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![]() Original Release Date: November 1999 Producers: Adam Kasper and Foo Fighters Foo Fighters are: Dave Grohl(vo,g&drs), Chris Shiflett(g), Nate Mendel(b) & Taylor Hawkins(drs) ■ Track Listing 1. Stacked Actors 2. Breakout 3. Learn To Fly 4. Gimme Stitches 5. Generator 6. Aurora 7. Live-In Skin 8. Next Year 9. Headwires 10. Ain't It The Life 11. M.I.A. ■ Review - 不沈の漁船でエビ反るデイヴグロール - (text by しげやん)
"Life is like a box of chocolates. You never know what you'll get." 映画『Forrest Gump』(邦題:『フォーレスト・ガンプ 〜一期一会〜』)をご覧になったことがあるだろうか。 「身体的な不自由の上に知的障害を持った青年、フォーレスト・ガンプ。イジメられっ子だったものの、めげずに自分の信じることのみを貫く。その類稀なる運動能力を生かし、フットボール選手として大学に進学。ベトナム戦争に参加後は卓球選手として米中友好団に参加。ベトナム戦争に参加、死んでいった戦友と生前約束していたビジネスで一攫千金。幼馴染みの女性ジェニーに一途に惚れつづけ、最終的に結婚までこぎつけるもののジェニーはAIDSで死亡し、一人残されたフォーレストはアメリカ大陸を走り続ける。」 まあ、こんな感じのストーリーだ。過去30年間におけるアメリカ文化を一通り網羅したこの作品、見れば見るほどクサく、プレスリー、ケネディ、ニクソンなどの要人とフォーレストの画像を合成処理するなどの細工も加えまくりで、展開はあまりにも強引かつご都合主義ではある。しかしアメリカン・ドリームを地でいくフォーレストの姿はアメリカ人のノスタルジーを刺激し琴線のツボを押しまくり、結局本作品はその年のアカデミー賞を総ナメにしたのだ。 冒頭の台詞は、フォーレストが母より教わった格言だ。映画の冒頭およびエンディングで繰り返し用いられていることから、この作品のメイン・テーマを象徴しているとも思われ、それゆえに邦題はいちいち「一期一会」と付記されているのだろう。そして。Foo Fighters のデイヴ (Dave Grohl) のことを考えるとこの台詞が何故かリフレインされるのだ。 ご存知の通り、デイヴはニルヴァーナ (Nirvana) のドラマーだった。東海岸の無名バンドのメンバーだった彼はカート (Kurt Cobain) 率いるニルヴァーナに参加要請され、単身にて西海岸シアトルへ旅立った。このとき、彼は果たしてニルヴァーナが世界を変えるバンドになることを予測したのだろうか。カートが自殺すること、さらに自分がバンドのフロントマンになることを予測したのだろうか。 カートが逝った後デイヴはドラマーとして色々なバンドに誘われたらしい(注1)。それは当然だ、あれだけの壮絶な気迫でドラムを叩く者はやたらといるもんじゃない。しかし、あらゆるオファーを蹴ってまで彼が貫いたこと。それは担当楽器を転向してまで自らの音楽性を表現するバンドを率い、音楽活動を続けることだったのだ。このような大きな決断にはさぞかし莫大なエネルギー、そして決意が必要だったに違いない。そんな気迫が凝縮されたファースト・アルバム『Foo Fighters』はほぼ全パートを自ら演奏し、たった7日間で全てを録音。過去の栄光にすがることは微塵もなく、アルバムを名刺代わりにしてさっさとツアーを始めたのだ。 そんな荒削りな1枚目とは対照的に、キチンと作りこまれた2枚目『The Colour And The Shape』では作曲および演奏力に格段の進歩が見られ、サウンド面でも格段の成長を遂げている。どこかのインタビューで読んだが、彼らのレコーディングはまずドラムとギターを録音し、その後ベースなどを被せる、というユニークな録音手法が用いられている(注2)。デイヴがいかに一音一音にこだわり、トータルコンセプトを事前に描いているかが窺い知れる。悪く言えばワンマンだが、それだけの才能および信念を持っているゆえにだろう。