フランシス・リドレイ・ハバガル 神の賛美歌作者  国際的に知られた賛美歌作者フランシス・リドレイ・ハバガルは、当時のエ リート社会から信仰を持った人で、いつも主の栄光を追求していた。三歳の時 に読むことを学び、四歳になる頃には、聖書を読んでいた。すぐに、彼女は、 四福音書、書簡、黙示録ばかりか、詩篇、イザヤ書、小預言書をも暗記してし まった。七歳の時には、詩を書いていた。彼女の母は、彼女が僅か十一歳の時 に亡くなった。そして、彼女は、ヨーロッパ大陸で教育を受けた。彼女は、ラ テン語、ギリシャ語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ウェールズ語が出 来、聖書を、原語のヘブライ語やギリシャ語で読む高等教育を受けたイギリス 女性であった。また、ハバガル女史は、優れた歌い手で、ピアノも上手に演奏 でき、コンサート・アーチストになることが出来た。  ハバガル女史は、14歳の時、─聖書には親しんでいたものの、かなりもが き苦しんだ後に─、経験した明確な回心物語を語る。彼女の回心物語は、妹の 書いた‘フランシス・リドレイ・ハバガルの思い出’という本から引用した。  「時々、私は‘話しかけられる’ことが、すっかり嫌になり、親切そうに見 える忠告や私のために捧げられる祈りから逃れるためなら、何でもしたいと思 った。」  「ある春に、私は、一日に何度も、『ああ、神様にできるなら、夏が来る前 に、さっさと、私をクリスチャンにしてください!』と、独り言を言った。私 はもはや、クリスチャンにならずに、夏がきて過ぎ去っていくなど考えること ができなかった。いつか、わが父なる神が、なぜ、このように、幼いとき、ひ とりぼっちで歩ませたか、また、他の人々は、私が幸福で、考え込むことなど ない子供だと思っていたけれども、なぜ、かくも長い間、不満と不安の中にい るように定められたのか、知ることになるだろう。しかし、神は教え続けてお られたに違いない。」  「私は、何としても幸福になりたかったし、クリスチャンにもなりたかった。 そして、激しく祈る以外に、そのようになるすべを全く知らなかった;そして、 私はあまりにも激しく祈ったので、その結果のむなしさにすっかり参ってしま った。このとき、私は、主イエスを信じることについても、また、かくも長い 間幼い魂を圧迫してきた重荷を取り除くということについても、はっきりとし た考えを持っていたとは思えない。さて、私は、あまりに不安になったので、 二週間近くためらった後に、私の悩みを教会の副牧師に話した。特に、私は、 日曜の午後に、聖書を読んだり、祈ったりすることなど、全然、心掛けていな いので、だんだん悪くなるのではないだろうかと考えていることを告げた。副 牧師の助言は、私に満足を与えなかった;それで、私の唇は、それから五年か それ以上の間、神以外のすべての人に対して封印された。」  「8月、私にとって大きな喜びであったことは、トウィード夫人の学校へ行 ったことであった。彼女は、誰も感動なしにはその学校を去ることができない 祈りをした。多くの人が、自分の神に対する真の回心はそのときから始まった と振り返る。今まで沈黙していた人たちが、一人、また一人と、彼らが発見し た信仰の平安と喜びの何たるかを語りはじめ、この学校に来たことで、神をほ めたたえた。私は、彼らが互いに、確信と喜びといった話題で語り合うのを聞 いて、私の心はいっそう沈み込み、そこには、とても到達できないように思え た。」  「ずっと以前から、私は、クック女史(後に、彼女の継母となった)を心か ら信頼していた。彼女が、オークハンプトン訪問していた同じ時、私もそこに いて、何度か語り合った。そのたびごとに、私は、より真剣になり、希望を持 てるようになった。ついに、ある晩、私はひとり彼女とともに、応接室のソフ ァーに腰を下ろし、再び、どれほど、赦されたことを知りたいと願ってきたか を語った。」  「いろいろなことを語った後で、彼女は言った。『どうしてあなたは、自分 自身をあなたの救い主にすぐにお委せすることができないの?考えてごらん。 今、たった今、天から雲に乗ったキリストが、贖われた人々を引き上げるため にやってこられたとしたら、あなたは、主を信頼することができないかしら? 主の召しと、主の約束は、あなたにとって十分ではないのかしら?あなたは、 あなたの魂を主に、あなたの救い主イエス様に委ねることができないかしら?』 そのとき、希望のひらめきが私を貫き、文字通り、息を飲むような感じがした。 私は、動悸が激しくなったことを覚えている。『確かにできます』というのが、 私の答えであった;そして、私は、突然、彼女を一人にして、そのことをよく 考えようと二階にかけ上った。私は、自分の部屋で、体を投げ出してひざまず き、突然やってきた希望を実現しようと努力した。ついに、すばらしい幸福を 味わった。私は、自分の魂をイエス様に委ねることができた。私は、キリスト の来臨を恐れないし、恐れる必要もなかった。私は、自分のすべてをもって永 遠に主を信頼する事ができた。そうすることができたということが、ほとんど 信じられなかったが、現実に、私は、そのようなステップを踏んだ。そのとき、 そこで、私は自分の魂を救い主におゆだねした;私は、いささかも恐れや不安 がなかったと言うつもりはない、しかし、私は確かに、確かに、主イエスを信 じた。─そして、その瞬間から、天地が輝いたように思えた─  ハバガル女史は、「われいのちを(聖歌157番)」、「主のめいうけ(聖 歌334番)」、「神のたもう安けさは(聖歌471番)」といった有名な賛 美歌ばかりでなく、「主の用と恵み深さに備えて」など、いくつかの霊想書を 書いた。彼女は、自分の作詩した賛美歌の多くに、曲もつけた。たぶん、彼女 の最もよく知られた賛美歌は、「主よわがいのち(聖歌313番)」で、ヨー ロッパのほとんどの言語に訳され、アジアやアフリカの国々の言葉にも訳され ている。その歌詞の中に「私の金銀を少しも残さずお受け取りください」とい う一節があるが、作者の感傷的なことばなどではない;主は、高価な宝石で満 たされた貴重な宝石箱を手に入れるために、その言葉を彼女の心に置き、それ を福音の拡大のため宣教師の世界へと送られた。カスリーン・ブランチャード が言ったように、「フランシス・リドレイ・ハバガルが人類に残した遺産の価 値は、はかり知ることができない。」  フランシスは、大西洋の向こう側のもう一人のフランシス−またの名を“フ ァニー”クロスビー−と文通し、彼女に詩を書いて贈っていた。アメリカのフ ランシスは95歳まで生きたが、ハバガル女史は、42歳で亡くなった。健康 上の理由で、彼女は晩年を南ウェールズのスワンシーで過ごした。ダッフィー ルドは、「彼女は、ウェールズの教会の礼拝に参加するために、無学な少女か らすらウェールズ語を学んだ・・・彼女のキリスト教は、彼女の卓越した特徴 となり、彼女の敬虔は、深みがありまた魅力的でもあった。」と語る。  長い間、健康がすぐれなかったことを反映して、彼女が書いた「F.R.H.の第 七巻のプレリュード1872」の中に、次のような一節がある:  私は苦しみにひるまない  たとい主をほめたたえる以外に何もできなかったとしても  人生という葉っぱ中で、第七番目の小さな一葉  今日という日をあなたは私に始めさせてくださったのだから  それゆえ七重の祝福をそのページを満たすすべてのことばに込めよう