A・B・シンプソン
「同盟基督教団と宣教団の設立者」

 アルバート・B・シンプソン(1843-1919)は、長い間、同盟基督教団、および、同盟基督宣教団として知られるようになった団体の設立者として記憶にとどめられるであろう。新しい教派として始まったのではなく、むしろ、そのグループの教会が、世界中に広がった。特に、世界中に宣教師を派遣するグループとして認められている。
 ルツ・タッカーは「エルサレムからイリアン・ジャヤまで」の中で、シンプソンについて、次のように語る。「彼の宣教師達への影響は非常に大きい・・・主として、彼の影響力によって、20世紀における海外宣教は、北アメリカの福音的な教会にとって、最も重要な伝道活動になった。」と語り、「彼の宣教師訓練学校の概念は、その後、数十年にわたって、北アメリカ中に広まった聖書大学運動となり、自立フェイス・ミッションが、人材を募集する主な場所を提供するようになった。」とも語っている。

 J・ギルクリスト・ローソンは、「有名な宣教師達」の中で、こんな興味深い逸話を紹介している。「シンプソン博士は、600万ドル以上を管理し、16以上の異なる宣教地に、400以上の地区本部を開設し・・・多くの書籍を著し、300以上の賛美歌を作詞した。」

 シンプソンはまた、「たぐいまれな説教の能力」を見せた(タッカー)。D・L・ムーディが友人A・T・ピアソンに、「ちょうど、A・B・シンプソンの説教を聞きに行ってきたところだ。あの人のように、私の心をつかんだ人はいない。」と言ったと伝えられている(「A・B・シンプソン」A・E・トンプソン著)。そして、C・I・スコッフィールドは、「偉大な説教者、現代に生きる神の人の中で、・・・A・B・シンプソン博士は、人の魂の奥底に、最も力強く迫る説教者としてあげられる・・・この熟練し円熟した賜物と詳述し組織する力とがあいまって、彼をして、その時代の偉大なキリスト教指導者たちの中でもたぐいまれな人物となした(トンプソン)。」と報告されたという。

 W・B・リリー博士の著書、「講解者と伝道者の聖書」40巻セットの目次巻に、A・B・シンプソンの著書からの10箇所の引用がある。一例を挙げると、リリー博士は、シンプソン博士の著書からの長い引用を紹介して、「A・B・シンプソン博士は、「主ご自身」という小さなトラクトを書いておられるが、私はすべてのクリスチャンが読む必要があると思う。」と語っている。「疑いもなく彼の著書にはもっとたくさんの事が書いてあるだろう。なぜなら、シンプソン博士は、70冊以上の本を書いているそうだから。」(トンプソン)

 シンプソン博士が、いかに円熟した人物であったかを示すように、「その講壇での働き、牧会上の仕事、学院での講義、伝道旅行、手紙のやりとり、編集の仕事、著作の準備、賛美歌の作詞、管理責任と、彼の多くの活動は数え上げるまでもない。(トンプソン)」と記されている。彼は、はじめて、アメリカ大陸に関する宣教写真画報を編集した。

 少なくとも、私たちにとって、さらに注目すべき事は、ウィルバー・スミス博士が、シンプソンの著作物を高く評価したことです。「有益な聖書研究」の中で、スミス博士は、自身で厳選した評価の高い書物のリスト「聖書研究者が最初に持つべき100冊の本」(1939年発行、1953年改訂版発行)を紹介している。その厳選されたリストの最初にA・B・シンプソンの著作物が推薦されている:「聖霊すなわち上よりの力」である。この本について、スミス博士は、「私たちは、聖霊に関するあらゆる著作物は、それを著した聖書教師や牧師達によって、納得のいくまで調べられると私たちは信じている。シンプソン博士は、神の言葉の深遠な知識を持ち、確かに偉大な説教者であり、敬虔に生きている。」そして、最後に、スミス博士は、「個人的には、私は、シンプソン博士が、彼の聖書解釈のある部分に従って生きることができるとは信じてはいないが、それでもなお、彼のこの書物を心から推薦する。」と言っている。

 多分、彼の偉大さの故であろうが、物事は、A・B・シンプソンにとって、それほどたやすく、また思い通りに運ばなかったのが現実です。彼は、何度も動揺し、もがき苦しんだ。彼の救いの確信すら、簡単にはやってこなかった。トンプソンの伝記から、その辺の所を彼自身の言葉で語ろう。

 「私の父は、古い学校の長老派の優れた長老で、小教理問答書、予定説、ピューリタンの良家に伝わる伝統的な原則を信じていたが・・・私は、キリストに個人的な希望を抱いてはいなかった。私の受けたすべての宗教的な訓練は、私の内に、イエス・キリストの単純で素晴らしい福音の概念のかけらも残さなかった・・・誰も私に、約束を単純に信じることも、十全で無代価で提供されている救いをも語らなかった。それ故、私にとって、哀れな罪人に、「めぐみの門のところで、ノックしたり、嘆いたり、じっと成り行きを見守ったりする必要はない。なぜなら、恵みの無償の贈り物は、ただで提供されており、それは、あなたが来るのをずっと待っていたのだから。」と語る事が、いかに喜びであったことか。」

 「私の人生は、危機に瀕していた。なぜなら、私は、神様は、私が救いを見出すまで十分待っていてくださるだろうと思っていたからだ。ある日、私の年老いた牧師であり教師である方の図書室で、私は、偶然、古い一冊のかびくさい本に出会った。ページをめくるうちに、私に永遠のいのちの門を開くことになる一文に目がとまった。そこにはこんな風に書いてあった:『あなたがこれからする仕事の中で最善の仕事は、主イエス・キリストを信じることである。それをしないなら、あなたのわざも、祈りも、涙も、行いを改めようとする決心も、全て空しい。主イエスを信じることは、主が、あなたを主の言葉によって救ってくださると信じることである。即ち、「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。(ヨハネ6:37)」と主が語られたゆえに、主は、今、ここで、あなたを受け入れ、救ってくださると信じることである。このことをなしたその瞬間に、あなたは永遠のいのちに入り、すべての罪が赦され義と認められ、新しい心を得るのです。』・・・」

 「道に迷った哀れな私にとって、この言葉は、さながら、ダマスコ途上のサウロが打たれて倒れたあの天来の光のようであった。私はすぐさまひざまずき、主を見上げて祈った。『主イエス様。あなたは‘わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。’と言われました。あなたは、私が、どんなに長い間、あなたのもとへ行こうと懸命に努力してきたかご存じです。でも、私はどうすればよいか分からなかったのです。私は今、最善を尽くしてあなたのもとへ行き、単純にあなたのお言葉であなたをとらえたので、あなたは私を受け入れてくださり、救ってくださり、私は今、赦され、救われた神の子であると敢えて信じます。』」

 「私は、このみことばを持ち出し、この信仰告白をすることが出来るまで、大いなる敵対者と信仰の戦いをした;しかし、その信仰の決断をして心を定めるや否や、信じた魂には必ずやってくる天来の確信が私の心に宿った・・・」

 「回心して以来、私の心には霊的祝福が満ちた。神の約束は、驚くべき新しい光を私の魂に照らした。かつて空しかった聖書の言葉は、神の啓示となり、私にとって特別に意味あるものとなった。」

 このようにしてアルバート・B・シンプソンは、すべての真実な魂がスタートする場所、即ち、単純な信仰というスタートラインに立った。願わくは、ひとりでも多くの人々が、この同じスタートライに立つことを!