ナルシシズムの研究

これは、1999年11月3日、山形第一聖書バプテスト教会で行われた、KGK講演会において語った「ナルシシズムを鍵とした若者理解とカウンセリングの実際」という講演の要旨に手を加えたものです。


ナルシシズムを鍵とした若者理解とカウンセリングの実際

 私のような者を講師に、このような、講演の機会を設けてくださった、KGKの皆さんと大沼主事に、心からお礼を申し上げたいと思います。
 私は、心理学の専門家ではありませんし、また、大学で心理学を専攻したわけでもありません。心理学を学んだといえば、大学の教養部の時代に、心理学を4単位履修しただけで、しかも、私は、フロイトの理論の中に出てくるリビドーの概念や、人間の発達の段階を、「口唇期」「肛門期」などと分けるやり方に、つまずきまして、心理学とは、何とくだらない学問だろうか・・・と軽蔑をしておりました。そんな心理学については、全くの門外漢でありますのに、このようなテーマの講師をするというのには、いくつかの理由があります。
 第一は、登校拒否などの問題を抱えた青年たちとの出会いです。
 第二は、大沼主事に助けていただいて、某カルト教団に入っていた青年たちのカウンセリングをしたことです。
 第三は、一人の風変わりな大学生との出会いです。
 このような出会いの中で、私は、自分の今までの考え方や、生き方では、彼らの必要に、とても対応できないと感じて、大学時代に軽蔑していた心理学の本をいろいろと読み始めたのです。その中で、私の興味を引いた概念が「ナルシシズム」という概念でした。そこで、ナルシシズムについて学び始め、これは、重要な概念ではないだろうか・・・と感じ、そんなことを、大沼主事に、話したか、手紙に書いたかした記憶があります。
 そんなことがきっかけで、数年前に、山形県の左沢で行われた春期学校の分科会で、「対人関係〜自己受容と自己愛」というテーマについてお話しさせていただきました。そこから、波紋が広がりまして、田舎牧師の戯言が、戯言ですまなくなりまして、このような席に招かれて、お話をすることになりました。
 ですから、心理学の専門家のお話としてではなく、問題を抱えた青年たちに触れて、手も足も出ない自分を発見した田舎牧師が、どのようにして彼らを理解しようか、どのように、彼らに福音を伝えようかと、苦闘した体験としてお聞きいただければ幸いです。

T.ナルシシズムという概念

 1.ナルシシズムという概念との出会い

 私が、ナルシズムという概念と出会ったのは、二つの出来事がきっかけでした。
6年ほど前に、某カルト教団からの救出活動に関ったときです。そのころ、私は、救出活動のために、毎週、2〜3度、仙台まで、自動車で通っておりましたが、同時に、福島の教会には、登校拒否等の問題を抱えた青年たちや壮年が、出入りしており、毎日が緊張の連続という生活をしておりました。特に、その中で、ひとりの青年から一冊の本を紹介されました。それが、「ナルシズム〜天才と狂気の心理学」という講談社現代新書との出会いでした。
 この本を紹介されたことと、某カルト教団からの救出活動の過程で、大沼主事の紹介で、仙台におられる田口さんと出会い、また、その著書に触れて、ナルシズムというものが、某カルト教団の用いるマインドコントロールに重要な役割を果たしていることを知りました。某カルト教団において、「泣いている神」を紹介された人々は、自分の過去に体験した辛い思い出、屈辱的な記憶が甦り、それを「泣いている神」に重ねあわせることで、ちょうど鏡に映った自分の姿に同情し、哀れむようにして、「泣いている神」に同情し、狂信的な信仰へと駆り立てられていくのだと、田口さんは、分析しておられます。実際に、救出活動で出会った青年たちの姿を見たとき、その分析の鋭さを実感しましたし、同時に、これは、某カルト教団に入っている人々だけの問題ではないと、直感しました。現代の多くの青年たちの心理的傾向の根にナルシシズムの問題があると感じました。老人問題に触れても、同様の心理的傾向が存在することに気が付きました。それから、私は、ナルシズムということばに注目しはじめました。

