Lollapalooza '97 |
プ、プ、プロディジ〜!! |
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■ Coca-Cola Starplex Amphitheater, Dallas, TX - 8/ 2/97
featuring The Prodigy + Tool + Tricky + Snoop Doggy Dogg + James + etc...
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Lollapalooze '97 at a glance |
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私にとって、初めてのロラパルーザ、初めてのロック・フェスへの参加である。アメリカに来てちょうど1年。この日のために苦学してきたといっても過言ではない。今年のロラパルーザはチケットの売れ行き等懸念されてたりしていたが(実際The Jon Spencer Blues Explosionは金銭面の問題でツアー参加を見送っている。観たかった!)、アメリカでも最大級のフェスティバル。来年は見られないかもしれないので、チケットは発売開始後すぐ購入する。
出演者に関しては、インターネット上でも様々なうわさが飛び交う中で、ロラパルーザのホームページで当日のメンツを確認。お目当ては何といってもこの日のトリ、フジ・ロック・フェスティバルでもその最後を飾る予定であったProdigy。今世界で最も要注目のこのグループは、ちょうど幻のその日から一週間後のダラス入りである。出番は夜の8時50分頃を予定。正直あとのメンツのことはよく知らないのだけれど、続くは、ラップにはあまり興味がないがアルバムは2枚とも持っているSnoop Doggy Dogg, 人間か野生動物か確認したいTricky, そして過激なコステュームとプリミティブなサウンドで日本のメディアでも取り上げられ始めた Demolition Doll Rodsといったところであった。
ゲートは11時オープン、メインステージでは1時開演ということで、12時過ぎにヴェニューに到着することにする。到着して気がついたのだが、当日の会場である、ダラスのダウンタウンにほど近いCoca-Cola Starplex Amphitheaterは、フェア・パークという多数のアミューズメント、および芸術関係施設からなる巨大な敷地内にある。観覧車なんかも建物の間から見えていた。およそ2万人収容可能ということである。
車の流れは非常に良く、ほぼ予定通りに現地に到着。7ドルの駐車料金を払い、ゲートをくぐると、もうラウドなリズムが聞こえて来た。どうやらセカンド・ステージでの演奏はもう始まっているらしい。人の流れはまだ穏やかで、みんなまだ様子見といった感じ。無料のアーティスト紹介プログラムを受け取り、まずゲートの右手に進んでみる。この酷暑への対策か(昼間でだいたい36度ぐらい)よく学校のプールなんかにあるシャワーを10倍ぐらいにしたものがそこにはあって、皆頭から気持ちよさそうに水をかぶっている。その奥にはこじんまりとしたセカンドステージが設置されていて、オープニング・アクト、Molly McGuireがすでに熱い演奏を繰り広げていた。しかしながら、セカンドステージのアーティストはほとんど知らないので、とりあえずお目当ての一つ、Demolition Doll Rodsの出演予定時間のみをチェックして、メイン・ステージの方向へ人の流れに沿って歩いてみることにする。
こんな南部の田舎都市ダラスにもこんなファンキーな人達はいたのか、と思えるぐらい様々なファッションに身を包んだ人達がいたけれども、目に付いたのは当初ラインナップされていたKoRnのTシャツを着た若者達。私はほとんど知らないバンドなのだが、ギタリストの病気とかで、一週間ほど前に残りのツアーをキャンセルしている。次に多いのが、ToolのTシャツ。このバンドもよく知らない。Prodigyのシャツの人は一人も見かけず、少し不安になる。
メインステージのそばには、様々な屋台が並んでいる。何か飲もうと思っていろいろ見てまわったが、商品の値段が法外に高いことに気がついた。普通1ドル以下で売っているドリンクが、最低3ドル。ビールも一杯普通1ドルもしないところを、4ドル50セント。このあたりでは生活必需品の値段は普段東京の約半分ぐらいということを考えれば、これら値段がかなり法外であることが分かると思う。とりあえず水分補給なしではいられないような状態だったので、人の並んでいなかったかき氷屋で一杯もらうことにする。3ドルなり。
