- August 1999 -


Tunnel Of Love Bruce Springsteen

Tunnel Of Love Notes

Original Release Date: October 1987
Producer: Chuck Plotkin & Bruce Springsteen

Track Listing

1. Ain't Got You 2. Tougher Than The Rest 3. All That Heaven Will Allow 4. Spare Parts 5. Cautious Man 6. Walk Like A Man 7. Tunnel Of Love 8. Two Faces 9. Brilliant Disguise 10. One Step Up 11. When You're Alone 12. Valentine's Day

Review  - 結局あの曲の話が中心になってしまった -


中学時代の友人に「ゴンちゃん」という人がいた。家が近所でなおかつ部活が一緒だったため、学校の帰り道は彼といつも一緒だった。 おそらくこれからこの「毎月名盤チェック」コーナーにおいて、80年代のアルバムを紹介する時には必ず登場するであろうかなりの重要人物である。だからぜひみなさんの記憶に留めておいていただきたい。「ゴンドウくん」だから「ゴンちゃん」。それだけのことである。

彼、ゴンちゃんは、ムチャクチャ体育会系な男であった。「気合」とか「汗」とか「勝負」とか「根性」とか「先輩」とか「後輩」とか、ほんと大好きな人であり、元々お父さんが九州出身であるがゆえにそんな血を受け継いだゴンちゃんは、我々東北のおっとり集団の中にあってかなり面白い存在であった。

我ながら情けないまでに筆力のなさに我ながら困ってしまうが、もうここまで来れば、ほとんどの80年代フリークの方にはこの先の展開が読めてしまってしまっていることだろう。 そう、そんなゴンちゃんのフェイバリット・チューンはもちろん「ボーン・イン・ザ・USA」・・・・・・ブルース・スプリングスティーン、1984年の大ヒットナンバー。 ついでに言うと、当時彼のお気に入りはその他に、「アイ・オブ・ザ・タイガー / サバイバー」「マネー・チェンジズ・エブリシング / シンディー・ローパー」、などがあった。ちなみに彼がはじめて行ったコンサートは、ハウンド・ドッグのライヴであった。

その当時、つまり中学2年当時の自分は、レコードを買うお金なんて到底なかったし、カセットテープさえも月に数本しか買えなかったし、なおかつラジカセは家族と兼用といった状況だったので、お父さんが洋楽好きという恵まれた環境に育ったそのゴンちゃんの家に手招きされると、なんとなしのためらいを感じつつ、気が付いてみるとゴンちゃんちの2階の座布団に鎮座していた。 目の前には巨大スピーカーが2発。 そしてそこでのゴンちゃん1発目は決まって「ボーン・イン・ザ・USA」・・・・・当然の流れである。 そして当のゴンちゃんはもうイントロのシンセ音から大爆発。 「うーーー、やっぱこれだない。 これしかねえない。 やっぱこぶし振り上げだぐなっちまう。(=福島県伊達郡弁)」、と青筋立てながらこぶしを振り上げている。でも当時の田舎暮らしの中坊に「ロックで踊る」なんてことはアタマの片隅にもなかったので、ひたすらこぶしを挙げる挙げる。「な、いいべ?」という問いにも、「いやー、やっぱいいない!」と愛想笑いするしかなかった自分。 レコード聴かせてもらってさすがに「くだらん」とは言えん。

中学、高校と結構体育会系な団体に属していたにも関わらず、体育会系のノリと慣習には嫌悪感を抱いていた自分。 そもそも父親が体育教師でありながら、「高校野球の開会式はくだらん!」「決まりきった能無し軍人みたいな選手宣誓なんてクソだ!」「バットはケツを叩くために使うな!」といった感じに、保守中道&決まりきったお約束事をこよなく嫌悪する人間だったので、そんなオッサンの足元を見ながら育った自分は、その考えをちょっとだけかすって今に至る。

ゴンちゃんとブルース・スプリングスティーンのタイトな関係&お約束事=汗とこぶしとアメリカン・ロックンロール。 またの名を、ホテル・カリフォルニア以来最大の勘違い・・・。 よく言われるように「ボーン・イン・ザ・USA」はアメリカ賛辞の曲なんかでは全然なく、アメリカ人の歴史的な大いなる過ちについて歌ったものである。 ライヴバージョンとかを聴くと、この曲をスプリンススティーンは実に切なそうに歌う。

