若者の心の闇とナルシシズム


 私は、心理学の専門家ではありませんし、また、大学で心理学を専攻したわけでもありません。心理学を学んだといえば、大学の教養部の時代に、心理学を4単位履修しただけで、しかも、私は、フロイトの理論の中に出てくるリビドーの概念や、人間の発達の段階を、「口唇期」「肛門期」などと分けるやり方に、つまずきまして、心理学とは、何とくだらない学問だろうか・・・と軽蔑をしておりました。そんな心理学については、全くの門外漢の私が、このようなテーマでお話をするという事には、いくつかの理由があります。

 第一は、登校拒否などの問題を抱えた青年たちとの出会いです。
 第二は、某カルト教団に入っていた青年たちのカウンセリングをしたことです。
 第三は、一人の風変わりな大学生との出会いです。

 このような出会いの中で、私は、自分の今までの考え方や、生き方では、彼らの必要に、とても対応できないと感じて、大学時代に軽蔑していた心理学の本をいろいろと読み始めたのです。その中で、私の興味を引いた概念が「ナルシシズム」という概念でした。そこで、ナルシシズムについて学び始め、これは、重要な概念ではないだろうか・・・と感じ、「このナルシシズムが肥大化していくメカニズムを知り、そのことを逆に適用すれば、問題を抱えた青年たちの援助ができるのではないか。」という発想を得たことが、ナルシシズムを学び始めたきっかけでありました。

 ですから、心理学の専門家の話としてではなく、問題を抱えた青年たちに触れて、手も足も出ない自分を発見した田舎牧師が、どのようにして彼らを理解しようか、どのように、彼らに福音を伝えようかと、苦闘した体験としてお聞きいただければ幸いです。


T.ナルシシズムという概念
(1)ナルシシズムという概念との出会い
(2)現代の若者事情とナルシシズム
(3)コフートの理論
(4)自己愛人格障害と境界性人格障害
U.ナルシシズム社会
V.カウンセリングの実際
W.結論
【参考文献・推薦図書】

T.ナルシシズムという概念

(1)ナルシシズムという概念との出会い

 私が、ナルシズムという概念と出会ったのは、二つの出来事がきっかけでした。
 10年ほど前に、某カルト教団からの救出活動に関ったときです。その頃、ひとりの自殺志願の青年との出会い、一冊の本を紹介されました。それが、「ナルシズム〜天才と狂気の心理学」という講談社新書でした。
 この本を紹介されたことと、某カルト教団からの救出活動の過程で、仙台在住の救出カウンセラーTさんと出会い、また、その著書を読み、ナルシズムというものが、某カルト教団の用いるマインドコントロールに重要な役割を果たしていることを知りました。
 某カルト教団では、「泣いている神」を紹介します。紹介された人たちは、自分が過去に体験した辛い思い出、屈辱的な記憶を「泣いている神」に重ねあわせることで、ちょうど鏡に映った自分の姿に同情し、哀れむようにして、「泣いている神」に同情し、狂信的な信仰へと駆り立てられていくのだと、Tさんは、分析しておられます。

 カルトの教え込みを一方的に信じて、正しい現実認識ができなくなっている青年たちの姿は、また、登校拒否をしたり、引きこもったりして、教会を紹介されて来た青年達の姿に、よく似ていましたし、その両者の心の闇が、ナルシシズムというキーワードでつながっていることにも、驚きを感じました。それから、私は、ナルシズムということばに注目しはじめました。

 ナルシシズムという概念は、ギリシャ神話のナルキッソスの物語から由来しています。ナルキッソスが、水面に映った自分の姿に見とれて遂に死に至る、という物語は、非常に示唆に富んでおります。現代の若者の心の闇は、このナルシシズムという概念によって、とてもよく理解できるのではないでしょうか。

 今日は、いくつかの実例を挙げて、ナルシシズムという概念が、現代青年の心の闇にどのような光を当てるかをまずお話しし、ついで、ナルシシズムという概念についてさらに詳しくお話ししようと思うのです。

