ファニー・クロスビー キリストを見た盲人  ファニー・クロスビーは、あらゆる時代を通じて、最も人気のある賛美歌作者の一人と して認められている。「つみとがをゆるされ(聖歌232番)」「イエスのみうでに(聖 歌495番」「罪にしずむなが友に(聖歌526番)」「いつかは『さらば』と(聖歌6 40番)」をはじめ、彼女の作詞した聖歌を知らない人がいるであろうか?彼女は、90 00以上の賛美歌を作詞したと言われ(ヘフリー,サンドバイル)、「そのうちの800 0以上が出版されている(リルナス)」という。英国の偉大な賛美歌作者であるチャール ズ・ウェスレーは、4100の賛美歌を出版し、そのうちの2000の手書き原稿が残さ れていると報告されていることが分かった。E.K.エミュリアンは、ファニー・クロス ビーは、キリスト教会史上、最も多くの賛美歌と歌と詩を作った人であると明言している。  しかし、ファニー・クロスビー(アレクサンダー・ヴァン・アルスタイン夫人)は、2 4歳になるまで、賛美歌を書いたことがなかった。しかも、驚くべき事に、彼女は全盲で あり、生まれて6週目に、悲劇的な医療過誤によって失明している。彼女の父親は、彼女 が1歳になる前に死んだ。  盲目ではあったが、彼女は、その賛美歌の中で、しばしば、彼女には与えられなかった が、死の縄目から解き放たれたときに与えられる視力について言及している。「ああうれ し(賛美歌529番)」を賛美するとき、一人の盲人が、「えもいえずたえなる まぼろ しをみるかな(訳者注;原歌詞は、『再臨の光景が、私の眼前に広がる』)と叫んでいる ことに気がつく人が何人いるだろうか?信仰によって未来を仰ぎ見ていたので、彼女は、 「主の御顔と、その輝くやさしい御目を見る日の、心ふるえる喜び;・・・」とか、「主 の美しさを見、その律法に私が喜んで従う王を見る日が来ることを、私は知っている。」 と言うことが出来た。また、私たちは、「御顔を拝して我は告げまつらん 恵みに我が身 もあがなわれたりと」という歌詞も忘れることは出来ない。  彼女の人となりをよく知ることの出来る賛美歌のいくつかは、1時間かそれ以下で作詞 されたものです。ある日、ウィリアム・H・ドーンがオハイオから彼女の家にやってきて、 挨拶をして入ってくるやいなや、彼女を急がせてこう言った、「ファニー、シンシナチ行 きの列車に乗るのに、40分しかないんだ。そこで行われる大きな日曜学校大会のために、 新しい歌が必要なんだ。」そして、しばらく話した後、「あと30分しかない」と彼は言 った。彼女は、机に向かい、しばらくして、彼に一枚の紙を手渡し、列車の中で読むよう にと言った。それが、彼女の作詞した最も有名な賛美歌「いつかは『さらば』と(聖歌6 40番)」であった。それは、U・S・グラント将軍の葬儀に、軍楽隊によって演奏され た。  ファニーは、しばしば、「イエスのみうでに」がそうであったように、ドーンやアイラ・ D・サンキーのように有名な作曲家が作曲したメロディーを聴き、その音楽にふさわしい 詩を作るように依頼された。彼女は、たちまち、広く認められるようになり、ホワイト・ ハウスで、ジェイムズ・P・ポーク大統領に会い、アメリカ議会において、彼女の救い主 を証した。彼女は、アメリカ全土に旅行し、文化講習会の講師をしたり、D・L・ムーデ ィーや、他の伝道者たちの集会のために奉仕したように、他のキリスト教修養会において も奉仕をし、95歳の天寿を全うした。  その証の後、彼女は評価されるようになり、彼女の言葉を熱烈に受け入れたスラム伝道 団に招かれた。その様な場所での必要を感じ取り、彼女は、足繁くその伝道団に通った。 ある機会に、一人の青年が救われ、それがきっかけとなり、「罪にしずむなが友に(聖歌 526番)」を作詞した。  