Brian Wilson うろうろ、うるうる

東京国際フォーラム - 7/14/99

reported by しげやん)


ブライアン・ウィルソンは,その音楽活動のなかで語りきれないほどの伝説,逸話,話題を提供してきた人である.極めて簡素化して語ると・・・・・

1960年代,弟2人とともに The Beach Boys のメンバーとして活躍したものの,その音楽への追求のあまりライブ活動をやめスタジオにこもって他のメンバーと対立し,さらにドラッグが原因で精神的に荒廃し,生き延びているのが不思議と思われながら弟2人が先に他界し,精神的な治療を続けながら少しずつ音楽業界へ復帰した,

・・・・というこの上なくドラマチックな人生を歩んできた人である.そんなオヤジが一体どんなライブを見せるのだろうか?そもそも本当に生きているのか?日本に来ることが出来るのか? コンサート前は怖いもの見たさ...もとい,不安ばかりが先走っていた.

しかし,そういう心配をよそにコンサートは無事開始となった.オープニングにはいきなりビデオの上映だった.ブライアンが何者なのか,ご丁寧に幼少時まで遡って説明してくれた.数々の名曲とともに当時の映像が流されたのだが,「もうこれから30年も経ってるし...」「どうせ今は声も出ないだろうな...」など,ついついシニカルに感じるのかと思いきや,すっかりそのビデオに乗せられていた.だいたい「自分は神の音楽を演奏している楽器なんだ」などのセリフを発する時点で心を揺さぶられ過ぎである.かれこれ20分くらいビデオが流された後,ようやくメンバー達は登場した.そして,伝説のオヤジも...

バンドは計11人編成.そのバンドがいざ演奏を始めるとムチャクチャうまい.どの楽器もバランス良く聴こえ,さらにぶ厚いコーラスがレコード以上に絶品である.中でも際立っていたのは高音部を歌いコーラスでも大活躍のギターおっちゃんだった.キーボードやビブラフォンにコーラスに,と大活躍していた方はレニー・クラヴィッツと柳沢慎吾との間に出来た子供のような顔をしていた.本当にそんな子供が出来たら近寄りたくないが.後のメンバー紹介で,その彼を含むメンバー4人は Wondermints というバンドの面々であることを知った.そして,キーボードを目の前においたブライアンが座りながら歌を歌い始めると... 確かに,あの独特の声ではあるが笑ってしまう位に音程が危なっかしい一方,他の面々はウマ過ぎで,それゆえに妙な緊張感が走った.そもそもブライアンの声がか細い上に音量も小さく,聴き取ることすら困難である.

しかしそんなことは3曲目に繰り広げられた不滅の名曲, "Don't Worry Baby" が始まった時点でそんなことはどうでもよくなってしまった.どういう訳か,この曲のイントロが始まった時点で,やたらと涙が溢れてきた.そして,歌が始まった時点でその勢いは止まらなくなった.何故なのだろう.この感激度は?! ...

その謎はさらに数曲後,名アルバム 「Pet Sounds」のインストルメンタル・ナンバー,"Let's Go Away For Awhile" で明らかとなった.この曲でブライアンが何をしているかというと,何もしてないのである!ステージに背を向け,他の演奏者を眺め,微動だにしない.あまりにも動かないゆえに,死んでしまったのではないかとマジで心配になる.まあ最終的には動いたが.しかし考えてみると,ブライアンは60年代よりステージに登場することはなかったのだ.常にオタク...もとい,オーガナイザー的な立場で作曲・編曲に励んでいたことを考えると不思議ではない.そうだとすると,たとえブライアンの表情が全く変わらなくても,イスから動かず回転イスで左右へグルグル回ろうが,手前のキーボードがダミーのように見えようが関係ない.ただただ,「彼が創ってきた音楽がいかに素晴らしいか,そしてその最高の音楽を最高の演奏者たちから奏でられるのをただただ楽しめばいいのだ」ということにその時点でようやく気がついた.

その後はDavid Lee Roth のカバーでも有名な "California Girls" でブライアンの声にエンジンがかかった後,実に35年前のヒット曲 "I Get Around" が始まり,ブライアンはようやく椅子より立ち上がった.踊る...というよりクマがウロウロするような挙動不審の動きではあったが,暖かい声援が送られたのは言うまでもない.その後休憩となったが,観客の平均年齢が高いゆえにみな頻尿気味なのか,それとも皆感動のあまりチビりそうになっていたのか,男性トイレの前は長蛇の列だった.何故か女性トイレには行列がなかったのだが,これは一体何故だろうか.

さて,第2部の始まり."Wouldn't It Be Nice" に引き続き "Sloop John B",という涙モノの選曲が続く.休むヒマもなくハモンド・オルガンが大活躍する"Good Vibrations"で大感激し,"Help Me Rhonda" でまたまた涙が出てくる.この流れの中,個人的にもっとも印象的だったのはベースのフレーズの美しさだった.ベーシストはブライアンのフレーズ...当時の音楽理論をすべてブチ壊し,これまでなかったような美しい独特のベースのフレーズ... を完璧に再現していたが,その音の伸ばし具合,タメ具合!ただただ絶品だった.

そうこうしている間に「ドンッ・ド・ドンッ・パン」という印象的なドラムのフレーズが始まった.誰もが一度は聞いたことがあるであろう名曲,"Be My Baby" のカバーであった.勉強不足ゆえに彼らがこの曲をレコードでカバーしたかどうかは知らないが,その出来がこれまた美しく涙モノだったことは言うまでもない.あれ,曲が終わる前にブライアンは袖口へ引っ込んじゃった... どうやら終わりのようだ.

まあ当然の如くアンコール."Caroline No"や"All Summer Long" と,心に訴えるような選曲の後は必殺ロックン・ロール・ナンバー,"Barbara Ann" である.ブライアンがウロウロし始め,また一足早くブライアンが引っ込んだ後メンバー全員が出てきてカーテン・コール,ブライアンの表情は相変わらず変わらなかったが,まいっか.

コンサート中は始めから終わりまで,感動のあまり心がジーンとしたり涙が出たり笑ったりと,とにかく忙しいコンサートであった.これだけ感動的で充実感のあるライブは一体いつ以来なのだろう. くどいようだが,「ブライアンの創ってきた音楽の素晴らしさ」をイヤというまで再認識した一夜... むちゃくちゃ高級なワインを飲みながら一流のフランス料理を食った後ビールを飲み,さらに屋台のラーメンを食らって腹が膨れたような気分だった.



| Back | Home |


next report: Sleater-Kinney & Number Girl (6/28/99)


Send comments to: Jun Shigemura

Last updated: 7/ 20/ 99