(2)現代の若者事情とナルシシズム

@少年の凶悪犯罪とナルシシズム

 まず、お手元の資料をご覧ください。毎日新聞5月23日号の第24面のコピーがあるかと思います。そこには、最近話題になりました二つの少年犯罪に関する影山任佐氏の文章が記されております。傍線を引きましたところをお読みしますと、

「ところが最近の傾向では『遊び型』でもない、一見動機がわかりにくい犯罪が増えてきている。私は『自己確認型』と名付けているが、そこには、空虚な自己を埋めたいという心理が根底にあると思う。『自分は何でも出来る』という幼児的な万能感、自己愛を引きずったままの少年が、受験などを契機に挫折してしまう。自己の優位性が崩れたとき、それを埋め合わせるために、犯罪に走って世間を騒がせ、社会に自分を刻むことで自己を確認するという心理に陥る。
 または、表面上は受験、学校という社会に適応しているように見え他も、仮面をかぶり続けることで自分を失ってしまうケースもある。ここから、相手の死によって自分の生を確認する、とでも言うような心理が生まれていく。こうした自己の病理(エゴパシー)による犯罪が最近の特徴といえるのではないか。」

と書いてあります。

 ここに登場する「幼児的な万能感、自己愛」というものが、実はナルシシズムのことです。また、犯罪を犯すことで、社会に自分を刻むとか、相手の死によって自分の生を確認するという心理の根底には、白雪姫の継母が、「鏡よ。鏡。世界で一番美しいのは誰?」と毎日問うて自己確認をしていたのと同様の心理があるのです。鏡に映し出された、世界で一番美しい自分の姿を見て満足し、鏡の中の自己像に陶酔している姿は、水面に映った自己像に見とれて死に至ったナルキッソスの姿そのものではないでしょうか。

Aやさしさの精神病理(大平健著 岩波新書 P.4)

 ひとりの少女は「私たちのやさしさってのはねえ」と前置きをして、次のように話しました。「この間、学校へ行くとき、普段なら坐れないのに、突然、前の席が空いて坐れちゃったのね。そしたら次の次(の駅)ぐらいの時、オジイさんが私の前に立ってェ、私、立ったげようかなって思ったけど、最近の年寄りって元気な人、多いじゃないですか。ウチのおばあちゃんなんかも孫以外の人がオバアさんなんて言ったら、もうプンプンだからァ、このオジイさんも年寄り扱いしたら気を悪くするかなあ、なんて考えてたらァ、立つのやめた方がいいかなんて考えてェ、寝たふりをしちゃったの」

こんなお話が、この本には出てくるのですが、若者の奇妙なやさしさには、「相手の自己像を傷つけてはいけない」という暗黙のルールがあるのです。

 この「自己像を傷つけない」という点が、ナルシシズムと深い関わりがあります。「自己像」は、「自己愛」と置き換えても同じ意味です。ですから、相手を年寄り扱いして、相手の自己愛を傷つけない方が、満員の電車の中で、席を譲ってあげるよりも、やさしいことになるのです。このような若者の感性を理解するためには、ナルシシズムという概念は、非常に役立つものではないでしょうか。

 また、コフートやカーンバーグというアメリカの精神医学者が研究した、自己愛人格障害とか、境界性人格障害と呼ばれるナルシシズムの障害を持った人々の姿は、現代の「ジコチュー」な青年たちの姿によく似ているのです。後の方で、このふたつの人格障害について、お話ししますが、みなさんの周りにも、そのような姿をした困ったさんが、結構いるのではないかと思うのです。 

(3)コフートの理論

@ナルシシズム論の発展

私が、ナルシシズムという概念を学ぶ中で、一番興味を持ったのは、アメリカの精神医学者で、コフートという人の主張した自己心理学でありますが、そのコフートの理論を説明する前に、一体、ナルシシズムという概念は、どのように発達してきたのかということを簡単に説明したいと思います。

1.ネッケの定義;

 ポール・ネッケという精神分析学者は、「自分の姿や自分の肉体にのみ愛や性欲を感じる」という性倒錯を、「ナルシズム」と命名しました。

2.フロイトの定義;