その分メンバー・チェンジも絶えず、ギタリストはアルバムごとに交替し、オリジナル・ドラマーは「見てられん」とデイヴが言ったのか言わないのかクビを切られた。しかしデイヴはメゲることもなく、新しい出会いを大事にしていく。結果として Taylor Hawkins という腕達者のドラマーと出会い、ライブではドラムバトルの楽しみが増える。 1999年発表された3枚目、『There Is Nothing Left To Lose』。そのタイトル通り「失うものは何もない」と開き直っているのか、楽曲のクオリティはさらにレベル・アップし、聴けば聴くほど心にしみてくる。やはりドラムがスゴいのは言うまでもない。ドラムだけの音を抽出してもそれだけで音楽になるような、凝りまくったサウンド。しかし全然イヤミったらしくなく、その曲にとっての必然性を持っているのだ。ギターも音色の変化具合など確実にグレードアップしており、"Generator" "Aurora" などのバッキングはそれだけで泣ける。特に "Generator" はギターやドラムが The Police 並の雰囲気および格調を醸し出している。シングルカットされた "Learn To Fly" や "Breakout" はキャッチーながら、聴けば聴くほど凝りまくっているのに気づくだろう。例えば "Breakout" では曲の展開に合わせてめまぐるしくドラム・パターンが変化している。コピーするドラマーはさぞかし大変だろうに。 そんな崖っ淵に立ちながらも、彼らはアホアホ・パワーを炸裂させる。"Learn To Fly" のプロモ・ビデオのアホさは尋常ではない。デイヴはスチュワーデスをはじめ、肥満女やら三つ編みの追っかけ少女にまで七変化し、カート命のファンからしてみれば「お前何やってんだよ」とツッコミを入れられてもおかしくない。 でも、デイヴのことだ、きっとウヒョヒョヒョっと笑いながら「いやいや、人生何があるか分からないから。楽しまなきゃ」なんて言いそうだ。どんな逆境に立たされても自分のやりたいことをひたすら貫き、それを楽しむことを忘れないで。 そういえば昨年のフジ・ロック・フェスティヴァル99、ZZトップのローディーが「Hey, Johnny Park」のイントロを弾いていた。今年、同じグリーン・ステージでホンモノが聴けるんだ。 -------------------- 注1:Rhythm & Drums Magazine 2000年1月号掲載インタビューにてデイヴは以下のように語っている。 Q: 「あなたがドラムをやめたのはなぜですか?」 A: 「ニルヴァーナのあと、たくさんのバンドからオファーがあった。だけど当時、僕は25歳で、まだその手の雇われドラマーをやらなくてもいいんじゃないかと考えたんだ。でもドラムをやめたわけではないよ。(中略) 最大のオファーはトム・ペティだった。未だにトム・ペティの曲は、ちょっとした感傷なしに聴けないよ。あれは本当に本当に難しい選択だった。世界中で僕が誰かのために何かをしなくちゃならないとしたら、その相手は彼だ。いつか僕にやることがなくなったり、フー・ファイターズが活動停止したら、僕はさっそく彼に電話するだろう。」 注2:通常はベース・ドラムを録音した後ギター→ヴォーカルというのが一般的なレコーディングの手順である。なお、メタリカもかつては同じ手法を取っていたが途中で他メンバー(James Newsted, b)から異議が出された経緯があった。
■ Short Biography of Foo Fighters 94年のカート・コバーン死去により解散したニルヴァーナのドラマー=デイヴ・グロールが、すべての楽器の演奏をこなし完成させたアルバムをフーファイターズ名義で発表。その後、ニルヴァーナのサポートギタリストとして活動を共にしていたパット・スメアらとともにバンドとしての体裁を整えて本格的な活動を開始。同年末には来日公演を果たし、セカンドアルバム「The Colour And The Shape」発表後にフジロックフェスティバル'97への参加を経て、98年冬には再度の来日ツアーを行う。全米、欧州ツアーのみならず、オズ・フェストを始めとする様々なイベント、フェスティバルでのプレイをこなしながら、今年はレッド・ホット・チリ・ペッパーズとのダブルヘッドライナーツアーが全米で話題を呼んだ。
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Last updated: 7/23/00 |