様々な人と屋台の間を縫うようにして進んでいくと、そこには巨大な屋根付きの野外メイン・ステージがあった。その後ろが、芝生席になっていて、当然屋根などはない。幸い私の場所は屋根の中なのだけれども、外の人はこの酷暑の中大変だ。8時過ぎまで日は暮れないわけだし。
中に入ると、ステージから10メートル後方ぐらいから椅子席になっていて、五千人以上は入れそう。そのステージと最前列までの空間が、一応スタンディング席で、どうやら前半分の椅子席の人しかその空間には入れないらしい。私のは後ろ半分の席だったので、残念ながらその空間に入ることは出来ない。しかし、そこはPAの真横ということもあって、ステージを真正面に見据え、かつ一段高くなっているので、なかなか見やすい位置ではある。
メインステージ開始の1時になっても、客席は約1割の入り。スタンディングの空間には誰もいない。しかしこののち、あれほどの人がその空間めがけてなだれ込むとは、この時つゆとも知らなかった。
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Failure & Julian and Damian Marley |
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メインステージに最初に登場したバンドは、LA出身というFailure。もちろんほぼ無名。踊る客もなし。サウンドはそのバンド名が決定付けていて、まさにグランジっぽい。いろいろなコードを使ってアレンジしてあるのだけれど、いかんせんこういった大きなステージに場慣れしてないといった感じ。サイドのベーシストと青いギブソンのギタリストのテクは確かなのだけれど、ひたすら下を向いてプレイし続け、微動だにもしない。個人的にギターの位置の低いプレーヤーというのは非常に好感が持てるのだけれども、衣装と髪型がいけなかった。まるでBSヤングバトルの地区予選に出てくる田舎の高校生のようだ。遠めに見た感じでは、ヴォーカルは太ったジャーヴィス・コッカーのようで、なおかつエディー・ヴェダー(というよりもほかの誰かに似ているのだが思い出せなかった)のような声質をしている。ドラムはスーパーグラスのような雰囲気でなかなかいい。でも後でパンフレットの写真を見て全然違うことに気づく。少なくともヴォーカルはパルプよりはいい男だと思った。
そうこうしているうちに、短いセットが終わる。しかしながら、バンド間のセット・チェンジが見事で、前のバンドが終わるとステージ後方の大きなガレージのような形をした扉が開き、そこにはトラックが待機している。そこにバンドのセットをものの数分で押し込み、次のセットがそのトラックの中、もしくはステージサイドから搬入される、というしくみになっている。
ほんの10分ぐらいだったろうか、スタッフがモニターチェックしているのかと思ったら、それが次のバンド、Julian and Damian Marley and the Uprising Bandであった。恥ずかしながら後でパンフを読んで知ったのだけれど、彼らはBob Marleyの最後の子供たちということで、シンガーDamian Marleyは父の死の3年前の1978年生まれ。その死の前年に発表されたアルバムが「Uprising」。知名度としては兄のZiggy Marleyの方があると思うのだが、まだまだ若いわけだし、これからを期待といったところだろうか。
演奏の方は、ドラムがカンカンなって気持ちいい。Bob Marleyの直系ということで、当然父の曲も演るのだが、クラプトンのカバーで有名な、「I Shot the Sheriff」なんかは、「シェリフ撃っちまった。」「いや俺じゃねえって。」というところが妙に感じ入ってしまった。本家家元流のそれを聴くと、その唄本来の意味である差別とか偏見とかいった部分が、切実なものとして響いてくる、そんな印象を持った。しかしながら、今日のお目当ての一つ、セカンドステージでのDemolition Doll Rodsの登場時間が迫っているということで、曲半ばながら席を立つ。
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Demolition Doll Rods, James, Tricky |
