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![]() 自分が U2 を知ったのは中学生の頃だ。アメリカ在住していた当時、開局したばかりの MTV で彼らを見たことを鮮明に覚えている。ステージに国旗を振りかざしながら叫んで観客をアジる青年達。ボーカリストの瞳の美しさったら、まるで劇画調スポ根ドラマのように炎メラメラ状態だった。ロクに演奏もせずシャカシャカと空ピッキングしながらステージ上を動き回るヘナチョコ・ギタリスト、まるで初心者なんじゃないかと思うくらいに初々しいベース&ドラム…。それが U2 の第一印象だった。ちょうどアルバム『War』(1983年)が発売された頃だ。 U2 というバンド名(注1)、アルバム名が象徴するように、U2 の政治的姿勢、歌詞の重みは現在の Rage Against The Machine もタジタジするまでのメッセージ性を持っていた。当時エアプレイされていた "Sunday Bloody Sunday" "New Year's Day" は明白なプロテスト・ソングだったし、12インチシングル(この言葉自体が死語だ) "Pride" の裏ジャケではキング牧師の写真を使っていた。外界を見渡す美しいながらも険しい瞳の、尖って危ない面々。ボノ(Bono)の歌声は魂そのものを表わしたかのように生々しく、エッジ(The Edge)はいわゆるギターヒーロー像とは全く無縁なユニークの存在ながら、音の説得力はどんな光速早弾きギタリストも無条件降伏するまでの強力なものだった。 1987年発表のアルバム『Joshua Tree』は、何故か最近ドラマでも用いられた "With Or Without You" という泣かせ曲をはじめ名曲が揃っていた。確かに "With〜" は一度聴くだけで二度と頭から離れない最高の曲ではある。でも、自分が泣くのはその曲ではなかった。自分にとっての涙ボロボロ曲はオープニング曲 "Where The Streets Have No Name" だった。この曲で一体何度と涙を流したことか。この曲が語る "street" とは一体どこなのか。自分は旅行へ行くとき、必ずこのCDを持っていき、この曲をかける。そして、異国の地で "street" を眺めながら色々な考えを浮かべ、感情が高まるのだ。 しかしどういうわけか、ボノは炎メラメラ瞳をサングラスで隠すようになった。ちょうど『Achtung Baby』(1991年)の頃だ。それ以降の U2 の音楽性は明らかにそれまでのものとは異なった。その辺の議論は音楽雑誌でさんざん行われているので自分があえて書くまでもないが、少なくとも自分にとっては「ロック」ではなかった。魂を揺さぶられたり涙を流すものでは到底なく、全く興味の対象となることはなかった。 本年、U2 が久しぶりに『Joshua Tree』制作時の面々と組んで新アルバムを作る、と聞いたときも90年代の音楽性を考えると、特に心は動かなかった。仕事の合間に立ち寄ったCD屋、試聴コーナーにあった先行CDシングル "Beautiful Day" を半ば時間潰しで聴くときにも、ジャケ写真でボノがサングラスをかけていた時点で大きな期待は持っていなかった。 なのに。 聴いた瞬間。 周りに見られないようにして涙をふいた。 これまで無機質に感じていたボノのサングラスから熱い視線を感じた。 ボノの歌声が自分の心をわしづかみにしたその瞬間、同時進行でエッジのコーラス声が涙腺を直撃し、ギターが頭全体を包みこみ、ベースとドラムが全身をノックした。これまで流してきた涙…それらが時間軸を越えて一度にかぶさってきた位に、感動が何度も繰り返し蘇ってきた。新アルバム発売までもう何日もないからCDシングルなんて買わずに待てばいいものを、そんな理性は全く機能せず、グシャグシャになった顔を店員さんに悟られないように購入した。 そして。新アルバム『All That You Can't Leave Behind』発売日は2000年10月25日。 今日だ。 What you don't have you don't need it now What you don't know you can feel it somehow What you don't have you don't need it now, don't need it now It was a beautiful day... (注1)1950年代、アメリカが開発したスパイ偵察用飛行機。1960年、ソ連で撃墜された事件によって米ソ関係が悪化し冷戦に拍車をかけた。 | Back to Menu | ![]()
Last updated: 10/25/00 |