以下に述べる彼女の回心の物語は、「80歳の回顧('Memories of Eighty Years'/ Hodder & Stoughton edition,London,1908)」という彼女の著書からの引用です。 「第18番通メソジスト教会の集会へ向かった。私たちの何人かは、定期的に、よくそ こへ行った。そして、毎週木曜日の夕方には、その教会から、一人の指導者が盲人施設の 授業の指導のためにやってきた。そのころの私は、臆病で、避けることが出来ない時以外 は、決して公では話さなかった。  私は、彼らが、私に話すようには頼まないと言う条件で、その集まりに出席し、彼らの ために演奏した。」  「ある夕方、その指導者は、私の人生に重要な影響を与えるべく運命づけられた一人の 青年を連れてやってきた。彼は、キャンプ氏といって、町の学校の教師で、人々から、愛 国心の豊かな人として認められていた。私は、彼を真実な友人だと思った。私たちは、よ く、一緒に集会に出席したが、彼は、私を決して宗教的な事柄にせき立てたりはしなかっ た。それにも関わらず、私の回心は、死すべき人間に負うところがあるとするならば、そ の彼に負うところが大きいのです。その夢自体は、私に考えさせたということ意外には、 特別な効果はなかったのですが、私は、不思議な夢によって、目を覚まさせられた。その 夢の中で、何日も、曇りの日が続き、ついに、ある人が私の所へやってきて、キャンプ氏 が今すぐ、私に会いたがっていると伝えた。それから、私は、部屋に入っていくと、彼が とても具合が悪いことが分かった。」  「『ファニー、天国でも僕と会ってくれるかい?』と彼は尋ねた。」  「『ええ、いいわ。神様も助けてくださるから』と私は答えた;そして、彼の最後の言 葉は、『君が死に行く男と約束することを忘れないでくれ!』というものであった。そし て、私の心から雲が消え去り、私は目が覚めた。私は、『天国でも僕と会ってくれるかい? 』という言葉を忘れることができなかった。私の友人は、全く元気ではあったが、私は、 もし、そんな風に、呼び出されたとしたら、本当に彼や他の友人たちと天国で会うことが できるのだろうか?と考え始めた。」  「数週間があっという間に過ぎ、第30番通りメソジスト教会で、リバイバル集会が開 かれた。私たちのうちの何人かは、毎夕、出かけていった。二度ほど、私は、平和を捜し 求めて、集会へ行きましたが、私が、熱望している喜びを見出すことができませんでした。 しかし、二度目の晩、私にとって、その時を逃したら決してやってこないように見えた光 がやってきた;それで、私は立ち上がり、一人で前方へ進み出ました。祈りの後で、会衆 は、厳かな古い賛美歌を歌い始めました:  ああ、わが救い主は血を流し、     わがきみは死にたまいしか? そして、会衆が第4節の第3段に達し、  主よここに、われ自らを明渡さん と歌ったとき、私の魂そのものが、天来の光であふれた。私は躍り上がってハレルヤと叫 びました! その時、私は、初めて、一方の手で世をつかみ、もう一方の手では、主をつ かもうとしていたことに気が付きました。  「次の週の木曜日の夕方、私は、初めて、集会の中で、公の証をした。私は、愛する主 が、明らかにそれをするように命じられるときはいつも、私の義務を果たすことを約束し ました。  「その後まもなく、ステファン・メリット氏が、集会の最後に短い祈りをするように、 私を指名しました。私の心に最初に浮かんだ答えは『いいえ、できません。』というもの であった;次の瞬間、良心が『でも、あなたは約束したでしょう!』と語りかけた。そし て、その時から、公の集会で、祈ったり、話したりすることを断らないようになった。そ の結果、私は、大いに祝福を受けることになった。」