 2.コフートの理論

(1)ナルシシズム論の発展

私が、ナルシシズムという概念を学ぶ中で、一番興味を持ったのは、アメリカの精神医学者で、コフートという人の主張した自己心理学でありますが、そのコフートの理論を説明する前に、一体、ナルシシズムという概念は、どのように発達してきたのかということを簡単に説明したいと思います。
@ネッケの定義;
 ポール・ネッケという精神分析学者は、「自分の姿や自分の肉体にのみ愛や性欲を感じる」という性倒錯を、「ナルシズム」と命名しました。
Aフロイトの定義;
 次いで、フロイトは、もう少し広い意味を持たせ、「自分自身を、自分の身体を、愛の対象とする」ものをナルシズムと定義し、人間のリビドーの発達段階(性的発達段階)は、自体愛→自己愛→対象愛という順序で進むものと考えました。フロムは、「ナルシズム」は、フロイトの発見のうち、最も実り豊かで大きな影響を与えたもののひとつであると評価しています。しかし、フロイトのナルシズム論は、彼の「神経症は、自我本能と、性本能(リビドー)との葛藤によって生じる」という理論を、かなり複雑なものとしてしまい、彼自身も満足していなかったし、決して成功したとはいえないものであったようです。しかし、性欲論から始まった彼の研究の後半は、人間の全能感の問題、すなわちナルシズムの研究に費やされたのです。
 フロイトのナルシズム論によれば、人を愛する成長した人間になるための第一歩は、「私を愛すること」、すなわち、自分自身を愛するナルシシズムなのだというのです。しかも、そのナルシシズムは、「だめな私を愛する」ではなく、「何でも出来る世界一の自分を愛する」という形で経験されるのだというのです。ところが、そのような自己愛の時代は長く続きません。早晩、自己愛の傷つきを経験することになります。その傷つきのなかから、自分の周りの他者を愛するという対象愛が生まれてくるのだというのです。
 フロイトは、ナルシズムについて、精神病・幼児のナルシズムの研究から入り、その全能感と幼児性の克服こそ、自我の成熟の道であると主張したのです。フロイトの理論に従えば、精神病は、病的なナルシズムへの退行と説明されます。
Bフェダーンのナルシズム論
 フロイトの忠実な弟子であったフェダーンは、人間には、その精神生活を安全に、しかも楽しく営む上で、必要不可欠な健康なナルシズムというものがある。この健康なナルシズムの満足は、あらゆる精神活動のエネルギー源である。フロイトは、病的な自己愛や、幼児的な自己愛のみをナルシズムとみなしていると批判しました。彼の理論によれば、精神病は、健康な自己愛の欠如であったのです。

(2)コフートの理論

 最近では、アメリカの精神医学者コフートが、フロイトやフェダーンのナルシズム論を統合する形で新しいナルシズム理論を提出し、「自己心理学」を確立しました。
 コフートの理論は、フロイトの考えた一次的ナルシシズム期の「私」を「誇大自己」と呼び、この誇大自己が機能する自己へと成長していく過程を体系化したのです。 
 コフートは、自己の発達を三つの時期に分けて考えます。第一は、「断片的自己期」と呼ばれる誕生から6〜8ヶ月の時期。第二は、「凝集自己期」と呼ばれる1〜5歳までの時期。第三は、成人に至るまでの「機能的自己期」です。その断片的自己期に、未熟な自己は、三つの欲求を持っているのだそうです。
 @自己を誇示し、見せびらかしたいという欲求。母親がこの様な欲求を受け止め、その表情の中に映し出してやり、「太郎ちゃんは、立派な男の子よ」といった称賛をおくることによって、子どもは満足し、自己をよく表現するようになります。ところが、もし共感が得られないと、自分を見せびらかしたり、自慢したり、大ぼらをふくような、自己顕示的な人物となると言います。
 A理想的な存在である父と融合したいと思う欲求。この時期に、父親が、理想的な父親としての役割を果たし得ないと、自分の一生を通して導く理想が持てないばかりか、この父に代わる対象、即ち、スターや英雄や教祖に心酔するような人物となると言います。
 B同じような人間と交わり、同化したいという分身欲求。これに失敗しますと、人との関りが巧くできず、孤独と疎外感を感じる人物となると言うのです。
 コフートのナルシズム論の特徴は、未熟な乳児期のナルシズムから健康な十分発達したナルシズムへと成長すると考え、病的なナルシズムと健康なナルシズムという対立する概念を自己の成熟という視点で統合した点にあります。未熟な自己が持つ三つの欲求が満たされると健康なナルシズムが発達するが、その欲求が満たされない時に、ナルシズムは未発達なままにとどまると考えている点です。コフートの理論では、フロイトの考えた二次的ナルシズムというものは、ナルシズムの発達が不全で、未だに幼児期のナルシズムに留まっているか、健全なナルシズムを発達させながら、退行して、その段階に逆戻りしたケースであると考えているのです。