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Demolition Doll Rods、ロラパルーザ初見参のこのとき、セカンドステージの前には100人ぐらいが集まっていただろうか。彼らの演奏は既に始まっていた。うわさ通りだった。3人のメンバー中、姉妹2人はビキニパンツ姿で、上半身は両乳首に胸に段ボールのような紙の切れ端をガムテープでつけただけという、ほとんど裸状態。しかし不思議と違和感はない。この暑さの中、かえってうらやましい。ロラパルーザの本来のテーマである環境保護に最も適した格好ともいえる。女装した男性メンバーのあそこは、明らかにテープかなんかで上向きに固定されているような感じで(そんなとこじっと見ていた自分って一体...)、目立たないようになっている。
楽器の方はベースレスのいわゆるジョンスペ構成で、ギターx2+ドラム。そのドラムもタムが2つあるだけの超シンプルなもので、スネアはおろか、バスドラもシンバルもない。これといった技があるわけでもなく、ドンタン、ドンタンといったリズムを延々と繰り返す。ギターはギターでアンサンブル無視の、コード一発で徹底的にかき鳴らすか、もしくはごくシンプルな単音フレーズを地獄の底まで繰り返す。
「我々はデトロイトから来たDemolition Doll Rodsだ。はるばるダラスまでロック・ユア・アスしに来たぜえ。」というエアロスミスのスティーブン・タイラーがいいそうな言葉に、客は思いっきり引いてしまう。皆無言。一人二人とその場を去っていく者も。「オー、ガッシュ」といって本当にあきれている様子だ。こういった光景に慣れているのか、気にする様子もなく再び演奏に突入。曲中に何の山もないままにあっけなく終了。客席では、ボール遊びが始まり、見事にギターのマーガレットの顔面に命中、即倒。「みんななんかリクエストはあるかい」というボーカル、ギターのダニーの言葉にマーガレットは「こいつらただボールで遊びたいだけなのよ。そんなにボール遊びしたければうちに帰んな。」と怒りをあらわにする。
後半はラモーンズ、ストゥージズ、ハウリン・ウルフなどのカヴァーを中心に曲を披露。途中ダニーのハーモニカと、ドラムのクリスティーンのタンバリンとマラカスのみの伴奏で、マーガレットがブルースを唄うといったこともあった。ダニーのギターの腕はかなり確かで、おまけに体も柔らかい。ギターを弾きながら何度も体を後方にそって見せる。いやはや、テキサスの青い抜けるような空の下、減りゆく客を前にして、鮮烈かつ悪夢のような瞬間を提供して彼らはステージを降りていった。まったくもって私の期待以上のバンドであった。
メインステージではJamesの演奏がもう始まっている筈である。しかしこのバンドもほとんど知らないので、適当に周囲をぶらぶらして過ごすことにする。ターキー・レッグを一本4ドル50セントで買い、むさぼりつくように食べながら芝生席の方も歩ってみる。しかし暑い。汗が玉のように流れ出る。
芝生席の真ん中辺りを歩っている時、目の前でマイクを持ち、金色のラメの入った服を着て、何やら唄う真似事のようなことをしている人がいる。彼の口の動きはスピーカーから聞こえてくる声とまったく同じである。小さな歓声が上がる。この時点でもまったく気がつかず、一瞬U2のボノのそっくりさんかとも思った。それが、Jamesのヴォーカリスト、Tim Boothだということは、彼がステージの方に向かって歩いていくときにやっと気がついたのである。何せ知らないバンドなのだから。
彼がステージに戻り際に、「こん中で誰かステージで踊りたい奴はいるかあ」と叫ぶ。するとこれまた私の目の前にいた奴が、ダッシュよくTimのところに駆け寄り、「よしおまえに踊ってもらおう」ということになった。しかしこの選ばれたデブがひどくて、まるで素人ハワイアンダンスのような踊りに、完全に興ざめしてしまう。人選を誤ったようだ。しかし何万もの人を目の前にいきなりステージで踊らされたら、そりゃあ緊張するわなあ。
そんなことがあって席に戻ると、Jamesの演奏が終わった。よくみると私の周辺の顔ぶれが違っている。どうやら皆勝手に他人の席に座っているようだ。それに対して怒っている人もいる。こういったことは日本では考えられない。この辺のマナーは日本人の方が良い気もする。
客席が約5割の入りになった頃、やっとTrickyの出番である。しかし彼の音楽は私にとって、特に興味のあるものというわけではない。ただ彼の唄う姿、たたずむ姿が観たかったのだ。
