悪いが死んでもらう。お前はプロジェクトに邪魔だ」
トウヤを囲んでいる男達の1人、恐らくリーダーであろう人物が言う。
そんな彼を、微かに笑みを浮かべながら見ているトウヤ。
(敵は10人か。路地の太さから考えて、同時に相手に出来るのは2人か3人)
トウヤは冷静に状況を分析しつつも、内心焦っていた。
頬を膨らませて怒っているカオリの姿が、頭に浮かんでくる。
泣きたくなった。
「ふっ、今にも泣きそうな顔をして・・・・・・命乞いでもしてみるか?」
リーダーの男は、トウヤの悲壮感漂う表情を、自分達の影響だと考えていた。
その勘違いに、トウヤも苦笑いを浮かべてしまう。
「まったく、早く帰らなきゃカオリに怒られるってのに・・・・・・さっさとお前らを殺して家に帰らせてもらうぞ」
やれやれと言いながら、持っていた鞄を放り投げるトウヤ。
だが、リーダーの男はそれを鼻で笑う。
「お前のような骨董品が俺達に勝てると思っているのか?所詮はプロトタイプだろうが」
男は、まるで見下すかのような視線でトウヤを見ている。
彼は、言葉を続けた。
「だがな、俺は違う。俺はお前のように失敗作でもなければ、骨董品でもない。最高の技術を持った、最高の兵士だ」
12年前に人体実験を受けたトウヤなど、男にとっては骨董品と同じだったのだろう。
増長するのもうなずける。
だが、トウヤにはそんな事は関係ない。
どうでも良いはずだった。
「まあいい。俺達は『妖精』さえ手に入ればそれでいい」
その言葉に、ピクリと反応するトウヤ。
そんな彼を嘲笑う男。
「わかっているのだろう?『妖精』はわれらオリオングループのモノだ。貴様のような出来損ないが側に置いておけるモノではない」
不快な笑みを浮かべながら喋る男を、トウヤが睨み付ける。
だが、男はそんなことは気にならないのか、言葉を続ける。
そして、男はいやらしい笑みと共に言い放つ。
「あれは貴重なサンプル、貴様の情婦にはもったいない」
「・・・・・・なに?」
男の侮辱的な言葉を聞いた瞬間、トウヤの雰囲気が変わった。
その雰囲気は、まさに死神。
周囲にまき散らすのは、血と死の予感。
「なんだ、こいつは?」
余りの不快感に、男は顔をしかめた。
男の吐いた言葉。
それは、決して口にしてはならない言葉だった。
それらの誹謗中傷は、トウヤにとっては禁句と言ってもいい。
トウヤとカオリは、お互いドールプロジェクトの被害者でありながら、生き残り、支え合ってきた。
生き残った僅かな仲間達が、その重い現実に耐えきれずに自害していった。
トウヤですら、死にたいと思ったことさえあった。
それ程の地獄。
だが、トウヤもカオリも、お互いを心の拠り所として、自らの死を選ぶことなく今までを生きてきた。
血の繋がりなどでは語れない親子の絆が、トウヤとカオリの間にはあった。
なによりも大切なものが、そこにはあった。
だが、この男は・・・・・・。
「お前は・・・・・・汚した」
トウヤの変貌は、すでに始まっていた。
力がみなぎる。
人を超えた力が。
自らの人体に埋め込まれた、人ならざるモノの遺伝子。
その遺伝子が、トウヤの体内で急激に活性化していく。
外見は、やや髪の毛が逆立ってきたと言うくらいで、特に変化はない。
だが、その雰囲気は、明らかに違っていた。
研ぎ澄まされた牙を、隠そうともしない。
「チッ、殺れ!」
男がそう合図した途端、「ダン!」という踏み込みの音を残してトウヤが消えた。
斬!
そして、男の首が飛ぶ。
リーダーだった男は、指一本動かすことも出来ずに、その首を切り飛ばされて死んだ。
「えっ?」
余りにも呆気ないリーダーの死に、他の男達は、なにが起こったのかすらわからない。
トウヤの動きは、人を超えていた。
もはや、肉眼で捉えられる程度の速度では無かった。
ダン!
次の瞬間、ビルの外壁が一瞬弾け、そこには人の足跡が生々しく残る。
「うっ」
次の男がうめき声を上げると、その首から大量の血を吹き出す。
一目見てわかる、致命傷。
「ヒィ!!」
ドンドンドン!!