 次いで、フロイトは、同性愛の理解のために、ナルシシズムという概念を導入し、もう少し広い意味を持たせて、「自分自身を、自分の身体を、愛の対象とする」ものをナルシズムと定義しました。
 フロイトは、人間のリビドーの発達段階(性的発達段階)は、自体愛→自己愛→対象愛という順序で進むものと考えました。フロムは、「ナルシズム」は、フロイトの発見のうち、最も実り豊かで大きな影響を与えたもののひとつであると評価しています。しかし、フロイトのナルシズム論は、彼の「神経症は、自我本能と、性本能(リビドー)との葛藤によって生じる」という理論を、かなり複雑なものとしてしまい、彼自身も満足していなかったし、決して成功したとはいえないものであったようです。
 性欲論から始まったフロイトの研究の後半が、人間の全能感の問題、すなわちナルシズムの研究に費やされた事は、大変興味深いことです。

 フロイトのナルシズム論によれば、人を愛する成長した人間になるための第一歩は、「私を愛すること」、すなわち、自分自身を愛するナルシシズムなのだというのです。しかも、そのナルシシズムは、「だめな私を愛する」ではなく、「何でも出来る世界一の自分を愛する」という形で経験されるのだというのです。
 ところが、そのような自己愛の時代は長く続きません。早晩、自己愛の傷つきを経験することになります。その傷つきのなかから、自分の周りの他者を愛するという対象愛が生まれてくるのだというのです。
 フロイトは、ナルシズムについて、精神病・幼児のナルシズムの研究から入り、その全能感と幼児性の克服こそ、自我の成熟の道であると主張したのです。

3.フェダーンのナルシズム論

 フロイトの忠実な弟子であったフェダーンは、人間には、その精神生活を安全に、しかも楽しく営む上で、必要不可欠な健康なナルシズムというものがある。この健康なナルシズムの満足は、あらゆる精神活動のエネルギー源である。フロイトは、病的な自己愛や、幼児的な自己愛のみをナルシズムとみなしていると批判しました。フロイトは、精神病は、病的な自己愛への退行であるととらえましたが、フェダーンは、精神病は、健康な自己愛の欠如であると考えたのです。

Aコフートの理論

 最近では、アメリカの精神医学者コフートが、フロイトやフェダーンのナルシズム論を統合する形で新しいナルシズム理論を提出し、「自己心理学」を確立しました。
 コフートの理論は、フロイトの考えた一次的ナルシシズム期の「私」を「誇大自己」と呼び、この誇大自己が機能する自己へと成長していく過程を体系化したのです。
 コフートは、自己の発達を三つの時期に分けて考えます。第一は、「断片的自己期」と呼ばれる誕生から6〜8ヶ月の時期。第二は、「凝集自己期」と呼ばれる1〜5歳までの時期。第三は、成人に至るまでの「機能的自己期」です。その断片的自己期に、未熟な自己は、三つの欲求を持っているというのです。

(1)自己を誇示し、見せびらかしたいという欲求。母親がこの様な欲求を受け止め、その表情の中に映し出してやり、「太郎ちゃんは、立派な男の子よ」といった称賛をおくることによって、子どもは満足し、自己をよく表現するようになります。ところが、もし共感が得られないと、自分を見せびらかしたり、自慢したり、大ぼらをふくような、自己顕示的な人物となると言います。

(2)理想的な存在である父と融合したいと思う欲求。この時期に、父親が、理想的な父親としての役割を果たし得ないと、自分の一生を通して導く理想が持てないばかりか、この父に代わる対象、即ち、スターや英雄や教祖に心酔するような人物となると言います。

(3)同じような人間と交わり、同化したいという分身欲求。これに失敗しますと、人との関りが巧くできず、孤独と疎外感を感じる人物となると言うのです。

 コフートのナルシズム論の特徴は、未熟な乳児期のナルシズムから健康な十分発達したナルシズムへと成長する考え、病的なナルシズムと健康なナルシズムという対立する概念を自己の成熟という視点で統合した点にあります。

 未熟な自己が持つ三つの欲求が満たされると健康なナルシズムが発達するが、その欲求が満たされない時に、ナルシズムは未発達なままにとどまるというのです。コフートの理論では、フロイトの考えた二次的ナルシズムというものは、ナルシズムの発達が不全で、未だに幼児期のナルシズムに留まっているか、健全なナルシズムを発達させながら、退行して、その段階に逆戻りしたケースであるという事になります。