ステージにノソノソ現れた彼は、うわさ通り小柄で痩せっぽっちだった。マイクスタンドにしがみつくようにして、声を、というかうなり声のようなものを発しはじめた。バンドの音に呼応して、体を小刻みに震わせるTricky。よくみると16分のビートで体は振動している。こちらも息を呑んで見守る。
もう一人の女性シンガー、マルティナが唄いはじめると、Trickyは一転して会場に背を向けて、一向に動こうとしない。彼の動く範囲といったら半径2メートルもないであろう。コンサートにありがちなエンターテインメントとは無縁で、非常に密室性の高い音楽。
彼のファーストを聴いて思っていたが、ロラパルーザの広い会場、そして昼間の出演というのはトリッキーの音楽には合わないのではないかと想像していた。実際客席の期待と、ステージのノリには多少のギャップが感じられたのは気のせいではあるまい。音楽を楽しむというよりは、得体の知れないアーティストと音楽に固唾を飲んで見守るといった風情であった。
同じリフを延々と刻むベーシストとギタリスト。その中で多彩なリズムをたたき出す黒人ドラマー。そしてうねりの中で、徐々に高揚していくTricky。2曲目で早々と上半身裸になった彼の曲間に発する言葉は「Thank you very much」、そして最後の曲に入る前に開いてしまったバックステージの扉をみて口にした「We are supposed to leave now」のみ。
客とのコミュニケーションを端から放棄したようなそのステージングは、本当に当日のメンツの中で異色を放っていた。
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Snoop Doggy Dogg, Tool |
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だいぶ埋まって来たこの会場と対照的に、ステージには極々シンプルなセットが準備される。その背後に、彼の最新アルバムのタイトル「Doggfather」のロゴと、その家をイメージした垂れ幕がかかると、客席から大きな歓声が上がった。今日初めてといっていいぐらいの歓声である。やっぱり結構人気あるなあ、とのんきに思いつつ、まあこのままのんびりとProdigy出てくるのを待とう、などと余裕に構えていた。
するとどうだろう。ラッパー2人とDJの登場と同時に観客は総立ちになり、地鳴りのような歓声が聞こえて来た。それだけではない。私の背後からおびただしい数の人間達が、ステージ前のスペース、いわゆるモッシュ・ピット目がけて突進し始めたのだ。当然彼らにはそこに入る権利はない。しかし、セキュリティーの制止をも振り切ってなだれ込む観客達。その数ざっと三千。そこにサングラスと黒いTシャツ姿のSnoop Doggy Dogg登場。数秒前まであれほど静まり返っていた会場が、一瞬無法地帯のようになる。ステージ前ではとたんにダイブとモッシュが始まった。それを煽るかのように精力的にステージングするステージ上の3人のラッパー達。Snoopはその中のお山の大将といった感じで、威風堂々とした風格さえ感じさせる。「だーらす、てくさす」および「マザふぁか」を連発し、あっという間に観客の温度を沸点まで持っていった。
まったくもってこの人達のステージ・パフォーマンスは巧妙だ。曲中には頻繁に観客とのコミュニケーションをはかり、決して客をダレさせない。曲が終わっても、絶対に隙間を作らない。DJが皿を回すことがあれば、客とのコール&レスポンスを繰り返すこともある。本当にステージ慣れしているといった感じで、私なんかにはほとんど同じに聴こえてしまう各楽曲も、決して飽きることなく踊らせ、楽しませる。MCから曲に入るときのダイナミクスはこれまで味わったことの無いもので、第一、黒人によるラップでこれだけの数の白人を踊らせてしまうことがすごい。
しかしいったん喧騒が治まり、モッシュ・ピットに入りきれなかった人達がセキュリティの誘導で元の場所に戻りはじめたとき、どうしてSnoopはロラパルーザに出る気になったのだろうかを私は考え始めていた。特に彼が唄の中で昨年射殺されたTupacの事に触れ、「Tupac, we love you, we miss you」と連呼するのを聞くにつれ、その思いは強くなってゆく。はっきりいってツアー・メンバーから考えても、これは明らかに白人をマーケティング対象にしたフェスティバルである。同士である筈の黒人などは我々アジア人と同じぐらい、会場で目にすることは少ない。そこでなぜTupacのことを唄う?