2.自己愛人格障害

 なぜ、コフートの理論が注目されているかといいますと、現代は、コフートが、その治療法を確立した「自己愛人格障害」と呼ばれるような人格傾向を持った青年たちが、非常に増えてきたといわれているからです。小学校の先生方に聞きましても、大変「ジコチュー」な子どもたちが多くなってきていると言います。学級崩壊という言葉がありますが、学級だけではない、会社も崩壊する時代がすぐそこまで来ているのではないでしょうか。
 そして、そのような、問題を抱えた青年たちは、皆、等身大の自己像を手に入れることが出来ずに、コフートのナルシシズム理論で言うところの「誇大自己」を手放すことが出来ずにいる青年たちであると言えると思います。
 なぜ、彼らが、幼児的な誇大自己を手放すことが出来ないのかと言いますと、二つほどの理由が考えられます。
 @幼児期に、悲惨な自己愛の傷つきがあり、しかも、それを克服するために必要な、理想的親イメージや、自分の誇大自己を鏡のように映しだしてくれる保育者を持つことが出来なかったりしたときに、子どもたちは、その自己愛の傷つきを補償する形で、空想的な誇大自己を肥大させるケースです。
 A幼いときから、あまりにも大事に育てられたために、赤ん坊の頃の幻想的な自己愛が、危機にさらされることなく成長し、自己愛人格障害と呼ばれるような人格を形成する場合です。

3.DSM−Wによる人格障害の診断基準

(1).自己愛性人格障害の診断基準

 誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。
  @自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにも関わらず優れていると認められることを期待する)
  A限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
  B自分が“特別”であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちに(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
  C過剰な賞賛を求める。
  D特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
  E対人関係で、相手を不当に利用する、つまり自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
  F共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
  Gしばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思いこむ。
  H尊大で傲慢な行動、または態度。

2).境界性人格障害の診断基準

 コフートと同様に、ボーダーラインの研究をして、その治療法を確立したカーンバーグは、コフートが「自己愛人格障害」と名前を付けたのとほぼ同様の特徴を持つ人々を研究し、「境界性人格障害」と名付けた。両者共に、自己愛の傷つきや、発達不良、もしくは病的な発達を遂げた状態であると考えられていることから、「境界性人格障害」も、ナルシシズムの障害と考えることが出来る。
 コフートも、カーンバーグも、「自己愛人格障害」は、「境界性人格障害」の軽症であるものと理解した。
 そこで、境界性人格障害の特徴と、DSM−Wの診断基準を以下に述べよう。

 境界性人格障害とは、対人関係、自己像、感情の不安定および著しい衝動性の広範な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。
  @現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとする気違いじみた努力。
  A理想化とこきおろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係様式。
  B同一性障害:著名で持続的な不安定な自己像または自己感。
  C自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの
    (例:浪費、性行為、物質乱用、無謀な運転、無茶食い)
  D自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為の繰り返し。
  E顕著な気分反応性による感情不安定性
    (例:通常は2,3時間持続し、2,3日以上持続することはまれな、エピソード的に起こる強い不快気分、いらいら、または不安)。
  F慢性的な空虚感。
  G不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難
    (例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いの喧嘩を繰り返す)。
  H一過性のストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離性症状。