 このコフートの理論のどこが興味深いポイントかと言いますと、「誇大自己」という概念です。現代の問題を抱えた青年たちは、皆、等身大の自己像を手に入れることが出来ずに、コフートのナルシシズム理論で言うところの「誇大自己」を手放すことが出来ずにいる青年たちではないでしょうか。

 なぜ、彼らが、幼児的な誇大自己を手放すことが出来ないのかと言いますと、二つほどの理由が考えられます。

@幼児期に、悲惨な自己愛の傷つきがあり、しかも、それを克服するために必要な、理想的親イメージや、自分の誇大自己を鏡のように映しだしてくれる保育者を持つことが出来なかったりしたときに、子どもたちは、その自己愛の傷つきを補償する形で、空想的な誇大自己を肥大させるケースです。
 一般には、(1)両親の不仲。(2)虐待(身体的暴行・社会的隔離・心理的虐待)。(3)理想の押しつけ。(4)親が自分の問題に捕らわれている。(5)傷つきやすい親。などの 問題を抱えた家族関係が、ナルシシズムの障害となって現れると言われています。

A幼いときから、あまりにも大事に育てられたために、赤ん坊の頃の幻想的な自己愛が、危機にさらされることなく成長し、自己性愛人格障害と呼ばれるような人格を形成する場合です。

(4)自己愛性人格障害と境界性人格障害

 コフートは、シカゴに住む中流以上の、比較的社会に適応できている患者たちの臨床を通して、自己愛性人格障害の治療理論を生み出しましたが、一方のカーンバーグは、主に、メニガークリニックやコーネル大学付属ニューヨーク病院ウェチェスター分院というような入院患者の臨床から、境界性人格障害の治療理論を生み出しました。
 一般には、自己愛性人格障害は、境界性人格障害よりも、ナルシシズムの障害の軽いものであると考えられていますが、両者共に、同じような神経症と精神病との間の問題に取り組み、その精神病理の観点の違いから、別々の名前を用意したが、その根っこの部分は、同じで、ナルシシズムの障害として、このふたつの人格障害を取り上げることができます。

DSM−W(精神疾患の診断と統計マニュアル第四版 Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorder, 4th version)による人格障害の診断基準

1.自己愛性人格障害の診断基準

 誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。

 (1)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにも関わらず優れていると認められることを期待する)
 (2)限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
 (3)自分が"特別"であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちに(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
 (4)過剰な賞賛を求める。
 (5)特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
 (6)対人関係で、相手を不当に利用する、つまり自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
 (7)共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
 (8)しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思いこむ。
 (9)尊大で傲慢な行動、または態度。

2.境界性人格障害の診断基準

 対人関係、自己像、感情の不安定および著しい衝動性の広範な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。

 (1)現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとする気違いじみた努力。
 (2)理想化とこきおろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係様式。
 (3)同一性障害:著名で持続的な不安定な自己像または自己感。
 (4)自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物質乱用、無謀な運転、無茶食い)
 (5)自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為の繰り返し。
 (6)顕著な気分反応性による感情不安定性(例:通常は2,3時間持続し、2,3日以上持続することはまれな、エピソード的に起こる強い不快気分、いらいら、または不安)。
 (7)慢性的な空虚感。
 (8)不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いの喧嘩を繰り返す)。
 (9)一過性のストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離性症状。

 この診断基準は、普通の人が読んでも、自分も当てはまると感じますが、このような傾向が強くて、社会生活を行うことが困難な人々に対して、精神科の医師が判定を下すべきものであることを肝に銘じるべきです。素人が「あの人は・・・」などと、軽々に判断すべきものではありません。
 しかし、この病的な傾向の中から、最近の青年たちに多い、人格の傾向を知ることは出来ると思います。自己愛性人格障害の方は、彼らの中の、誇大な自己像が問題ですが、境界性人格障害は、「見捨てられ不安」が問題だと言われています。
 誇大な自己像、そして見捨てられ不安は、青年たちの行動を理解する上で、大切な鍵であります。