その疑問に対するある程度の答えは、ロラパルーザのツアーパンフの中にあった。彼は言う。「俺はストリートの連中だけでなく、多くの人々の心にも触れる音楽を作っていきたいんだ。俺のことを理解してほしいし、白人、黒人にかかわらず俺をサポートしてくれる連中をがっかりさせたくもない。俺は現実的であり続けるつもりだし、ハードコアなものでみんなを楽しませたいんだ。」
より現実的で、よりパーソナルなことを、人種に関係なく多くの人に分かってもらいたい。そのためには、白人の前でも堂々と「マザふぁか」と叫び、黒人社会の現実の写し絵として、自分に最も身近な存在だったTupacのことも唄う。これで米国内を隅々までまわり、大量の若者を動員するロラパルーザへの出演もこれである程度納得がいく。白人はより白人のために、黒人はより黒人のための音楽を作る傾向にある現在のポップミュージック界において(日本のロック雑誌で紹介されているグループなんてその中のほんの一握りのものにすぎない)、彼の考えは本当に理想郷ともいえる境地を目指したものだ。白人世界に飛び込むことを恐れがちな黒人達(その逆も言えるし、すべての異人種間にも言えることだ)のことを思うと、彼のロラパルーザ・ツアー参加という決断は本当に評価したい。
この辺でコンサートに話を戻すと、個人的にアルバムは何度も聴いたことがあるとはいえ、曲の違いがいまいち分からない自分としては、ヒット曲「Nothin' But a `G` Thang」ぐらいしか演奏した楽曲のタイトルを挙げられないのだが(しかしこの曲のポップ度は際立っていた)、非常に楽しめた。ステージ上にビーチボールが舞い込んで、Snoopはそれをわしづかみにして掲げて踊るつもりだったのだけれど、滑って落っことして、それをまたあたふたと拾いに行く姿はとても微笑ましかった。そのビーチボールにペンで何か書き込んで客の方に蹴り返したようだったけど、一体なんて書いてあったのだろうか。
次はTool。なにせこのバンド、Rage Against the Machineのお墨付きで、なおかつファースト・アルバムを125万枚、そして昨年発売されたセカンドも初登場2位というかなり有名なグループらしいが、なにせProdigyメインの私は、恥ずかしながらまたしても知らない。アルバムぐらいチェックしろよ、とファンの人には怒られそうだが、何せ苦学生で、この先のNY旅行のこともあるので申し訳ない、今回はぶっつけ本番で望む。
Snoopのライブの後いったん混乱は治まったかのように見えたが、Toolの前はさらに大きかった。メンバー登場を待ちきれない観客が前へ前へと押し寄せる。その前にいる連中は、「もっとこいよ」といわんばかりに、後ろの観客に手招きをして、突進を煽る。これにたまりかねたセキュリティ側は、これ以上前に人が来るならばショーの開始は不可能、と発表した。
これに焦ったのは、ただならぬ私。「Toolはいいとして、Prodigyはどうしてくれるんだよ。Fujiの二の舞いは御免だよ。もう後ろからくんなよ、おめえら」。この祈りが通じたのどうか、Toolのメンバー登場。ほっと一安心。しかしみんな椅子の上に立っていて、すぐにでも爆発しそうな勢いだ。やっぱ人気あんだな、このバンドは。
うわー、しかしなんだあのヴォーカルは。オレンジのワンピースの水着に、白覆面(顔塗ってるかも)。良く見えないのだが、ベースも変な格好。ライティングも紫っぽくおどろおどろしい感じ。背後のスクリーンには、これまた怪しげな映像がプロジェクトされ、不気味なムードに拍車をかける。しかし音の方は、結構正当なハード・ロック+ノイズ+プログレ(どこが正当だ)といった感じで、音が割れていまいちだったことを除けば、結構普通。セットリストの方は、個人的になんともわからないが、他でも似たようなショーをしているようなので、Kieran O'Gorman氏のロラパルーザNY公演のレヴューなどを参考にしていただきたい。
通常のセットのほか、もしくはかわりに今回はLed ZeppelinのNo Quarterなど演奏したりして、私のような初心者には非常にルーツのわかりやすい構成になっていた。この時初めて椅子から立ち上がったのだけれど、どさくさに紛れて隣に割り込んで来た奴が、何かうんちくたれはじめたのがいけなかった。そもそも、音がでかくて何言っているのかさっぱり分からない。とりあえず「Led Zeppelin」とだけは聞こえたので、そこだけ相づち打ってあとは無視する。