 この診断基準は、普通の人が読んでも、自分も当てはまると感じますが、このような傾向が強くて、社会生活を行うことが困難な人々に対して、精神科の医師が判定を下すべきものであることを肝に銘じるべきです。素人が「あの人は・・・」などと、診断すべきものではありません。しかし、この病的な傾向の中から、最近の青年たちに多い、人格の傾向を知ることは出来ると思います。自己愛性人格障害の方は、彼らの中の、誇大な自己像が問題ですが、境界性人格障害は、「見捨てられ不安」が問題だと言われています。誇大な自己像、そして見捨てられ不安は、青年たちの行動を理解する上で、大切な鍵であります。

U.ナルシシズム社会

 最近、このような自己チュー児が増え、職場や学校における困ったさんが増えている背景には、やはり、社会的な背景があるのだと思います。
 現代は、「ナルシズムの時代」と呼ばれますが、それは、現代の文明社会が、ナルシズムを肥大化させる構造的な問題を持っているからにほかなりません。

 第一に、現代は、価値観の多様化した時代です。小此木啓吾氏は、現代は、性の解放、家の解体、国家幻想・宗教幻想の喪失によって、様々の権威が失墜し、今まで、私たちを縛って来たこれらの権威から自由になった結果、私たちが、その権威を打ち倒してのではないのだけれども、私たちの自己全能感は、知らぬうちに肥大していると分析しておられます。

 第二に、現代は、現実原則感覚の喪失した時代です。現実原則とは、人間が、自然環境に適応して暮らすために従わなければならない自然の法則です。ところが、現代は、その現実原則を、人間が、かなり操作できる時代になっているのです。暑い時にはクーラー、寒い時にはストーブ、冬にスイカを食べる…といった具合に、生きていく上で、私たちが従うべき現実原則が希薄になり、それらを操作し得るという自己全能感が強くなっているのです。

 第三に、第一次去勢不在の子どもが増えている時代です。人間は、三歳くらいまでの時期に、赤ん坊の原始的・幻想的な自己愛状態から、一度脱却して、現実とつながった人間になる必要があるのです。ところが、現代は、その様な第一次去勢を行う事は、教育上良くないのではないか…と子供本位の子育てをすることが一般的になり、多くの子供達が、第一次去勢を通過せずに、成長してきているのです。そこで、誇大な自己像、全能で完璧な自己像が砕かれないままに、成長しますから、現実の世界の挫折を上手に受け止める事が出来ず、様々の問題を引き起こすのです。

 第四に、現実が虚像化した時代です。テレビ・コンピューター等の発達は、現実の世界と虚像の世界の境界線を曖昧にしました。現実世界のわずらわしい人間関係を避けて、テレビ、ゲーム、コンピューター等の虚像の世界に逃げ込み、ナルシズムの崩壊を拒否する若者が増えているのです。例えば、テレビの映像は虚像ですが、その虚像の方が力を持ちはじめ、自分の実像が空しいものとなって、精神のバランスを欠く俳優や、女優さんたちも多いのではないかと思うのです。

V.カウンセリングの実際

 さて、このような人格傾向を持った青年たちに触れていく際の留意点をいくつかお話ししたいと思います。
 私は、カウンセリングの訓練を受けたわけではありませんから、詳しいことは、是非、専門の本を、参考にしていただいて、皆さんが、学び、自分のものとしていただきたいと思います。私は、ここで、青年たちを理解し、交わりを深めていく際に気をつけなければならないことをお話しするにとどめたいと思うのです。