U.ナルシシズム社会

 最近、このような自己チュー児が増え、職場や学校における困ったさんが増えている背景には、やはり、社会的な背景があるのだと思います。
 現代は、「ナルシズムの時代」と呼ばれますが、それは、現代の文明社会が、ナルシズムを肥大化させる構造的な問題を持っているからにほかなりません。

 なぜ、現代が、ナルシシズムを肥大化させるような構造的問題を抱えているかと言いますと、簡単に言えば、ふたつの問題が浮かび上がってきます。
 第一は、豊かになったと言うこと。
 第二は、少子化と言うこと。このふたつの問題は、相まって、子供たちのナルシシズムが肥大するような構造的な問題を醸し出しているのだと思います。

 小此木啓吾氏は、現代が、ナルシシズムの時代となっている事を、次のように説明しておられます。

@集団幻想の解体した時代。現代は、性の解放、家の解体、国家幻想・宗教幻想の喪失によって、様々の権威が失墜し、今まで、私たちを縛って来たこれらの権威から自由になった結果、私たちが、その権威を打ち倒してのではないのだけれども、私たちの自己全能感は、知らぬうちに肥大している。

A自己愛幻想の氾濫する時代。現実が虚像化した時代です。テレビ・コンピューター等の発達は、現実の世界と虚像の世界の境界線を曖昧にしました。現実世界のわずらわしい人間関係を避けて、テレビ、ゲーム、コンピューター等の虚像の世界に逃げ込み、ナルシズムの崩壊を拒否する若者が増えているのです。テレビのコマーシャルなどで、白人の男性や女性がたくさん登場することなどは、人々が逃げ込める自己愛幻想の世界が、たくさんあることの一つの例でもあります。

B現実原則感覚の失われた時代。現代は、現実原則感覚の喪失した時代です。現実原則とは、人間が、自然環境に適応して暮らすために従わなければならない自然の法則です。ところが、現代は、その現実原則を、人間が、かなり操作できる時代になっているのです。暑い時にはクーラー、寒い時にはストーブ、冬にスイカを食べる…といった具合に、生きていく上で、私たちが従うべき現実原則が希薄になり、それらを操作し得るという自己全能感が強くなっているのです。

C執行原則の威光失墜の時代。「執行原則」というのは、人間が社会生活を送る上で、守らねばならない、社会的ルール(道徳、法律、慣習)を指します。現実原則感覚が希薄になるに従って、執行原則の威光も失墜しました。

D操作原則感覚肥大の時代。このような社会的な変化の中で、人は、操作原則感覚を肥大化させました。それは、ボタン一つで、自分の思い通りに何でも操作できるという感覚です。このようにして、人は、自己の全能感を高めている。

E第一次去勢不在の子供たちが増えている時代。第一次去勢不在の子どもが増えている時代です。人間は、三歳くらいまでの時期に、赤ん坊の原始的・幻想的な自己愛状態から、一度脱却して、現実とつながった人間になる必要があるのです。ところが、現代は、その様な第一次去勢を行う事は、教育上良くないのではないか…と子供本位の子育てをすることが一般的になり、多くの子供達が、第一次去勢を通過せずに、成長してきているのです。そこで、誇大な自己像、全能で完璧な自己像が砕かれないままに、成長しますから、現実の世界の挫折を上手に受け止める事が出来ず、様々の問題を引き起こすのです。

V.カウンセリングの実際

 さて、このような人格傾向を持った青年たちに触れていく際の留意点をいくつかお話ししたいと思います。
 私は、カウンセリングの訓練を受けたわけではありませんから、詳しいことは、是非、専門の本を、参考にしていただいて、皆さんが、学び、自分のものとしていただきたいと思います。私は、ここで、青年たちを理解し、交わりを深めていく際に気をつけなければならないことをお話しするにとどめたいと思うのです。

@傾聴する。

 青年たちの語る言葉を傾聴することが、カウンセリングの第一歩です。
 これは、どんな人とのふれ合いにも欠かすことが出来ない大切な要素です。私は、しゃべることが苦手で、すぐに話題がつきてしまうという自分の欠点が幸いして、聞くことの重要さに気がつきました。最初、教会を初めて尋ねてきた人たちに、どのように接して良いか分からず、しばしば、沈黙が続きました。ところが、この沈黙の間に、来られた方は、自分の考えをまとめ、ぽつり、ぽつりと、自分を語られることに気がつきました。
 それから、しゃべるのが苦手であることも、沈黙が続くことも、それほど苦にならなくなりました。とにかく、聞くことです。聞くことの大切さは、アウグスバーガー著「親身に聞く」という本を参考に、学ばれたらよいと思います。私も、この本で、ずいぶん教えられました。