全体的にみて、ヴォーカルのMaynardは伸びのある声が出ていて非常に良かった。ギターのAdamもそんなにテクニカルな感じではないところが好感持てるし、ドラムもベースもしっかりしている。しかしながら、このバンドの演奏中から私の心と体はもう「Smack My Bitch Up」...。
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The Prodigy |
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テキサスの長く暑い太陽もようやく沈み、このロラパルーザ97、ダラス公演も残すところProdigyのパフォーマンスのみとなった。前のバンドToolの演奏が爆発的に盛り上がった余波で、みんな帰ってしまうのではないかと心配したが、何とか大多数が踏みとどまっている。みんな落着かない様子だ。
当の私は期待とか楽しみとかそういう次元を通り越して、ただぽけーっとセットチェンジの様を眺めている。これまでのバンドに比べて何せ時間をかけた凝ったセットで、ステージ中央の一段高い円形状のDJブースのようなところの背後には、3本の太い柱のようなものが立てられ、様々な光が放出できるようになっている。さらにステージの左右にはスピーカーのようなものが積み上げられ、背後にはカーテンのような幕がかけられた。普通この時、他のア―ティストらの場合かなりの歓声が上がっていたのだが、Prodigyの場合それはなし。またしても不安材料が増える。
しかしこの時をしてもまだProdigyの登場を信じられない自分がいた。間違ってOrbitalが出て来たりしないだろうな、日本との時差ぼけでキャンセルしたりしてないだろうな、など心配したらきりがない。そんな胸中のさ中、客電が落ちる。するとまず何者かがステージ中央にやってきた。スポットライトが照らすその姿は紛れもなくLiam。ああ、本物のProdigyだあ。するとこの1ヶ月死ぬほど聴き狂ったアルバム1曲目の例のイントロが。これこそまさにあの「Smack My Bitch Up」...。
すると勢いよくMaximとKeithの2枚フロントがステージに飛び出してくる。くわー、超かっこいい!地鳴りのような歓声が上がる。やっぱりみんなも待っていたのだ、この時を。Keithは出鼻から切れていて、突然エビのようにジャンプして、横のスピーカーに頭をガンガンぶつけ始めた。Maximはモッシュ・フロアにあふれた客達をさらに扇動するかのように、精力的に動き続ける。それにも増してすごいのが、Liamの繰り出す音の壁。踊ることを強制するかのようなリズムの嵐。なおかつ音が本当にいい。大音量でありながら2万人収容の会場でやっているようには思えないほどにクリアーなサウンド。まったく信じられない。隣にいたおじさんおばさんも、目の前にいたカメラ小僧のオタク君2人組達も、気が狂ったように踊りだした。まさに何かに呪りつかれたかのように。
「Smack My Bitch Up」を合唱すると、次はProdigy教の呪いのかかった我々にぴったりな「Voodoo People」。ここでLeeroy登場。スポットライトも追いつかないほどのスピードで疾走...いや踊り抜ける。曲のタイトルを聞いただけで歓声が上がったのが、次の「Breathe」、そして「Poison」。何せこのグループの裏のメインをLiamとするならば、表のそれは完全にMaximだ。私の見た限りKeithではない。存在感、ステージテクニックどれをとっても彼が上だ。Keithが髪型をあんなふうにしたのも、Maximと対等な注目度を獲得するため...といったら深読みしすぎか。
「Oh,my God...,oh,my God...,oh,my God, that's the funky shit!」。こうMaximが絶叫したあと、Keithはサポートのギタリストとピョンピョン辺り構わず跳ねまくる。この噂のギタリスト、皮ジャンにトンガリ頭という典型的パンクファッションでギブソンSGをかき鳴らし、なおかつ本当に音が出ているのかは定かではないが、一応マーシャルのアンプを背後に従えこれでもかというぐらいに弾け飛んで転げまくる。その姿、このステージに不思議なぐらいハマっているのだから思わず笑ってしまう。そして私も思わず立っていた椅子の上からずれ落ちそうになる。
