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![]() Original Release Date: July 1970 Producer: Delaney Bramlett ■ Track Listing 1. Slunky 2. Bad Boy 3. Told You For The Last Time 4. After Midnight 5. Easy Now 6. Blues Power 7. Bottle Of Red Wine 8. Lovin' You And Lovin' Me 9. Lonesome And A Long Way From Home 10. Don't Know Why 11. Let It Rain ■ Listen Now ! Blues Power --- Performed by Yutaka ! (RealAudio Streaming) ■ Review 1 - Blues Power! - (text by Yutaka) 初めてクラプトンを聴いたのは兄貴の影響からだった。その頃兄貴のターン・テーブルによくのっていたアルバムが「エリック・クラプトン・ヒストリー」という(だったかな?)ベスト盤で、そこで聴いたのがかの「Crossroads」であり「Hideaway」だった。流れるようなフレージングに、これまた流麗なチョーキング・ビヴラート(指先で音程をコントロールするテクニック)に圧倒された記憶が未だに強烈である。それから少ない小遣いをやっとこさ貯めて(笑)買ったのが「Goodbye Cream」という文字通りクリーム最後のアルバムだった。何故このアルバムを買ったのか?は忘れてしまったが、多分ジョージ・ハリスンとの共作ナンバーである「Badge」をコピーしたかったからかもしれない。なにはともあれ、未だに愛聴しているアルバムだ。 ロック界最高のトリオ・バンド「Cream」をスタンド・プレイによるエゴのぶつかり合いが嫌でわずか2年で解散し、その後これまたスーパー・バンドと騒がれた「Blind Faith」(Cream解散の原因を考えるとなかなか意味深なタイトルだ)もアルバム1枚で解散と、心身ともに疲れ切ったクラプトンはアメリカでデラニー&ボニー(Rolling Stonesのサポートメンバーとしてお馴染みボビー・キーズ[sax]&ジム・プライス[trumpet]も参加)というバンドと運命的な出会いをする。Emotional Resqueともいうべきこの出会いによりクラプトンは憧れでもあったアメリカ南部色の濃いサウンドを本格的に体得することになる。そんな中でレコーディングされたのがこの「Eric Clapton」、邦題では「エリック・クラプトン・ソロ」と名付けられたクラプトンの1stソロ・アルバムである。 クラプトンのナンバーには共作が多いが、このアルバムにおいてもほとんどが先にあげたデラニー&ボニーのデラニー・ブラムレットとの作品で埋められている。ギターの神様と呼ばれるにはあまりに繊細な神経の持ち主だったクラプトンには各時期に重要なキー・マンが存在するが、この時期の重要な精神的支えがこの人だったのだろう(他にデュアン・オールマン、ピート・タウンゼント、フィル・コリンズとかね)。内容はこの時期のクラプトンの心情を表現したような実にリラックスした演奏&歌で、後に「レイド・バック」と言われた彼の代名詞的スタイルになっていて、感じるままに弾き、歌い、そしてバンド仲間に敬意を表するクラプトンがそこにいる。個人的には彼の好きなアルバムというと、この「ソロ」はそれほど上位にランクされるわけではないのだが、現在に至るクラプトンの姿を語る上では真っ先に挙げなければならない重要なアルバムがこの本作だと思うのだ。トレード・マークになったストラトキャスターのスモーキーな音色をくゆらせるファンキーなナンバー「Slunky」で始まり、ちょいと強がるヴォーカルが逆に頼りなげな(笑)「Bad Boy」、南部色全開といった軽快な「Told You For The Last Time」(作曲者名にMG'sからあのスティーヴ・クロッパーも名を連ねている)、クラプトンを語る上で外せないJ.J.Caleの名作「After Midnight」(彼の作品として他にはCocaine)、本作品中唯一のクラプトン・オリジナル・ナンバー「Easy Now」、そして「Bet You Didn't Think I Knew How To Rock And Roll!」