論理療法

 

T.感情が引き起こされる仕組み;論理療法のABC理論

 ここは、クラシック演奏会の場面である。静かに美しい音楽を聞き入っている時、どこかで、大きな咳払いが聞こえた。普通の人は、このような時、不快感を感じるだろう。咳払いをA、不快感をCとすると、

A;咳払い(物理的世界)

C;不快感(感情的世界)

 

と、一般に考えやすい。しかし、論理療法では、その様には考えない。物理的世界と感情的世界の間に、「演奏中は咳払いをすべきではない」という考え方・受け取り方の世界(B)があり、その結果、不快感を感じると考える。

 

A;咳払い(物理的世界)

B;演奏中に咳払いすべきではない(現象学的世界)

C;不快感(感情的世界)

 

というわけである。これをABC理論という。

 

U.不健全な感情は不健全な文章記述から生まれる

 ある人が、「こんなことを言ったら笑われるに違いない」と考えて、苦虫を噛み潰した顔で、だんまりを決め込んでいたとしよう。その人の心には、「笑われるに違いない」「笑われたらおしまいだ」という文章記述があるために、非常に不愉快な非論理的感情に捕われているのである。この文章記述を「笑われるかもしれないというのは、自分の思い込みで、それに対する何の根拠もない。仮に笑われたとしても、この世の終わりが来るわけではない。」と、文章記述が変われば、その感情も変えることが出来る。

 

V.なぜ思考が歪むのか

 @他者の暗示

 私たちは、生まれてから今日まで、様々の外部からのプロパガンダ(洗脳)によって、「いつまでも独身でいるのはよくない」「できるだけ偏差値の高い大学へ行くべきである」「できるだけ楽をして高給を取れる職場へ行くべきである」などと言う、借り物の価値観を無批判に、B(現象学的<受け取り方>世界)に取り込んで来た。その中には、当然、非論理的な、不健全な文章記述がたくさんある。

 

 Ashould(ねばならない)とwish(こうあってほしい)の混同

 人にいやみを言われて悩むのは、「いやみを言うべきではない」と言う前提があるからです。「べき」であるのにその通りにならないから悩みが生じるのです。しかし、本当は、「いやみは言わないでほしい」というのが、論理的な文章であって、「ねばならない(should)」と「こうあってほしい(wish)」が混同されているところから、思考の歪みが生じている。

 

 B過去へのとらわれ

 過度に過去にとらわれると、思考が歪んで来る。「離婚すべきではなかった」「結婚すべきではなかった」「あのような行動をすべきではなかった」など、同じ文章を繰返し心の中でつぶやくのである。繰返したところで、現実の世界には何の変化も起こらないのにである。論理療法では、このようなことは無駄であると考える。むしろ、将来同じ過ちを繰返さないためにはどうすればよいかを考える。後悔よりも前向きの姿勢を取る事を重視する。

 

 C自己主張への怖れ

 他人の反応を気にして、言いたいことが言えないというたぐいです。「こんなことを言えば、みんなが笑うだろう。だから黙っていよう。」「人前で笑われたらどうしよう。そんな恥ずかしいことはごめんだ。」「こんなことを言ったら叱られるに違いない。」「こんなことを考えていることが分かったら、相手にしてもらえなくなるに違いない。」

 「笑われるだろう」「叱られるだろう」「相手にしてもらえなくなるだろう」というのは、あくまでも推論で、事実ではない。それを事実であるかのように扱って、自己主張を制限してしまう。自己開示なくしては、親しい友人も出来ないし、会議や、討論の場を、有益なものとすることは出来ない。

 

W.陥りやすい10の非論理的思考

  @受容欲求;「自分が大切だと思う全ての人々から愛され、受容されねばならない。」

 「何をする場合でも、他人に同意され、愛されなくてはならない。」という気持ちには抵抗した方がよい。しっかり自立することを目指し、他人の同意や愛は、あればそれに越した事はないが、決してなくてはならないものではないことを知ろう。

 

  A失敗恐怖;「自分は有能で適性があり、何か素晴らしい業績をあげて当然だ。」「少なくとも自分は、幾つかの重要な領域において資格があり、才能を有するのでなくてはならない。」

 物事を完璧に成し遂げるよりも、とにかくやる事、なるべく上手にやる事を目標とした方が良い。うまくいったからといって、自分が優れた人間になったのだという幻想を抱いてはいけないし、失敗したからといって、それは望ましい事ではないかもしれないが、決して恐ろしい事ではないし、人間本来の価値には何の影響もないことを忘れないようにしよう。

 

  B非難;「人々が自分に深い・不正を加えた場合には、断固としてその人を非難、問責し、彼らを不正、不徳の堕落した人間とみなすべきだ。」

 だれか他人に対して、「悪い人だ」「心が歪んでいる」「意地の悪い人だ」などと、レッテルを貼って、「その様な人は、非難され、処罰されて当然だ」という考え方は退けた方が良い。相手を非難し続ける事で、相手の過ちを正すどころか、むしろそれを永続させる悪循環に陥るからです。行為の是非と人間の価値とを決して混同してはならない。

 

