- October 1999 (2) -


24 Nights Eric Clapton

24 Nights Notes

Original Release Date: October 1991
Producer: Russ Titelman

Track Listing

CD1 - 1. Badge 2. Running On Faith 3. White Room 4. Sunshine Of Your Love 5. Watch Yourself 6. Have You Ever Loved A Woman 7. Worried Life Blues 8. Hoodoo Man
CD2 - 1. Pretending 2. Bad Love 3. Wonderful Tonight 4. Old Love 5. Bell Bottom Blues 6. Hard Times 7. Edge Of Darkness

Review  - You look wonderful tonight -


クラプトン初のソロアルバムを発表してから時は流れて30年。60年代同様すさまじいロックンロール人生を歩むクラプトン様が度重なる世界ツアーに明け暮れる一方で、地球の反対側の島国には当ホームページの管理人がこの世に生を受け、田んぼと桃の畑に囲まれながらすくすくと成長し、何の因果か英米ロック音楽と出会い、当時としてはまだ珍しかったレンタルCD屋さんで「ギターの神様」と謳われていたイギリス国のエリック・クラプトン様のアルバム「オーガスト」を手にするに至る。87年発表のこの枯れた作品にずっぽりハマった石崎少年はやがて自分でもギターを手にしてしまうわけだけれども、いとこにもらったクラシックギターで「レイラ」を弾くことはできなかった。

すでに長老バンドと言われていた「転がる石たち」なんかも聴くようになって、後に自殺してしまった友達からエレクトリックギターを譲り受けてギターピックで弦をペケペケ鳴らし初めたちょうどその頃、エリック・クラプトンの来日公演を日本武道館に観に行く機会に恵まれた。当時田舎もんの18のクソガキだったくせに、上京して浪人中の友達のところに泊まり込んで3回も武道館へと足を運んだ。

そしてちょうどその頃、というかその来日公演の直前、自分の運命を決定付ける音を聴いた。それはNHK-FMでのスペシャルライヴ番組だった。その年に行われたロンドン・ロイヤル・アルバート・ホールでのエリック・クラプトン公演で、ひとつのショーがほぼ完全パッケージングした形での放送。今の子はやっているかどうか知らないが、自分はやったぞエアチェック。知ってるだろうか、エアチェック=ラジオ放送の録音。結果として120分テープに丸々収まったこのライヴテープは、いつしかカーステレオの中で毎日飽きずに何度も何度も回り続けていた。



記憶によれば大学3年の時。いや、2年の時か。相も変わらず「消費」だの「家計」だの「財」だのつまらん講義を受けていたある日の授業中、学生の中にミニスカート姿のとんでもない美人を見つけた。独特の憂いを持った彼女は、美人というよりもむしろ自分の好みと言うかなんというか。まあ要するに一目惚れってやつだったんですな。でも同じ学部というだけで、もちろん学年どころか名前すら知らない。まあこれも当たり前といやあ当たり前ですな。とにもかくにも容姿に関しては彼女のそれは完璧だったんですよ。

声をかければって? 当時半ば水商売一歩手前みたいなバイトをしていた自分にとって女性と話すことに関してはそれほど苦になるものではなかった。でもこうまで相手が完璧だとそうはいかないんですよ。でもどうにかしようと思って機は伺った。今思うと半ばストーカーみたいなこともした。帰りの電車に一緒についていって、駅前のマクドナルドで一人ハンバーガーを食べているとこに、「あのこちら相席してよろしいですか?」と切り出そうかとも考えた。そしてその一歩手前までは行った。でも出来なかった。自分にはそこまでする自信がこれっぽっちもなかった。彼女に面と向かって話しかけるほどの自信がなかった。やっぱ人間たるもの容姿である。

ダイエット敢行。会ったことのある人なら分かるが、ロック的に言えば俺は結構なデブである。本人は「骨太」と言ってはばからないが、本当はただのデブである。こんな俺を好きになってくれるはずはない、と思い、ダイエットするに至る。非常にシンプルに、自分に自信を取り戻すためである。

夜中に走った。筋トレもやった。プールにも行って泳いだ。でも激しく運動すると水分(特にビール)を欲するからこれはあかんという勝手な思い込みで辞めた。じゃあ次は食事。1日2食。昼過ぎに起きて軽い食事。夕飯は水なし、ご飯は軽く1膳のみ。その後バイトだったが、家庭教師のバイトでは休憩に出されるおやつには手を出さず、その後の深夜バイトではわざわざ厚着をしてたっぷり汗をかく。家に帰れば熱めの風呂にたっぷり45分は入ってさらに汗をかく。ついでにその45分の間にロッキングオンを読む。ビール一杯だけを寝酒に飲み、つまみは冷奴一丁のみ。食欲を出してはいけないとタバコをガンガン吸う。