と歌うレオン・ラッセル(on piano)の強力ナンバー「Blues Power」、ノリノリのハーモニーも聴かせてくれるR&Rナンバー「Bottle Of Red Wine」、Blind Faithのために書かれたナンバーだという「Lovin' You Lovin' Me」、ここでも南部色全開!である。ギターのハーモニックスで始まり、ブラス・セクションもなかなか強力なカントリー・タッチなナンバー「Lonesome And A Long Way From Home」、ブラス・セクションとギターのユニゾン・イントロが印象的なバラード「Don't Know Why」、ツイン・リード・ギターを効果的に使ったラスト・ナンバー「Let It Rain」と、全11曲が収録されている。 神ではなく、1人の人間としての一歩を標した作品が本作なのであり、本当の意味でのクラプトンはここから始まったのではないか?・・・・久しぶりにじっくりこのアルバムを聴き直してそう思った「エリック・クラプトン・ソロ」、クラプトンの1stソロ・アルバムである。 ■ Review 2 - 人生色々カラフルクリーム - (text by Kats) 上でYutakaさんも言っておられるけれども、エリック・クラプトンという人は結構大変な人生をお歩みになっている。最近では、年に何度も会ってやりすらしていなかった、そんな息子を不慮の事故で亡くした途端に号泣&哀愁挽歌的な人物像がすっかり板について、なおかつ「渋い」「ダンディ」などというこれまた今更なイメージでばく進中なクラプトンだけれども、特に1960年代、つまり20代前半、この頃のクラプトンっちゅうのはロックでパンクでサイケデリックな人生そのままだった。 ★ 18歳 ・・・ ヤードバーズというバンドでメジャーデビュー。ロンドン界隈ではそこそこの盛りあがりを見せたが、1枚のアルバムを残して、「おれらポップ過ぎるぜバカヤロー」という三行半を付きつけて脱退。 ★ 19歳 ・・・アルバイト生活で食いつなぐ。 まあ普通の人ならこの辺で老けこむのかもしれないが・・・ ★ 20歳 ・・・ジョン・メイオールのブルースブレイカーズというバンドからお誘いがあってギターを弾かせてもらう。そんでもってレコーディングも自分で仕切ってしまう。 ★ 21歳 ・・・そのブルースブレーカーズのアルバムが大好評&バカ売れ。 「でもトラディショナルなブルースは俺には合わん」とこれまた三行半を付きつけて脱退。 ★ 21歳 ・・・「もっと巧い奴らとやりてえ」、ってことで元々はクラシックやジャズのミュージシャンだったような2人とクリーム結成。 ★ 22歳 ・・・ギターの神様、としてこれまたバカ売れ。イギリスのみならずアメリカでもバカ売れ。「ホワイト・ルーム」「サンシャイン・ラヴ」などをギターキッズがみんなコピー。 当時誰もやってなかったアフロヘアーでビートルズのアルバムでもギターを弾かせてもらってこれまた大好評。順風満帆のミュージシャン人生。 ★ 23歳 ・・・が、ローリングストーン誌で神様バッシング。クラプトン思いっきりガッカリして、「やっぱエゴはいかんなあ」とあっさりクリームを解散。 ★ 23歳 ・・・が、懲りずにスティーブ・ウィンウッドらとスーパーグループ「ブラインド・フェイス」結成。ロンドン・ハイドパークで15万人も集めてデビューコンサート。 ★ 24歳 ・・・そのブラインド・フェイスもアルバム1枚を作って、当然全米ナンバーワンになってさてこれから、って時に勝手にデラニー・アンド・ボニーという名もないローカルバンドにヘイコラサッサと同行してギターを弾かせてもらったりする。当然ブラインド・フェイス自然消滅。 ★ 24歳 ・・・かと思えばジョン・レノンの誘いに簡単に乗り、プラスティック・オノ・バンドというこれまたスーパーグループでギターを弾く。 ★ 24歳 ・・・しかし突然ギターに飽きて、自分で歌を歌いたくなって、ハードなエレクトリック路線をあっさり切り捨ててこのアルバムを完成。 おまけにジョージ・ハリスンの嫁さんに手を出す。 疲れる。さすがに疲れるだろうと思う。これが彼の20代前半までのおおよその音楽人生である。