ロバート・アンダーソン卿 <ロンドン警視庁長官>  ロバート・アンダーソン卿は、英国警察の警部補として、非常に成功した人で、1888年 から1901年まで、有名なロンドン警視庁(スコットランド・ヤード)の長官を務めた。彼 は、ヴィクトリア女王よりナイトの称号を与えられ、エドワードZ世より、警視長に任命 された。しかし、彼を最も有名にしたのは、聖書の真理に関する著書で、特に、預言と終 末についての彼の著書は有名です。彼の著した「人間の運命(Humann Destiny)」は、長い 間、死後について書いた本の権威であった。一世紀以上にわたって、彼の著書は、繰り返 し、再版されて来た。  ここに掲げられた彼の息子が語ったアンダーソン卿の回心の物語は、A.P.ムーア・ アンダーソン著「ロバート・アンダーソン卿−献辞と略伝−」よりの引用です。  彼の息子は語る;「私の父の神への回心の物語は、『信仰の生涯』(a British magazine)の中で語られている。父は、クリスチャンホームに育ち、時々、思い出したよ うに、後悔と不安に襲われる、いわゆる宗教的生活と言われるものに導かれた。しかし、 彼の姉達のうちのひとりが、ダブリン(当時、そこに住んでいた)において持たれていた 集会において回心したことで、新しい霊的な渇望が引き起こされた。彼は、姉といっしょ に、その集会の一つに出席するよう誘われた。しかし、光は、次の週の日曜の夕刻、自分 の教会の説教を聞いているときにやって来た。説教者は、後にニューヨークに移り住んだ ジョン・ホール師であった。 師は「大胆に、全く無条件で、会衆席に座っている私たちが受けることのできる罪の赦し と、恵みによる神の賜物としての永遠のいのちを宣言した。彼の説教は、私を感動させた。 」とロバート卿は語り、更に、「しかし、私は、彼の説教は、非聖書的ではないかと思っ た。そこで、私は、彼が教会から帰るのを待ち構えて、家へ帰る道すがら、彼の異説につ いて彼と議論した。ついに、彼は、私の腕をつかんで、路上で向かい合い、非常に厳粛に、 彼の福音のメッセージと勧めを繰り返した:『私は、キリストの仕え人として、キリスト の名によって、あなたに言う。もし、君がキリストを受け入れるなら、今、ここに、君の ためのいのちがある。君は、キリストを受け入れるのか、それとも、彼を拒否するのか?』 と語った。しばらく間をおいて−どのくらいの時間が過ぎたか私にはわからないが−私は、 『神の御名によって、私は、キリストを受け入れます。』と宣言した。それ以上の言葉は、 私たちの間に交わされなかった;しかし、またしばらくしてから、彼は、私の手をしっか りと握り、別れた。こうして、私は神の平和に心満たされて家へ向かった。」  「アイルランドのリバイバルの後に、平信徒の説教が公に認められるようになった。私 の父が、その仕事をするようになったきっかけは、父が語るところによれば、『回心した 直後のある午後、私は、一人の友人から、ある集会で、福音を語る事ができなくなったの で、彼の代わりをしてもらえないかと依頼する手紙をもらった。彼の使いの者が、私の返 事を待っていた。私は、即座に、そのような大それた事はできないと答えた。しかし、そ の時、私は、ずっと、神様のために何かする仕事を与えてくださいと祈って来た事を思い 出した; これは、私の祈りに対する答えではないだろうか?そこで、私は、急いでその使者の後を 追い、彼に私の心が変わったことを伝えてくれるように頼んだ。こうして、次の日、私は、 私の最初の福音説教をした。』彼は、大学を卒業したその年に、南アイルランド伝道旅行 に出掛けている。」  こうして、ロバート・アンダーソンの人生が始まった。