C・I・スコッフィールド
「弁護士である参照付き聖書の編集者」

 C・I・スコッフィールドの名は、今日でも、彼の編集した参照付き聖書と、難しくて見逃してしまう神の言葉の真理を理解する上で、計り知れない助けを大衆に提供したことで、ほとんど全世界に知れ渡っている。

 スコッフィールドの回心物語は、しばしば語られてきたが、恐らくそのほとんどが、C.G.トランバル著「C・I・スコッフィールドの生涯 'The Life Story of C. I. Scofield'」の中に出てくる回心物語に準拠しており、以下もその本に基づいている。

 C・I・スコッフィールドが育った家庭は、監督教会員であった。少年の父と母は、真実なクリスチャンで、昔気質の信者であった。彼の父は、彼に聖書を読み聞かせ、自分でも聖書を読むように励ました。

 彼の母は、彼を生むと間もなく亡くなった。死の床で、彼女は、傍らにいる生まれたばかりの赤ん坊のために、彼を福音の奉仕者にしてくださいと神に祈った。少年は成長したが、このことは、語られなかった;誇りに対して厳しい感覚を持った父親は、姉たちに、赤ん坊のサイラスが、その言葉に過度に影響されて、単なる感傷や、死んだ母の願いへの義理から、献身することのないように、母親の祈りについて話してはならないと言った。後に、その少年が、神の召しを受け入れて初めて、彼は、母の祈りについて息子に語った。

 スコッフィールドは、南北戦争が勃発した当時、テネシー州に住んでいた。その頃17歳であったが、入隊し、数年間兵役に就いた。18度の戦闘に加わり、十字勲章を得た。

 学ぶ機会が与えられたとき、スコッフィールドは法律を学び、ついに、法廷弁護士として認められ、カンサス州アチソンの人々に推されて、合衆国議会議員となった。後に、合衆国大統領グラント将軍は、その第二期に、C・I・スコッフィールドをカンサス地区の合衆国検事に指名した。当時、カンサス地区は、ほとんど、インディアン保護地区外を含んでいた。その若い合衆国議会議員は、当時、最年少の合衆国検事であった。

 なお後になって、彼は、弁護士を開業し、セントルイスに住んだ。彼は、まるで清教徒ではない生活を続けていた。彼が引っ越した土地は、普段酒を飲むことは当たり前の土地であった。彼は、「普通に酒を飲む」多くの人と同じように喜んで酒を飲み、間もなく過度に飲むようになった。

 弁護士業においては、彼と同じ年齢のトム・マクフィーターズが、親しい友人のひとりとなった。マクフィーターズは、大きな影響力のある敬虔な人物の息子であった。

 スコッフィールドの父と母は、本物のクリスチャンであった。しかし、彼はそうではなかった。少年の頃、彼は日曜日学校に行っていたが、行かせられていたからであった。彼は、行くことが嫌であった;日曜学校は、彼には、ほとんど影響をもたらさなかった;彼はそこで何も学ばなかった。彼は多くの説教を聞いたが、その一つとして彼にはなにがしかの影響も及ぼさなかった。

 ある日、セント・ルイスの彼の法律事務所に、マクフィーターズが彼に会いにやってきた。しばらく話した後、マクフィーターズは帰ろうとした。ドアノブに手をかけて、振り返るとスコッフィールドを見つめていった:「長い間、聞こうと思っていたが、怖くて聞けなかった質問をしたい。」

 「君が“怖がっていた”なんて思ってもいなかったよ。」とスコッフィールドは、心からの友情を示していった。「質問て何?」
 「僕は、君がどうしてクリスチャンではないのか聞きたいんだ。」と予想もしていなかった質問が返ってきた。
 さて、トム・マクフィーターズは、主に忠実に仕えていたが、率直に語るクリスチャンであった。彼とスコッフィールドとは、キリストをのぞく多くの点で共通するところがあった。

 その弁護士は、思慮深く答えた:「聖書は、酒飲みは、天国に入れないとか何とか言ってはいないだろうか?僕は、ひどい酒飲みなのさ。マクフィーターズ君。」
 「スコッフィールド君。君は僕の質問に答えていないよ。」と、もう一人の男は戻ってきて言った。「どうして君はクリスチャンじゃないんだ?」
 「僕は、ずっと普通の監督教会員だったさ。分かるだろ。」とスコッフィールドは言った。「でも、どうしたらクリスチャンになれるのか、説明してもらった記憶がないだけさ。」
 マクフィーターズは、その答を持っていた。彼は、椅子を前に引き寄せると、ポケットから聖書を取り出し、素晴らしい福音のみことばを次から次へと読んで、どうしたら救われるかを簡単に、その友に説明した。「主イエス・キリストを君の救い主として受け入れますか?」と尋ねた。
 「その事について考えてみるよ。」とスコッフィールドは言った。
 「そうする必要はないよ。」とマクフィーターズは言った。「君はその事をこれまでずっと考え続けてきた。今、その問題に決着を付けないか?今キリストを信じて、救われないか?」

 論理的に考え、聡明な弁護士は、明快な言説と明快な質疑応答が好きであった。しばらく考え、彼の友人の顔をじっと見つめ、静かに「そうしよう」といった。二人の男性は、共に床にひざまずいた。スコッフィールドは、主イエス・キリストに主を個人的な救い主として信じると祈り、立ち上がるときには新しく生まれていた;新しく造られた者となり、古いものは過ぎ去った;見よ、すべてが新しくなりました。トム・マクフィーターズは神に用いられて、C・I・スコッフィールドをキリストに導いた。

 弁護士スコッフィールドは救われた。また、彼自身、その事が分かった。なぜなら、トーマス・マクフィーターズが、福音を知っており、それを友人に非の打ち所がないほど明白に提示したからであった。マクフィーターズのアピールには、いささかの曖昧さも、不確かさもなかった。その日以来、スコッフィールドは、あの時、セント・ルイスの町で神の御子を信じる信仰によって新生したことを疑わなかった。

 何年も後になって、スコッフィールド博士は、その事をとても強調したいと思い、手紙の中に、次のように書いた。「…ゆっくりと、知らないうちに、社会に於ける普遍的なあらゆる飲酒の習慣は、私を征服していた。私は、破壊された希望のない男で、如何にもがいても、自分自身がつくりだした鎖にしっかりつながれていた。すり切れた小型聖書を開き、マクフィーターズは、素晴らしい福音書の一節を読んでくれた。私たちはひざまずき、私は、イエス・キリストを私の救い主として受け入れた。たちまち、鎖は解け、再びつながれることはなかった。─酒を飲みたいという情熱は取り去られた。神の力がそれをなし、全ては恵みによることであった。キリストに全ての栄光があるように。」