売れまくりのスーパーグループに2つも3つも在籍して、みんなから神様呼ばわれして、ビートルズからもストーンズからも一目置かれて、人に多大な迷惑をかけてダダこねて、あぶくのように金を稼いでそれをすべて使い切って、薬も女もやりまくって、挙句に「疲れた〜」と弱音を吐いてもまだ24歳。普通だったら、大学入って、バイトして遊んで、そこそこの企業に就職して・・・ってな時期にスケールの大きいこの破天荒人生。こんな起伏の激しい音楽生活は、今のミュージシャンをとって見ても、他に同じような例を見つけることができない。 まあ比較にはとてもならないけど、20〜24歳ぐらいの時の自分を思い返してみても、ただボーっとしていたということしか頭に蘇らないし、かなりの甘えの環境下で生きていたなあとしみじみ思う。 セックス、ドラッグ&ロックンロールなミュージックライフの例を耳タコなくらい聞いてきた現在の自分達にとって、彼の歴史を言葉で追ってみるとなんてことないように見えるかもしれない。けれども、当事者としてみりゃあこれはとんでもないことで、ビートルズもフーもビーチ・ボーイズも、「バンド」という枠の中でお互い持ちつ持たれつの関係でどうにかやればよかったが、クラプトンの場合、バンドはあれども注目はいつも彼自身にあった。それも思いっきりハイエッジなロックの60年代においての話しである。 同じように同時代のアテンションを1人で引き受けたジミヘンやジャニスやジム・モリソンはその重圧に耐え切れずに死んでしまったことからもこの時代のロックがどれほど自分自身を疲弊させたかが分かると思う。 疲れた挙句に、というかやっとこさっとこ自分にとって居心地のいい場所を見つけたのがこのアルバム「エリック・クラプトン・ソロ(邦題)」。今となってはクラプトン=歌手兼ギタリストというのは当然の認識となっているけれども、当時としてはクラプトンがすべての曲でリードボーカルを取るなんぞはとても信じられないお話で、やっぱり彼のエレクトリックギタリストとしてのハードな面を期待していたファンからは相当なバッシングを受けたと聞く。でもその後、移り気なクラプトンとしては珍しく、このアルバム発表後30年を経た現在に至るまで、ここで確立した歌を中心にして曲を展開させる手法をまったく変えることはなかった。 破天荒な20代前半を経て、24歳にして見つけた本当に自分のやりたいこと。 まあこれまた全然比較にはならないけれど、自分も24歳の時になんとなくこれからの人生の指標みたいなものが出来たような気がするな。今も別に後悔はしていないし。今のところ正しい選択だったと思う。おそらく今後も死ぬまで関わっていくであろうことに24のときに巡り合った感じがしている。 若干24歳で「枯れた」と評されたクラプトン。 だが彼の破天荒人生はこの後も続く・・・・。(下のショートバイオへ)
■ Eric Clapton in 70's デビュー〜当アルバム発表までの軌跡はレビューの中で見てもらうとして、というわけでこの後のクラプトン。 まずこのアルバム製作に関わったメンバーを引き連れてDerek & The Dominosを結成し、「Layla & The Other Assorted Love Songs」という傑作ダブルアルバムを発表する。 がしかしその後のツアー中にドラッグにハマリまくってにっちもさっちも行かなくなりバンドは自然消滅。 クラプトンはジョージ・ハリスンの「バングラデッシュ救済コンサート」に客演後、ドラッグとともに長期の隠遁生活。 薬代を得るために自分のギターを売ることもあった。 が、当時同棲していた女が王室関係の人間だったため運良く当局の摘発を逃れる。 そんなこんなで73年、ピート・タウンゼント、ロン・ウッド、スティーヴ・ウィンウッドらの助力によって「レインボー・コンサート」で復活。 がしかしまたドラッグ生活に戻る。 でもどうにかリハビリして74年に「461 Ocean Boulevard」というこれまた大傑作アルバムでシーンに再浮上。 しかしこれから今度は酒にハマる。 同年初来日コンサート。 77年にはジョージ・ハリスンの妻を寝取って結婚。この年、その妻のワガママに手を焼いて作ったのが「Wonderful Tonight」。以下彼の人生は80年代、90年代へと引き継がれる・・・・(24 Nightsレビューで触れようぞ)。
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Last updated: 10/17/99 |