A共感する。

 現代の青年たち、子どもたちの特徴の一つは、共感性に欠けると言うことです。それは、共感されてこなかったから、共感することが出来ないと言うことでしょうか・・・。
 けれども、間違っていけないことは、共感すると言うことは、相手の言うことに全て同意すると言うことではないのです。特に問題を抱えて相談に来た自己中心な青年たちの多くは、事実をゆがめて認識していますから、彼らの語る親子関係、職場の人間関係などは、そのまま鵜呑みにすることは出来ません。
 もし私たちが、彼らの主張を鵜呑みにして、「それはひどいお母さんだ・・・」「そんなお父さんは、普通いないよ・・・」「えっ、そんなことを言う牧師は、牧師として失格だ・・・」などと語りますと、彼らの肥大したナルシシズムは、さらに肥大して、彼らの問題をさらに悪化させることになります。
 共感すると言うことは、彼らの認識した現実はともかく、彼らの内部に生じている感情の渦を理解し、その感情に共感を示すと言うことです。悲しい・・・、辛い・・・、裏切られた・・・、寂しい・・・、だれも顧みてくれない・・・こう言って語る彼らの感情を受け止め、理解を示すことが、とても重要です。
 共感されることで、心の内部にカタルシスとも言うべき浄化作用が働き、前向きに、新しい力を得て進むことが出来るようになるのです。

B自分自身を見つめる。

 私は、問題をもって尋ねてきた青年たちに触れて、自分自身を見つめることが出来たと振り返っています。否、むしろ、自分自身を見つめさせられたと言うべきでしょうか。
 彼らの語る言葉に耳を傾けるうちに、自分の内面が探られましたし、自分が、どんなに自己中心であるかとか、彼らの問題が、彼らの問題ではなく、私自身の問題であるように感じたこともしばしばです。
 また、牧師としての私のエゴと対決させられたこともしばしばです。牧師としてのエゴを捨てて、一人の人として、彼らに触れ、彼らを愛さなければならないことを痛感させられたこともしばしばです。私たちが、自分自身を見つめることなしに、青年たちに触れることは出来ないと思います。
 特に、青年たちが、尊敬し、慕ってくれているとき、自分は、そのことが心地よくて、行動しているのではないか。あるいは、青年たちの反発や怒りが自分に向けられたとき、自分の内部にどのような感情が生じているか、よく観察し、自分をコントロールすることが必要です。
 そうでないと、相手のためにと思ってしていることが、相手を自分のために利用し、彼らの成長を妨げていることになってしまいますし、過剰な反応が、彼らとの人間関係を破壊してしまうことがしばしばです。

C転移・逆転移という現象を知る。

 コフートは、自己愛人格障害の治療において、観察される特殊な転移を発見しました。一般に、転移とは、
 (1)幼児期に抑圧された感情が現れる。
 (2)様々の人間関係の中で繰り返し現れる。
 (3)古い対象(父母)と、新しい対象(上司、教師、医療担当者など)とが混同される。
という三つの用件を持っています。
 しかし、自己愛人格障害と命名された患者の場合には、(2)と(3)の要件は備えているが、(1)とは異質の転移の仕方があることに気づいたのです。それが、鏡映転移・理想化転移です。

鏡映転移;自己の全能感、誇大感を、「母親の目の輝き」をもって映し出してほしいという幼児の基本的欲求が再活性化し、治療者に転移されるもの

理想化転移;
両親を理想化された全能の存在として体験し、その理想化された親と融合し、同化したいという欲求が再活性化し、治療者に転移されるもの

 精神的に問題を持った青年たちと関わるときに、親しくなるに連れて、この転移と呼ばれる現象が生じて、青年たちの心の中に、転移感情と呼ばれる陽性あるいは陰性の感情が表れます。
 それに対応して、私たちの心の中にも、彼らに生じた転移感情に対応した感情が生じます。これを逆転移と呼び、そこに生じた感情を逆転移感情と呼びます。
 その感情は、しばしば、私たちを驚かせ、それに対する反応の如何によっては、彼らとの関係がこじれたり、完全に、切れてしまったりします。