お陰様で週1〜2キロペースで確実に体重は減っていった。でも最悪のダイエット。当然体に良いはずがなく次のエリック・クラプトン公演の時には友達の家でウィスキーコップ一杯飲んですぐに吐いた。フロアがゲロの海になった。親戚の集まりでフグを食べることになったが、栄養価が高すぎたのか全身湿疹の嵐。即病院へ。唇は常にガサガサで食欲どころか性欲も完全に減退。

結局3ヶ月で体重が約20キロ減ったその末路は、その彼女が男と歩いているところを目撃し、結局その子に一言も声を掛けることのないまま、誰にもこの想いを打ち明けることないまま、名前も知らないまますべては終了。失意というか落胆というか、たった一人でウィスキーをストレートでがぶ飲みしながら聴いたエリック・クラプトンの120分ライヴテープ。曲は「オールド・ラヴ」。泣きのギターとはよく言ったものだ。すべてがずっぽりとハマる。

その後もこんなことがあると必ずクラプトン。アメリカへ旅立つ1週間前、当時の女性と別れた時にもやっぱりクラプトンだった。でも渡米前日に大量の荷物をパッキングしていたら、この120分テープがカセットデッキのヘッド部分に絡まってしまい敢え無くお釈迦。聴き込みすぎてテープ自体の寿命が来てしまっていたのかもしれない。そしてこの時を境に自分の人生は違った方向へとなびいて現在に至る。



91年発表のライヴアルバム「24 Nights」には、このライヴテープからの3曲がそっくりそのまま収録されている。音源こそ違えど、他の曲群もこのライヴテープとほぼ同じ。バックにはマイケル・ジャクソンのバンドマスター=グレッグ・フィリンゲインジ、世界最高のリズム隊=ネイサン・イースト&スティーヴ・フェローンというロック史上最高のメンツが揃い、当のクラプトンも彼の歴史上最高のギタープレイをここで聴かせてくれている。ロクに面倒もみなかった息子の死&アンプラグドといういやらしい素材を得る直前のクラプトンの恐るべきプレイヤビリティーを余すことなくパッケージングした歴史的名盤であり、生涯忘れることのできないちっぽけな青春の想い出まで詰め込まれた、個人的名盤でもある。



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Eric Clapton in 70's, 80's and 90's

前回のバイオでも触れた通り、74年に「461 Ocean Boulevard」というアルバムと、ボブ・マーリーのカヴァー「I Shot The Sheriff」の大ヒットで完全復活。同年に初来日を果たしたが、「ギターの神様」という愛称とは裏腹のリラックスしたアルバム&コンサートに賛否両論。しかしカントリーやブルースに根差した「レイドバック」なる音で以ってさらなる一時代を築くことになる。77年に「Cocaine」「Wonderful Tonight」というクラプトンスタンダードのスマッシュヒットや、前年の武道館コンサートを収めた「Just One Night(80年)」がチャートインするなどその勢いはどこまでも続く気配であったが、80年代に入って持って生まれたアルコール依存が最悪の状態となり体調を悪化。アルコール依存者向けセラピーを受ける中、80年代半ばからブラックコンテンポラリーへの接近と、スティング、マーク・ノップラー、フィル・コリンズらとのコラボレーションで新しいクラプトン像を作り出すことに成功。「Tearing Us Apart」「Bad Love」などの売れ線ロックチューンがヒットチャートを賑わした。91年にはロンドン・アルバート・ホールでの連続公演の模様を収めたこの「24 Nights」を発表。2枚組のCDにはそれぞれ4ピースバンド、ブルースバンド、9ピースバンド、そしてオーケストラバンドという異なった編成でプレイされたナンバーが収録されているという前代未聞のライヴアルバムとなった。しかし愛人に産ませた「最愛の」1人息子を91年に事故で失い、その悲しみとやらで隠遁生活に。だが程なくして日本でのジョージ・ハリスン・コンサートをバンドごとサポートして完全復活したその後は、MTVアンプラグドでの成功を経て再びこれまでとは違ったクラプトン像を獲得し、「Tears In Heaven」「Change The World」などの映画のサントラ&アコースティックチューンが大ヒット。グラミー賞までモノにしてしまった90年代型順風満帆クラプトンの勢いは現在も留まることを知らない。


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Last updated: 11/6/99