恐怖に犯された男が、闇雲に銃を乱射する。
本来は一騎当千だった男達が、なにも出来ずに殺されていく。
敵は、たった1人。
ただの出来損ないだったはずだった。
先程までのほほんと目の前に立っていた男の姿を、いまは誰1人として捉えることが出来ない。
「ばっ、ばけもの」
彼らはようやく悟った。
出来損ないの狼を追い詰めていたつもりが、逆に追い詰められたのは自分達だったと言うことを。
恐怖に支配された男が、ついには銃を捨てて逃げだそうとする。
だが、実際に身体が動く前に、その命は終わりを向かえる。
一瞬にして引き倒され、その喉をナイフで切り裂かれていた。
「あっ、あれが・・・・・・」
獲物を仕留めた『狼』が、ゆっくりと振り向く。
逆立つ頭髪。
鋭く、ギラギラとした眼光は、あらゆる生命を刈り取る魔眼。
醜く歪んだ笑み。
その口元からは、やけに発達した犬歯が姿を覗かせていた。
「・・・・・・たっ、助けて」
命乞いをしている男をみて、薄笑いを浮かべているトウヤ。
残りは、まだ何人もいる。
「さあ、狩りの続きをしよう」
刹那、トウヤの姿が闇に紛れる。
もはや震えているだけで、その場から逃げ出すこともできない男達。
狼の狩り場におびき寄せられた彼らに、もはや逃げることは出来ない。
獲物は、ただ狩られるのみ。
(もしも、君に人の心が残っていたら、こんな殺し方は絶対に出来ない。君はもう、人間ではないのだよ)
そんな事を彼に対していったのは、はたして誰であったか。
今は思い出すことの出来ない記憶が、一瞬トウヤの頭に浮かんだ。
「無駄な時間をとらせやがって」
足下に転がっている物体を蹴り飛ばす。
その物体・・・・・・人間の首は、そのまま壁に激突して、ぐしゃりと音を立てて弾けた。
辺り一面の、血。
むせ返るような臭気の中、トウヤが1人佇んでいる。
辺りには、10人程の死体が、原形をとどめない状態で飛び散っていた。
あるモノは頭を潰され、あるモノは体中を引き裂かれている。
そう、まるでこの場で人体の解体作業が行われたかの様に錯覚する。
とても、人間対人間の戦いが行われた後だとは思えない。
「まんまと時間稼ぎに付き合わされたか」
敵の目的がただの時間稼ぎだと言うことに、トウヤは気付いていた。
だが、戦わずして逃れることが出来るほど甘い相手でもない。
本来なら、数人殺して、そこで引けば何とか抜け出せたはずだった。
だが、頭に血が上った。
「俺とカオリの絆を、汚すんじゃねえよ」
そう言いながら、地面に落ちている自分の鞄を手に取り、そして走り出した。
敵の目的はわかりきっている。
トウヤは鞄から携帯電話を取り出すと、自宅から着信があったことが表示されていた。
全力で走りながら、自宅に発信してみる。
展開されるウィンドウには、砂嵐以外は何も映らない。
音声も、話し中を報せる音がただ流れるばかり。
「もう手が回っているか。となると、護衛は殺られたな」
僅かに顔を歪めながら、携帯を切るトウヤ。
現在位置から自宅まで、全力で走っておよそ15分。
いや、今は能力を解放している関係で、およそ7分もあれば家に着ける。
だが、その7分ですら、致命的だ。
「7分もあれば、普通にカオリを手に入れて撤収するには十分だな」
そう吐き捨てながらも、彼は冷静だった。
追い込まれれば追い込まれるほど、彼は冷静さを取り戻していく。
だからこそ、今まで生き抜いて来られた。
(しかし、まるでギャンブルだな)
荒野を駆ける狼の如く、ただひたすら走り続けるトウヤ。
絶対的な危機に瀕している彼の手の内には、まだ切り札が残っている。
その切り札に期待する事自体、ギャンブル以外の何ものでもないのだが、期待せずにはいられない。
確率は五分と五分。
賭けに勝てば、本来は致命的とも言える7分の遅れを、簡単に取り戻すことの出来る。
強力な力を持つ、最高の切り札。
それは、眠れる死神。
「アキト・・・・・・カオリを護ってくれ」
そう呟いた孤高の狼は、1人街を駆け抜ける。
つづく
<あとがき>
どうも、ささばりです。
妖精の守護者外伝『The blank of 2years』の第3話、お待たせいたしました。
徐々に、怪しげな人間達が姿を現しだしました。
何気ない幸せを噛みしめるアキトとカオリに迫る、オリオングループの魔の手。
2人を護れるはずのトウヤも、敵の妨害工作の前に足止めをくらいました。
ちなみに、戦闘中にトウヤが発揮した力は、オリオングループのドールプロジェクトにより付与された能力です。
彼が圧倒的なのは、技術もさることながら、人という種を超えた驚異の身体能力があるからです。
彼自身はその力を嫌ってはいませんが、性格が凶暴になるのであまり使いたがりません。
もっとも、そんな人外の力に頼らなくても、トウヤは充分強いですが・・・・・・。
さて、今回も主要キャラクターを整理しておきますので、読む際の参考にしてください。
テンカワ・アキト・・・・・・・・・主人公。記憶喪失だが、失った記憶を夢で見ることがあり、悩んでいる。カオリに心惹かれている。
カシワギ・トウヤ・・・・・・・・・カオリの父。ドールプロジェクトの実験により、人外の力を得てしまった。研究所では『狼』と呼ばれていた。
カシワギ・カオリ・・・・・・・・・トウヤの義理の娘で、アキトを心より慕う。ドールプロジェクトの犠牲者で、通称『妖精』と呼ばれていた。
サエキ・ミカ・・・・・・・・・・・・アキトの主治医。アキトのIFSに汎用性を持たせ、火星でも使用できるようにしたのも彼女。いわゆる天才。
ホシノ・ルリ・・・・・・・・・・・・アキトにとって掛け替えのない存在。電子の妖精とよばれ、電子戦においての彼女は向かうところ敵なし。
さて皆様、今回のお話はいかがでしたでしょうか。
是非ともご意見、ご感想等をお送りください。
それでは、次回をお楽しみに。
艦長からのお礼
あう。
これからが良いところなのに。
無慈悲なあの人が笑いながら殺していくのが見れると思ったのに(笑)
ちなみに私は『社団法人 壊れテンカワアキト推進協議会』筆頭幹事です(笑)
さらに、会長は勝手にささばりさん(爆)
さあ、続きが見たけりゃここにメールを出すんだ!