D健全な自己愛を得るのは、キリストの十字架を通してであることを、常に確認する。

 私たちが、いつも、心の中に留めて忘れてはならないことは、キリストの十字架の福音こそが、健全な自己愛を確立し、その人を真に自由にするのだと言うことです。
 私たちの共感や、傾聴には、限度があります。問題を抱えた青年たちは、私たちが共感し、傾聴するとき、私たちには、過重な要求を突きつけてきます。けれども、そんなときに、力んだり、無理をすることは、禁物です。
 彼らのその要求に応えうるのは、イエス様だけだ、そのことをわきまえて、自分の分を守り、彼らに、その要求には、応えることが出来ないことを語ることです。
 そして、彼らが、人ではなく、イエス様に目を向けることが出来るように、励まし、祈ることです。

E一人で背負い込まないで、チームワークを大切にする。

 問題を抱えた青年と関わることは、相当のエネルギーを消費することになります。一人で関わることは、大変危険ですし、成果を上げることも困難です。チームを組んで、関わるとき、大きな成果を上げることが出来ます。
 私の場合、KGKの大沼主事が助けてくださったことや、教会内に、そのような青年たちの面倒を見てくださる協力者があったことは、大きな力でした。また、自分が独りよがりにならず、多くの人の視点を共有できたこともプラスでした。

F専門家の助けが必要な場合があることをわきまえる。

 問題を抱えた青年の中には、専門家の助けや、アドバイスが不可欠である人が少なくないと思います。その様なときに、変なこだわりが出て、専門家に相談することを躊躇しますと、大きなトラブルになることがあります。特に、鬱状態を抱えていたり、妄想、幻聴、幻覚などの症状があるときには、要注意です。

W.結論

 さて、このように語ってまいりまして、一体、結論は、何か。ということを最後に申し述べたいと思います。最初、ひらめいたように、ナルシシズムを学んだら、ナルシシズムが肥大している青年たちを導くのに、何か、特効薬のようなものを見出すことができたのか、と言いますと、答えは、'NO'でありました。

 実は、傾聴と共感という非常に地道な関わりを通してしか、このような青年たちを導くことはできないのだ。というのが、私の実感です。精神科の医師でありましても、人格障害の治療には、手を焼くと言います。まして、そのような知識も、技術もない私たちには、手に余る作業ではないでしょうか。
 しかし、このような、ナルシシズムの学びを通して、現代の若者たちに欠けているものを洞察することによって、私たちの青年たちへのアプローチの仕方のヒントを得ることができると信じております。


参考文献・推薦図書

1.「ナルシズム−天才と狂気の心理学−」 中西信男著 講談社現代新書

2.「<じぶん>を愛するということ−私探しと自己愛ー」 香山リカ著 講談社現代新書

3.「自己愛人間−現代ナルシシズム論」 小此木啓吾著 ちくま学芸文庫

4.「現代人の心にひそむ『自己中心性』の病理」 町沢静夫著 双葉社

5.「境界例と自己愛の障害−理解と治療に向けて−」 井上果子・松井豊著 サイエンス社

6.「ナルシズムの喪失」 外林大作著 誠信書房

7.「<自己愛>の構造─「他者」を失った若者たち─」 和田秀樹著 講談社選書メチエ

8.「親身に聞く」 アウグスバーガー著 棚瀬多喜雄訳 すぐ書房

9.「自分自身を愛する」 W・トロビッシュ著 狩栖健太郎訳 すぐ書房

10.「傷ついた感情へのいやし」 マーティン・H・パドヴァニ著 大西康雄訳 ヨルダン社

11.「自分を愛することのジレンマ」 ジョアンナ&アリスター・マグラス著 小渕朝子訳 いのちのことば社

12.「スピリチュアル・ジャーニー−福音主義の霊性を求めて−」 坂野慧吉著