  C欲求不満;「はなはだしい欲求不満に陥ったり、不正な扱いを受けたり、拒絶されたりすれば、『恐ろしい、悩ましい、悲劇的な事態が起きた』と感じて当然だ。」

 事態が自分の思い通りに行かない時に、パニックに陥ったり、恐怖を感じてしまう心の動きには、断固として反撃しなくてはならない。状況が思い通りにならない時には、先ず、事態の改善に取り組み、当面、改善の見込みがないときには、率直に事態を受け入れ時期を待つ事です。確かに望ましくないと言わざるを得ない場合でも、決して、「もうだめだ。」「我慢出来ない。」と投げ出さない事です。

 

  D憂うつ;「精神的な苦痛は、外部の強い影響から生ずるものであるから、自分の力では感情を制御し、望む方向に変えることは出来ない。」

 実際は、「不幸」という外的要因によってではなく、自分の非論理的思考と、歪んだ内的文章の繰り返しによって、不幸を自ら作り出している事に気が付くことが、大切です。

 

 E不安;「もしも、あることが危険で、恐怖を覚えさせるもののように見えた時、我を忘れて不安に陥るのが‘当たり前’だ。」

 恐怖を感じたり、我を忘れて不安になるような事が起きたら、その原因となっている事件に、真剣に検討を加え、現実に、その様な危険が起こる可能性があるのか、もし、起きたらどんな被害があるのかをリアルに吟味する事です。創造的な人生を送りたいと思っているなら、人生には、ある程度危険や冒険がつきものであるという事実を受け入れる事です。心の不安を増幅させるような内的文章(自分の独断的な仮説!)には、よく吟味を加え、反駁する事です。

 

  F怠惰;「生き甲斐のある人生に向けて、自己修練を積んで行くことは大変なことであるから、それより、障害物はなるべく避け、責任のある仕事は出来るだけ回避している方が安心でいられる。」

 次々と遭遇する人生の困難や、その責任から逃げ出そうとしない事です。目先の快楽や束の間の楽しみに惑わされて、本当になすべき事をしなければ、結局は、苦痛を生じ、進歩ではなく退歩しかない事が分かるだろう。

 

  G偏見の生育歴;「過去の経験こそ、決定的に重要であり、しかも過去において、人生に大きな影響を与えた出来事は、今にいたっても、その人の感情や行動を決定するものである。」

 「自分は、母親から無視されて育ったから、その結果として、情緒的な障害を持ち、無力感に苛まれているのだ。」と過去の経験が、現在に決定的な影響を及ぼしているという考えは、断固拒否した方が良い。彼の情緒障害は、本当に、母親の拒絶という事実そのものによるのであろうか、それとも、その事について抱く彼の観念によるものだろうか。多くの場合後者である。その観念とは、次のような見方を含んでいる。(1)両親は愛と受容を示すべきであり、そうしない時、その両親は恐ろしいことをしている。(2)両親に拒絶されたら、自分はつまらぬ人間だと感じて当然だ。(3)つまらぬ人間は、大切な仕事でへまばかりすることになる。(4)へまをすることは、恐ろしい罪であり、自分が何の値打ちも無いものであることを証明している。(5)へまをすることを恐れて仕事をしないので、仕事は上達しないし、そのことがまた、自分の無能力・無価値を証明することになる。

 

  H現実拒否;「何事も、現在よりも良くなるべきだと先験的に信じ、もしも、冷酷な現実に対して望ましい解決策を見出せなかったら、それは極めて恐ろしいことだ。」

 自分の気に入ろうがそうでなかろうが、現実はあくまで現実であり、その現実をありのままに受け止めなくてはならない。その後、現実の問題を解決すべく行動を起こすのです。時には、直面する問題に、完全な解決がなくても、筋が通っていれば、ある程度妥協的な解決を受け入れた方が賢明な場合もある。

 

  I受動的な生き方;「何もしなくてよい状態、あるいは義務に拘束されずに受動的に‘楽しむ’ことこそ、最上の幸福である。」

 何か熱中できることや、人を見つけるようにすることが大切です。長期的な展望のある、やりがいのある企画を選んで、勇気をふるい、冒険に身を投じ、怠惰と戦い、率先して活動する自己へと方向転換することが大切です。

 

X.非論理的なビリーフを探すための練習問題

次の非論理的な文章を、論理的な文章に書き換えよ。(次のおかしな文章を、筋の通った、現実に即した文章に書き換えよ。)

  1.    取り越し苦労がやめられない。
  2.   食餌療法は私には無理だ。
  3.   彼女にふられたら人生は終わりだ。
  4.   何をやっても要領の悪い私は、本当にだめな人間だ。
  5.   私は数学が不得意だ。
  6.   ハウツーよりは、理論や原理や理念を学ぶべきである。
  7.   両親に逆らうべきではない。
  8.   失業することは恐ろしいことだ。
  9.   外国製品は粗悪である。
  10.   私には彼女が必要です。
  11.   私の母は精神病です。だから私は結婚できない。

 

「主よ。変えられないものを受け入れる心の静けさと、

変えられるものを変えていく勇気と、

その両者を見分ける英知とをお与えください。」

 

【参考文献】

「自己発見の心理学」;國分康孝著(講談社現代新書)

「自己変革の心理学」;伊藤順康著(講談社現代新書)

「論理療法」;A.エリス/R.A.ハーパー著 北見芳雄監訳 國分康孝/伊藤順康訳(川島書店)

「神経症者とつきあうには」;A.エリス著 國分康孝監訳(川島書店)