ジョナサン・ゴーフォース <中国に伝道した神の人>  ジョナサン・ゴーフォースは、確かに、使徒的人格を持っていた。彼は、その時代の人 々の中で、神の英雄的宣教師たちの霊的巨人として群を抜いている。しかも、中国におい て、素晴らしい成功を収めた個人的功績を認められる最後の人物でもあろう。数千人では ないにしろ、数百人の人々が、彼の行く先々で、いつも回心した。  中国での彼の働き場でリバイバルの炎が燃え上がっている間に、彼は、韓国において奉 仕することを求められ、その地にも、同じように聖霊が注がれた。  あの高潔な小説「スカイ・パイロット」の著者であるラルフ・コナー(チャールズ・W・ ゴードン)は、ジョナサン・ゴーフォースと中国において級友であった。ゴーフォースの 死後、彼は、「ゴーフォースの人格的特徴は、本当に純真な霊、無私の献身、神への完全 な信仰である。私は、もっともっと、彼の人となり、彼の謙遜、彼の勇気、彼の主への忠 誠、彼の失われた魂を救いたいという情熱を称賛したいと思うようになった・・・彼の内 にある神の恵みが、彼をして、偉大な人物、偉大な宣教師、偉大なイエス・キリストの僕 とならせた。」  そしてまた、彼が死んだ時、月刊ムーディは、ゴーフォースを「この、多くの人に尊敬 され、愛された王の僕」として紹介し、「彼の証は、半世紀の間、銀の鈴のように明晰で 美しく響きわたってきた。神の力強い御手がゴーフォースの上にあった。」と記した。  私たちは、ゴーフォースの回心の物語を、彼の献身的な妻であったロザリンド・ゴーフ ォースが著した「中国のゴーフォース」から引用しよう。彼女は、ジョナサン自身が記し た次の言葉で始める:「私は幼い頃からクリスチャンになりたかった。私が七歳の時、一 人の婦人が私に真鍮の留め金のついた、欄外注釈入りの素晴らしい聖書を贈ってくれた。 これは、聖書を探求するもう一つのきっかけになった。私が十歳の時、ある日曜に、母と 教会へ行った。その日は、聖餐式のある日曜日であった。母が、主の晩餐に与っている間、 私は、傍らの席に座っていた。突然、もし神が私を天に召されたら、私は天国には入れな いと迫られた。どんなに、クリスチャンになりたかったであろうか!誰かが、私に魂の救 いについて語ってくれたなら、その時、私はキリストに心を明け渡したであろう。」  しかし、それから8年以上の間、彼は、中途半端な状態にとどまった。ゴーフォース夫 人は、更に物語を続ける:「ジョナサン・ゴーフォースは、今や、18歳になった。彼は、 『勤勉で、いつも親切をすることができ、学ぶことに熱心で(それは見た目で、時には絶 望することもあった)、彼の楽しく親しみのある振る舞いゆえに、すべての人から愛され る良い青年』として知られていた。─しかし、彼はいまだに魂の覚醒がなかった。」  ジョナサンは、キャメロン牧師が時々講演する地域の学校に行った。彼自身の教会の親 切な牧師の話を聞きたくて、ジョナサンは礼拝に出席するようになった。彼の伝記を続い て読んでみよう:「彼が教会に出席した最初の日曜日、そこにいた一人の人は、次のよう に語っている。『その時から60年あまりが過ぎるが、私は、いまだに、一人の初めてや ってきた青年が、牧師のすぐ前に座り、熱心に、顔を輝かせて、一心不乱に、説教のこと ば一つ一つに傾聴している姿を見ることができる。』」  「説教の最後に、決まって、決断するようにと明確に促すのが、キャメロン牧師の変わ らぬ習慣であった。キャメロン牧師のもとでの三回目の日曜日に、何が起きたかを、ジョ ナサン自身の言葉で伝えよう:『その日曜日、説教の最中に、キャメロン牧師は私の方を まっすぐに見て、イエス・キリストを受け入れていない人はすべて、彼を受け入れるよう にと嘆願したように見えた。彼の言葉は、私の心にぐさっと突き刺さった。そして、私は、 “説教が終わる前に決断しなければならない”と自分自身に言い聞かせた。しかし、一方 で、牧師は、いつもの習慣で、突然、説教をやめ祈りはじめた。祈りの間、悪しき者は、 “別の週に、決断を延期しろ”とささやいた。そして、突然、祈りが終わり、キャメロン 牧師は講壇から身を乗り出すようにして、非常に力強く、熱烈に、再び、決断を促した。 そこに座っていた私は、外側に見えるしるしは頭を下げただけであったが、自分自身をキ リストに明け渡した。』  「彼の後の生涯を見るとき、この時の明け渡しがいかに完全であったかを見ることがで きる。それはまた、彼が75歳の誕生日に、娘に口述した次の言葉からもわかる:『私の 18歳の時の回心は単純であったけれども、非常に徹底していたので、その後ずっと、私 はパウロと共に、“・・・キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この 世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰 によっているのです。”と言うことができた。』  他の人は、ゴーフォースについて、「彼が自分自身の魂がイエス・キリストを必要とし ていることを見出したとき、イエス・キリストをすべての魂に持ち運ぶことが、彼の情熱 となった。」と言う。  中国において、病気と困苦によって、ゴーフォース一家は、かわいい五人の子どもが様 々の年齢で死ぬのを見、宿るところのない土地に葬らねばならなかった。彼等は、義和団 の乱の最中に行ったが、他の宣教師たちが命を落とした場所で、大変な苦しみに耐えて、 神に無事守っていただいた。  ゴーフォースは、1925年1月28日(金)にワシントン,D.C.において開かれ た、大きな宣教師大会に参加するよう要請された。その経過が記された大巻の中に、カル ビン・クーリッジ総裁の開会の挨拶と共に、ゴーフォースの説教が掲載されている。その 中で、彼は、「37年前、私は、主イエス・キリストは中国人を主ご自身に勝ち取ること がお出来になるまたそうなさるとかたく信じて、中国へ行きました・・・私は聖霊により 頼んで、福音をすべての人に、力強く語ってきました。キリスト・イエスにある神の愛の 物語を語るとき、私は、人々が信じ回心するのを見ました・・・」