Keithが見事に転んだ「Serial Thrilla」。そのまま見事に「Mindfields」へとつながっていく。まったく我々をだれさせない密度の濃い内容、それでいてさらなる食欲をそそるかのような見事な曲構成。Snoop Doggy Doggが客とのコール&レスポンスによって、濃密な空間を作り出すのとは明らかに異なった方法で、Prodigyは音へのより高い欲望を喚起する。変な言い方だがProdigyは、ステージから「見せる音」を放出することによって、その受け手に踊りというものを強要しているかのように思えるのだ。なおかつLeeroyの踊りが彼らに指針を与え、フロントの2人がそれを先導(扇動)してゆく。実に巧妙な手口で、聞き手を踊りの世界に洗脳させていくのである。
ぎらぎらした光の中で、もはやKeithの独壇場である「Firestarter」。このナンバーを最後にして全10曲、彼らは潔く去っていった。まるで完全犯罪を成し遂げたルパン三世が、人間味を覗かせつつ、さりげないユーモアを残して去ってゆくその姿に良く似ている。まったくものすごいものをみてしまった、その一言に尽きる。見る前も見た後も私の口から出る言葉は変わらない。「プ、プロディジイ!」。
- Smack My Bitch Up
- Voodoo People
- Breathe
- Poison
- Funky Shit
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- Their Law
- Serial Thrilla
- Mindfields
- Rock N' Roll
- Firestarter
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こうして私のフェス初体験は終わった。何よりもまず嬉しかったのが、帰り際、「Prodigy最高」「俺はFunky Shitが良かった」「いや私はBreathe」といった声をあちこちの会話から耳にしたこと。そして私自身Prodigyのすごさを確認したこと。なおかつ現代ポップ・ミュージックの様々な形態に触れられたこと。オルタナティブの祭典という言葉にふさわしい今年のロラパルーザの内容だったように思う。
フジ・ロック・フェスティバルからわずか1週間後の当ロラパルーザ公演ということで、私の中で嫌が上でも両者の比較は避けられなかった。しかしながら、上記全ての文章を読んでもらえば気がつくように、こちらにも問題は山積みである。法外な飲食物の値段、セキュリティも手をこまねくルール無視の観客達、そして何といっても、チケット代から寄付はされているということだが、忘れられかけているフェス本来のテーマである環境問題に対する参加者(見る側、見せる側両方)の意識。はっきり言ってしまえば、金銭問題のみクリアすれば、この程度のフェスなら日本でも開催可能である。これに近い複数アーティストによるコンサートなら日本でも何度も行われてきているし、富士のような高冷地でなければ、開催の是非は別として、ここまで後味の悪いものにはならなかったであろう。ロラパルーザは出演者選択のモデルにはなっても、フェスを成功に導くための画期的な点は何一つも見出せない。かえって環境問題などをロック・フェスティバルに持ち込んでも、何の効力も示さない、ということを明らかにしている。「これはロック・コンサートではない。自然を楽しむお祭りだ」という大義名分に踊らされ、結果本当にコンサートどころではなく、逆に自然からしっぺ返しを受けたのが今回のフジ・ロック・フェスティバルだったのではないだろうか。
来年、もしくは近いうちに日本でも海外のアーティストの音楽を楽しむための本当の意味でのロック・フェスティバルが開催されることを祈っている。日本で開催されない限り、今回を最後に私自身もフェス2度目はないと思っているので。
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Send comments to: Katsuhiro Ishizaki Last updated: 8/ 25/ 97
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