でもそんな歌詞の意味を知ったのは恐らく高校に入った頃のことなのだけれど、ベトナム戦争のことも、環境破壊のことも、何も知らなかった中2の自分にさえ、ゴンちゃんのこぶしには何か違うものを感じていた。 中古レコード屋で「ボーン・イン・ザ・USA」のアルバムを300円で見つけた!、と思って買って聴いてみたら「ボーン・イン・ザ・USA」のリミックスが4曲入っているだけの12インチ盤だったとか、そんなこともあって「ボーン・イン・ザ・USA」に関してはより懐疑的になっていた。

そしてその数年後、スプリングスティーンからニューアルバムが届けられた。それがこの「トンネル・オブ・ラブ」。 そのジャケットの雰囲気からも分かる通り、この作品はこれまでのスプリングスティーンのイメージを覆す落ち着いたアルバムに仕上がっている。ここには「ボーン・イン・ザ・USA」や「ボーン・トゥー・ラン」的にアメリカ人が大喜びしそうな曲は1つも入っていない。それゆえにスプリングスティーン発表のアルバム群の中で最も陰の薄いアルバムの1つとして認識されてすらいる。 でも自分はギラギラしたシンセ音も、猛烈なギターの音も入っていない1曲目のアカペラソング、「エイント・ガット・ユー」を聴いて、「ボーン・イン・ザ・USA」を遥かに凌ぐ高揚感と安心感を覚えた。 ひとつには前作の第2の「ボーン・イン・ザ・USA」を望んでいた多くの人間達の期待を心地よいまでに裏切ってくれたこと、そしてシンセの音で武装するわけでのなく、素のままのスプリングスティーンの姿がここに見られたこと、の2点が挙げられる。「ボーン・イン・ザ・USA」もこんな感じに仕上げたかったんだろうなあ、と今でも思うし、実際その後のスプリングスティーンは、この「ボーン・イン・ザ・USA」をある意味この「トンネル・オヴ・ラヴ」的な、時にはアコースティックで、時にはスローにメロウに、アレンジを変えて演奏してきている。 そしてもうこの曲で能天気にこぶしを挙げる人間はいない。(・・・とは言っても実際にライヴを観たことはなかったりする・・・・・。) 約束事のいらない、そんな自由なスプリングスティーンが、この「トンネル・オヴ・ラヴ」の中にあると思う。

この「トンネル・オヴ・ラヴ」発表後、ゴンちゃんは綺麗さっぱりと洋楽から手を引いた。そしてもう思いっきりベタな展開だけれども、その後に彼がハマったのが長渕剛。 さようならゴンちゃん。 自分は彼の結婚祝いにウクレレを送った。 でも彼が左利きだってことをすっかり忘れていて、どうやらそれを送って間もなく自分で弦を張り替えなければならなかったらしい・・・・と最後に余談。 



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Short Biography of Bruce Springsteen

言わずと知れたアメリカ・ニュージャージー州出身のブルース・スプリングスティーンは、「アズベリー・パークからの挨拶(73年)」でのデビュー以来、70年代中期から80年代全般に渡り、アメリカのロックンロールシーンを牽引するミュージシャンとしての地位を築き上げた。「明日なき暴走」「ザ・リヴァー」といった傑作アルバムを発表した後、彼のワールドワイドな認知度をさらに高めたのが、同名シングル曲を収めた「ボーン・イン・ザ・USA(84年)」で、全世界で1000万枚以上のセールスを記録した。その後、LP5枚組ライヴアルバムの発表などを経て、長年バックバンドとして連れ添ったEストリートバンドを解散。90年代に入り、「ヒューマン・タッチ」「ラッキー・タウン」という2枚のアルバムを同時発売したり、「ゴースト・オヴ・トム・ジョード」がレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンによってカバーされたり、アコースティックギター1本でワールドツアーを敢行したりと、彼自身、そして彼を取り巻く環境も変わってきたが、99年、実に11年振りにEストリートバンドを再結成し、大々的なツアーに乗り出した。 8月には地元ニュージャージーで、同一アリーナ会場15日連続コンサートという偉業を成し遂げたばかり。


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Last updated: 9/15/99