R・G・ルターナ
神の実業家

 R・G・ルターナ氏は、新しい優れたブルドーザーを設計する天才であった。彼は世界中の需要を満たすために多くの製造工場を設立したが、その利益のほとんどをキリスト教事業のためにささげた。彼は、キリスト者実業家の会の指導者であり、しばしば、教会や、修養会や、他の集まりにおいて講演をした。彼が、神に全き献身をした結果、彼と世俗の仕事ではなく、主を、彼の仕事の第一とした。

 私は、ある週末、当時、ピオリアにあったR・G・ルターナ氏の最も大きなブルドーザー工場で話す栄誉に浴した。私は、深夜勤務明けの従業員に話をする手はずになっていた。話をするはずの時間より、だいぶ前に着いたので、私はルターナ氏の執務室に通された。そこで、私は、立派な机の向こうにある彼の椅子に座るよう指示された。私は躊躇したが、きっと、ルターナ氏は、留守なのだろう、それなら全く問題はないと思った。それで、私は、その堂々たる椅子に座り、私の前の机にノートを広げた。私がそんな風に、その場所を拝借して間もなく、ドアが勢いよく開くと、R・G・ルターナ氏自身が入ってきた。あわてて、申し訳ないと、ノートをたたみ、立ち上がると、ルターナ氏は、私をその席に強いて座らせ、少し離れたところにある大きな図板をみながら、ある設計に取りかかりたいのだと言った。私は、彼の席を奪ってしまったように感じ、予定の集会が始まるという知らせを受けて初めて、やっと解放された。

 回心を含むルターナ氏の物語は、A・W・ロリマー著「神がわが事業の経営者(Fleming H. Revell社1941年刊)」による。

 ルターナ氏が個人的救いの体験をしたのは、一家がオレゴン州ポートランドに住んでいるときであった。ロバート青年は、学校をやめて、鋳物工場で働いた。「鋳物工場での肉体的重労働は、元気で落ち着かない性質の彼にぴったりであった。彼の人生を全く変えてしまった経験をしたとき、彼は、この時期の約半分を、見習工として勤めていた。この青年は、頑強な体と強固な意志を持ち、拘束されることを嫌い、大志を抱き、同年代の人々よりずっと想像力に富み、才能豊かであったが、突然、決断の谷にさしかかった。

 「この時のことを、彼自身は、『私は、イエス様を愛し、心から主に仕える父母によって、クリスチャンホームで育てられた。私たちの家庭には、家庭礼拝の場があり、そこで、神を礼拝した。父は、子供たちが、神の御国のために有用な者になるように、神に祈り願った。それにもかかわらず、私は、正しい道を知っていながら、それを忘れたくて、悪しき道へ進み、悪しき道を歩む自分に気がついた。』と述懐する。」

 さらに続けて、「16歳当時、私の人生が何か間違っていることに気付きはじめた。私は何度も、新しい生活をはじめようと試みた。しかし、いつも失敗し、そしてもっと悪くなっていった。聖書も救いの道も知らなかったわけではなかった。問題は、私がその事をあまりにもよく知っていることだった。私たちの家庭では、聖書の言葉を暗唱しなければならなかった。それで、私は沢山の聖書の言葉を覚えていた。しかし、私は、まるでオウムのように復唱していた。私は、その言葉を知っていたが、私にとっては何の意味も持たなかった。リバイバル集会がその町に来れば、一生懸命出掛けた;しかし、リバイバル集会が終わると、私は古い生活に戻っていた。」と自分自身を語った。

 「そして、特別なリバイバル集会が始まり、みんなが、『今晩行くかい?』と言うので、私は、『ああ、多分。』と言った。私は四晩にわたって出掛け、もう行かないと決めた。私は、何かを求めていたが、私にはそれがなんだかよく分からなかった。私は神を求めていると思っていたが、実は、私が求めていたのは、神の所有しておられるものであった。次の日の夜、私は家に留まり、全てのことを、もう一度よく考えてみた。私は、自分自身が罪の中に堕落しており、失われた罪人であることに気がついた。次の晩、私はその集会に出掛け、決心の招きがされると、前へ進み出た。カウンセラーは、「キリストが罪人のために死なれたことを信じますか?」と質問した。しかし、私は聖書の答を全て知っていた。私の魂が救いを握るにはまだ、何か足りなかった。私はそれを得ることが出来なかったように感じ、現実感がなかった。その晩、集会から家に帰ると、ベッドへ行き、私はそこに跪いた。するとこんな考えが浮かんだ:万一、今晩私が死んだとすると、私は永遠の滅びに向かうだろう。地獄は、私にとって他の誰よりもひどいところになるだろう。なぜなら、私は福音を聞きそれを捨てたからだ。」

 「そして、私は必死の思いで神に叫んだ。『主よ。私をお救い下さい。そうでなければ滅びてしまいます。』まさに、そこで、何かが起きた。主の栄光が私に開かれ、私の魂に、救いの現実感が満ちあふれた。」

 「まず最初に頭に浮かんだのは、私の救いのために長年に乗り続けてきた母のことであった。私は、その瞬間にも、彼女は祈り続けていたに違いないと思った。私は、自分の部屋から飛び出して、母の部屋へ走った。そして、『お母さん!全て解決したよ。もう、僕のために祈る必要はないよ。僕は救われて天国へ行けるんだ。』と言った。彼の母も喜んで涙ぐんだ。これが彼女の祈りへの答であった。」

 ルターナ自身は、「救いを知った喜びはいかばかりか。その晩以来、私の罪が洗い流されたことを疑ったことがない。」と語る。

 伝記作者は、「人生のあらゆるもの支配することを常としてきた自信に満ちた若者が、今やキリストの愛によって支配されているという事は、それを目撃した者たちにとって、実に、恵みの奇跡である。」と締めくくっている。