@傾聴する。
 青年たちの語る言葉を傾聴することが、カウンセリングの第一歩です。これは、どんな人とのふれ合いにも欠かすことが出来ない大切な要素です。私は、しゃべることが苦手で、すぐに話題がつきてしまうという自分の欠点が幸いして、聞くことの重要さに気がつきました。最初、教会を初めて尋ねてきた人たちに、どのように接して良いか分からず、しばしば、沈黙が続きました。ところが、この沈黙の間に、来られた方は、自分の考えをまとめ、ぽつり、ぽつりと、自分を語られることに気がつきました。それから、しゃべるのが苦手であることも、沈黙が続くことも、それほど苦にならなくなりました。とにかく、聞くことです。聞くことの大切さは、アウグスバーガー著「親身に聞く」という本を参考に、学ばれたらよいと思います。私も、この本で、ずいぶん教えられました。

A共感する。
 現代の青年たち、子どもたちの特徴の一つは、共感性に欠けると言うことです。それは、共感されてこなかったから、共感することが出来ないと言うことでしょうか・・・。
 けれども、間違っていけないことは、共感すると言うことは、相手の言うことに全て同意すると言うことではないのです。特に問題を抱えて相談に来た自己中心な青年たちの多くは、事実をゆがめて認識していますから、彼らの語る親子関係、職場の人間関係などは、そのまま鵜呑みにすることは出来ません。
 もし私たちが、彼らの主張を鵜呑みにして、「それはひどいお母さんだ・・・」「そんなお父さんは、普通いないよ・・・」「えっ、そんなことを言う牧師は、牧師として失格だ・・・」などと語りますと、彼らの肥大したナルシシズムは、さらに肥大して、彼らの問題をさらに悪化させることになります。
 共感すると言うことは、彼らの認識した現実はともかく、彼らの内部に生じている感情の渦を理解し、その感情に共感を示すと言うことです。悲しい・・・、辛い・・・、裏切られた・・・、寂しい・・・、だれも顧みてくれない・・・こう言って語る彼らの感情を受け止め、理解を示すことが、とても重要です。共感されることで、心の内部にカタルシスとも言うべき浄化作用が働き、前向きに、新しい力を得て進むことが出来るようになるのです。

B自分自身を見つめる。
 私は、問題をもって尋ねてきた青年たちに触れて、自分自身を見つめることが出来たと振り返っています。否、むしろ、自分自身を見つめさせられたと言うべきでしょうか。
 彼らの語る言葉に耳を傾けるうちに、自分の内面が探られましたし、自分が、どんなに自己中心であるかとか、彼らの問題が、彼らの問題ではなく、私自身の問題であるように感じたこともしばしばです。また、牧師としての私のエゴと対決させられたこともしばしばです。牧師としてのエゴを捨てて、一人の人として、彼らに触れ、彼らを愛さなければならないことを痛感させられたこともしばしばです。私たちが、自分自身を見つめることなしに、青年たちに触れることは出来ないと思います。
 特に、青年たちが、尊敬し、慕ってくれているとき、自分は、そのことが心地よくて、行動しているのではないか。あるいは、青年たちの反発や怒りが自分に向けられたとき、自分の内部にどのような感情が生じているか、よく観察し、自分をコントロールすることが必要です。そうでないと、相手のためにと思ってしていることが、相手を自分のために利用し、彼らの成長を妨げていることになってしまいますし、過剰な反応が、彼らとの人間関係を破壊してしまうことがしばしばです。

C転移・逆転移という現象を知る。
  コフートは、自己愛人格障害の治療において、観察される特殊な転移を発見した。一般に、転移とは、(1)幼児期に抑圧された感情が現れる。(2)様々の人間関係の中で繰り返し現れる。(3)古い対象(父母)と、新しい対象(上司、教師、医療担当者など)とが混同される。という三つの用件を持っている。しかし、自己愛人格障害と命名された患者の場合には、(2)と(3)の要件は備えているが、(1)とは異質の転移の仕方があることに気づいたのです。それが、鏡映転移・理想化転移です。

