デイビッド・リビングストン <探検家である宣教師> デイビッド・リビングストンの名前は、あまりにも有名で、改めて紹介する必要がないほ どです。彼は、宗教界(信仰の異なる人々をもふくむ)からも世の人々からも、彼の時代 ばかりでなく、現代に至るまで、言うに言われぬ苦しみをなめている人々の医者・治療者 として、探検家・地理学者として、生物学や博物学の標本の分類者として、偉大な宣教師 として、奴隷商人の永遠の敵である博愛主義者として、交戦中の部族間の外交官・調停者 として、あるいは、知識人への著述家・講演者として、喝采をもって迎えられて来たが、 結局のところ、彼は、ひとりのまじめで謙遜なキリスト信者であった。  ロンドンを訪れた時、私たちのガイドは、ウェストミンスター墓地へ私たちを案内し、 偉大で有名な人々の墓を指し示してくれた。─栄えある大英帝国において、最も尊敬され る人々の墓を。ここには、13人の王と、5人の女王(エリザベスT世を含む)が葬られて いる;その向こうには、ウィリアム・ピットや、グラッドストーンのような偉大な政治家 達が葬られている;あちらには、チョーサーをはじめ、スペンサー、ドライデン、そして、 ブラウニング、テニスンらにいたる詩人たちが…。ガイドの説明が終わり、私たちが、出 口へと案内される途中で、私は振り返って言った。「ちょっと待ってくれ;私は、デイビ ッド・リビングストンの墓を見たい。」  世界的に有名な人々が葬られている限られた敷地の中に、彼を葬る余地があったのだろ うか?事実、彼は、そこに葬られたのです。彼の亡骸は、アフリカから運び移されたけれ ども、彼の心は、アフリカの人々の心の中にしっかりと残された。孤独の中、体が弱って いき、ベッドでひざまずいて祈る姿勢のまま死んでいる姿が発見された時、世界中の人々 が、彼が神の御側近くを歩んだことを知った。何という証であろうか。  少年時代、ディビッドは、敬虔な家庭で育まれるというこの上もない祝福を得た。また、 忠実な教会学校の教師にも恵まれた。9歳の時、彼は、二晩連続で、詩篇119篇(17 6節もある!)を、わずか5つ間違っただけで暗唱したので、日曜学校の先生から、新約 聖書をもらったと記録されている。しかし、彼の新生は、それほど容易には訪れなかった。 彼の好みは、清教徒である彼の父と鋭い対立をもたらした。彼自身は、旅行や科学に関す る読み物が好きであったので、彼の父が無理矢理彼の注意を向けようとした教理的に堅実 なカルビン主義の書物には、強い反発を感じていた。  彼の実際的な回心については、リビングストンの伝記作者として有名なW・G・ブレイ キーが、リビングストン自身のことばを引用して、記録に留めている。「私の両親は、私 にキリスト教の教理を教えこむために、非常に努力したので、私は、私たちの救い主の贖 いによって、無代価で救われるという理論をたやすく理解することが出来た;しかし、私 が、私自身に、その贖いの福音を適用する必要や価値を感じ始めたのが、大体その時期で あったというだけであった。」彼が、ロンドン宣教師協会に宣教師として応募した時に、 協会から送られて来た質問状に答えて、協会の理事長宛に提出された文書の中のこの短い 説明が、わずかな光を投げかけている。彼は、およそ12歳の頃に、罪人としての自分の 姿を反省し始めた。そして、しきりに、真理を心の中に受け入れることによって生まれて 来る心の状態を求めるようになった。しかし、彼は、このように偉大な恵みを受ける資格 が自分にはないという感覚から、福音に記された無代価の恵を拒絶した。…なお、彼の心 は定まらなかった;他のなにものによっても満たされることのない、抑えがたい飢えが残 った。  「この様な状況の中で、彼は、未来に関するディックの哲学に夢中になった。その本は、 彼の誤りを糾し、真理を示した。「私は、キリストによる救いを直ちに受け入れるべき義 務と、測りがたい特権とを悟った。計り知れない憐れみと恵みとによって、そのことを信 じた時、キリストの救いを直ちに受け入れることが出来た。そして、なお腐敗し、欺きに 満ちた私の心に、ある程度、その効果を感じた。私のために死んでくださった方に対する 愛着を示すために、私の人生をキリストの奉仕へとささげたいというのが私の願いです。 」  「ディビッド・リビングストンの心の奥底に、新しいいのちが満ち溢れて、今やそれが 溢れ流れ出したことは疑う余地が無い。彼が、真理を理解しただけではなく、真理が彼を 捉えたのであった。神の祝福が彼のうちに流れ込んできて、あらゆる地上の欲望や願いを 征服した。その血によって彼を贖ってくださったお方に対する限りない愛へと彼をかりた てる神の恵みの豊かさについて、また、そのあわれみゆえゆえにキリストに対して大きな 負債を負っているという感覚―それ以来ずっと彼の行動に影響を及ぼし続けた感覚―につ いて、彼が本の中で語っていることは、彼にとって最も重要なことであった。彼は、公の 文書を書くに際して、すべての霊的感動を抑制する習慣があったので、それらがどんなに 現実的なものであったとしても、このような表現を使うことはなかったのであろう。それ は、彼の人生の秘密を明かしてくれる。」(ブレイキー29,30ページ)  実際に、自分自身で回心を体験して、リビングストンは、真実な回心の体験が、何より も重要であるという強い確信を持った。彼自身こう言っている。「どんな誘いがあっても、 私は不純な教会を形成したくない。50人が教会に加えられたと言えば、本国には聞こえが 良いが、もしその中の5人だけが本物であったなら、大いなる日に、それは何の益があろ う。私は以前にもまして、私たちの努力の大いなる目標は、回心であるべきだと感じてい る。」(ブレイキー103ページよりの引用)  彼の伝記作者は言う。「彼は、キリストの教会の霊的権威と、クリスチャンの品性の唯 一にして真の土台としての深い霊的変化の必要に関する強い意見を持っていた。」また、「 回心なき文明人は、(宣教師たちの)労苦にほんのわずかしか報いない人々である」と主張 したとブレイキーは記している。(ブレイキー40、97ページ)  これらは、今日、もっと熟慮され、もっと心に留められるべき信念です。