マルチン・ルター <宗教改革の旗手>  もしローマを訪れたなら、サンクタ・スカラ教会―聖なる階段のある教会―を忘れずに 見物することです。そこは、教会史の中できわめて重大な出来事―マルチン・ルターの魂 を突然光が照らし、彼の人生を解放の通路と変えた出来事―が起きたというにふさわしい 場所です。  ルターの人生を概観した人々の中には、彼の回心は、真理が一歩一歩、現実化していく という、漸次的プロセスであったと感じる人々もいる。またある人々は、その時期を、1 511年に若い修道僧であったルターがローマに巡礼した際であると正確に限定したり、 少なくとも、その非常に過酷な階段を上った時であると考えたりする。  教会の内部では、言及された珍しい光景が見られるかもしれない:“ルターが宗教改革 をはじめるひらめきを得た聖なる階段を、膝で登る…巡礼者の姿”(ウィリアム・T・エ リス‘Bible Land Today’p.16)を。D・E・ロレンツは、次のように記している:“ この有名な階段は、伝説によれば、ピラトの官邸にあったもので、キリストが、ビア・ド ロローサの第一歩を踏み出した階段であると言われている。その被いは、巡礼者たちの膝 によってずっと摩り減ってきた。これが、ルターが、膝で登る途中に、「義人は信仰によ って生きる」と大声で叫ぶや、立ち上がって、歩いて立ち去った階段です”(The New Mediterranean Traveller,p.333)。  数年前に出版された、J・W・H・ニコルスによって書かれたパンフレットのなかに、 さらに詳しい記録と、ルターの体験について記されている:  “ローマ市内に、極めて地味な外見であるが、ローマカトリック教会の所有物の中で最 も重んじられているものの一つが所蔵されている古い建物がある。”  “その建物の中には、大理石でできた28段の階段がある。伝説によれば、これらは、 エルサレムから、すなわち、主イエスを十字架につけるために引き渡したピラトの家から ローマに運ばれたものであった。その階段は、サンクタ・スカラ(聖なる階段)と呼ばれ、 多くの人々が、そこを昇るのを見ることができる―老いも若きも、富める者も貧しい者も、 非常にゆっくりと昇る。というのは、それが、非常に痛みを伴うことだからです。彼らは、 功徳を得る(?)ためには、手と膝で昇らねばならないからです。一段昇るごとに、改悛者 は祈りをささげる。彼らは、その様にしてすべての階段を昇ったなら、次第に罪が赦され、 いつどこでか分からないが、未来のある時点で、赦罪を得るだろうと教えられている。”  “約四世紀ほど前、ザクセン人の若い修道僧が、苦悩に満ちた良心に鞭打たれ、罪の重 荷に押しつぶされそうになってローマに旅をした。その熱心のうちに、彼は、重荷から自 由にされ、神の愛顧を得ようと、その階段を昇るためにやってきた。彼は、大理石の石段 に集まった人々に混ざって、忠実に、彼の祈りを繰り返しながら、手と膝で昇りはじめた。 彼は、苦労して半ばまで昇った時、突然、魂の奥深くに「義人は信仰によって生きる」と宣 言する声を聞いた。それ以前にも、同様の言葉が、二度、彼の意識に届いたが、人間の作 り上げた神学によってそれは締め出された。今や、記憶は呼び覚まされ、神の恵みの素晴 らしいメッセージが、その、‘聖なる階段’においてマルチン・ルターの心に届いた。そ して、赦されていない罪の重荷が消え去った。ルターは、キリストにあって、新しく造ら れた者となり、ローマ教会の迷信に基づく習慣のかせが解き放たれ、その後、彼は、罪の 赦しと信仰のみによる義認のメッセージを喜んで語った。”  “ドイツに帰ると、彼は、その時以来、はっきりとした祝福のことばと、魂を解き放つ 信仰による義認の真理を、喜び祝福された多くの人々に宣言した。”  コストリン教授は、(ドイツ語から翻訳された)最も定評のあるルターの伝記の中で、こ の事件に関連するルターの心の動きのいくつかを記している。そのハイライトを少し紹介 しよう:  “彼が長い間、聖なる尊敬をささげてきたその町に到着した時、彼の心に巡礼の熱心が かきたてられた。彼が悩み、心を探られている間中、彼は、いつか、その町で、告解をし たいと願ってきた。その町が見えた時、彼は、地にひざまずき、両手を挙げて叫んだ。「 聖なるローマよ。万歳!」…彼は、後になって、彼が、如何に、狂気せる聖徒のように、 あらゆる教会やカタコンベ(地下墓地)を巡礼してまわり、嘘や詐欺の塊になってしまうも のを信じていたかを明らかにした。彼は、このキリスト教の中心地で行われる、道徳的、 宗教的生活や行為を見て、ショックを受けた…”  “すべてこの様なものの中に、彼はまことの心の平安を見出せなかった;一方、彼の魂 は、すでに見え始めていたもう一つの救いの道の自覚が揺り動かされた。今日に至るまで、 ローマ教会の赦罪の約束によって、招かれた礼拝者たちがそこに集う、ピラトの審判の間 に通じるところにあったと伝えられる聖なる階段を、ルターは、祈りつつ膝で登る間に、 パウロが、ローマ人への手紙の中に記した「義人は信仰によって生きる」というみことば を考えた。”  神のみことばは、それほど衝撃的であった;今から後も、同様である!