鏡映転移;自己の全能感、誇大感を、「母親の目の輝き」をもって映し出してほしいという幼児の基本的欲求が再活性化し、治療者に転移されるもの

理想化転移;両親を理想化された全能の存在として体験し、その理想化された親と融合し、同化したいという欲求が再活性化し、治療者に転移されるもの

 コフートは、この転移を治療に利用するのですが、私たちは、精神科医ではないので、この転移感情について、注意すべき点をいくつか挙げたいと思います。

 精神的に問題を持った青年たちと関わるときに、親しくなるに連れて、この転移と呼ばれる現象が生じて、青年たちの心の中に、転移感情と呼ばれる陽性あるいは陰性の感情が表れます。
 それに対応して、私たちの心の中にも、彼らに生じた転移感情に対応した感情が生じます。これを逆転移と呼び、そこに生じた感情を逆転移感情と呼びます。
 その感情は、しばしば、私たちを驚かせ、それに対する反応の如何によっては、彼らとの関係がこじれたり、完全に、切れてしまったりします。カウンセリングに立ち会う私たちは、その様な転移感情、また、自分の心の内部にうごめく逆転移の感情を慎重に観察し、不用意な衝突や、感情的な対立を避ける必要があります。自分の感情をコントロールできない場合には、カウンセリングを他の人に譲る勇気も必要です。

D健全な自己愛を得るのは、キリストの十字架を通してであることを、常に確認する。
 私たちが、いつも、心の中に留めて忘れてはならないことは、キリストの十字架の福音こそが、健全な自己愛を確立し、その人を真に自由にするのだと言うことです。私たちの共感や、傾聴には、限度があります。問題を抱えた青年たちは、私たちが共感し、傾聴するとき、私たちには、過重な要求を突きつけてきます。けれども、そんなときに、力んだり、無理をすることは、禁物です。彼らのその要求に応えうるのは、イエス様だけだ、そのことをわきまえて、自分の分を守り、彼らに、その要求には、応えることが出来ないことを語ることです。
 そして、彼らが、人ではなく、イエス様に目を向けることが出来るように、励まし、祈ることです。
 
E一人で背負い込まないで、チームワークを大切にする。
 問題を抱えた青年と関わることは、相当のエネルギーを消費することになります。一人で関わることは、大変危険ですし、成果を上げることも困難です。チームを組んで、関わるとき、大きな成果を上げることが出来ます。私の場合、大沼主事が助けてくださったことや、教会内に、そのような青年たちの面倒を見てくださる協力者があったことは、大きな力でした。また、自分が独りよがりにならず、多くの人の視点を共有できたこともプラスでした。

F専門家の助けが必要な場合があることをわきまえる。
 問題を抱えた青年の中には、専門家の助けや、アドバイスが不可欠である人が少なくないと思います。その様なときに、変なこだわりが出て、専門家に相談することを躊躇しますと、大きなトラブルになることがあります。特に、鬱状態を抱えていたり、妄想、幻聴、幻覚などの症状があるときには、要注意です。


参考文献・推薦図書

 1.「ナルシズム−天才と狂気の心理学−」 中西信男著 講談社現代新書
 2.「<じぶん>を愛するということ−私探しと自己愛ー」 香山リカ著 講談社現代新書
 3.「自己愛人間−現代ナルシシズム論」 小此木啓吾著 ちくま学芸文庫
 4.「現代人の心にひそむ『自己中心性』の病理」 町沢静夫著 双葉社
 5.「境界例と自己愛の障害−理解と治療に向けて−」 井上果子・松井豊著 サイエンス社
 6.「<自己愛>の構造」和田秀樹著 講談社選書メチエ

 7.「親身に聞く」 アウグスバーガー著 棚瀬多喜雄訳 すぐ書房
 8.「自分自身を愛する」 W・トロビッシュ著 狩栖健太郎訳 すぐ書房
 9.「傷ついた感情へのいやし」 マーティン・H・パドヴァニ著 大西康雄訳 ヨルダン社
10.「自分を愛することのジレンマ」 ジョアンナ&アリスター・マグラス著 小渕朝子訳 いのちのことば社
11.「スピリチュアル・ジャーニー−福音主義の霊性を求めて−」 坂野慧吉著