「感受性訓練」Tグループの理論と方法

 

L.P.ブラッドフォード J.R.ギブ K.D.ベネ 編

 

(財)日本生産性本部より昭和46年3月20日第1刷発行:監訳者三隅二不二

 

<訳者のあとがき>抜粋

センシティビティ・トレーニング(sensitivity training)は、Tグループ(T group)ともいうが、初期にはグループ・ダイナミックスとよばれていた。この方法を最初に創りだしたのは、グループ・ダイナミックスの創始者クルト・レヴィン(Kurt Lewin)である。
1946年に、レヴィンは、たまたまコネチカット州の人種問題委員会の要請によって人種的、宗教的偏見を解消することを目的とした新しいタイプのリーダーシップ・トレーニングを企画し、それを実施した。
その経験にもとづいてスタートしたのが、今日世界の各地に大きなインパクトを及ぼしつつあるNTL(Nstional Training Laboratories)である。Tグループないしセンシティビティ・トレーニングは、このNTLの中核的活動をなすものである。さて、1946年のときに行ったワークショップは、研究者と観察者とトレーナー(訓練者)の3つのチームからなりたっていたが、こうしたチームのリーダー格にいたのが、ロナルド・リピット(Ronald Lippitt)、リーランド・ブラッドフォード(Leland Bradford)そしてケネス・ベネ(Kenneth Benne)であった。したがって本書の編者たちは、レヴィンの弟子たちである。
さて、NTLやTグループを一貫しているバックボーンは、いうまでもなく実験的精神である。「ラブ”Lab”」というのは、単なる研修会やトレーニングの場を意味するのではない。それには「実験室」という意味がふくまれているのである。「実験」といえば、それだけで抵抗を感じる読者もいるかもしれない。しかし、カール・ロジャース(Carl Rogers)がいうように”センシティビティ・トレーニングは、おそらく、今世紀がうみだした最も価値ある社会的発明である”とするならば、そのような社会的発明を生みだしたものは、まさに実験的精神にほかならなかったといえるであろう。
実験といっても、NTLが強調するののは単なる研究のための実験ではない。それはアクション・リサーチ(Action-Research)である。つまり実践そのものを絶えず客観的に評価し、それを実践にフィードバックし、実践そのものを高めつつまた、それと平行してリサーチを深めている方法論のことである。
1946年の経験で、レヴィンは実践過程に、実践に参加するオブザーバーを導入してのであるが、オブザーバーの資料をグループに報告したことが反響を呼び、オブザーバーの資料の解釈をめぐっての討議が、研究のみならず、実践過程の発展にも有意義であるということを見いだしたのである。
研究と実践と訓練の相互浸透性の強調こそアクション・リサーチの最大の特徴である。
レヴィンは、1947年、メイン州のベッセルに所在するゴールド・アカデミーにおいて、第1回のNTLを企画したのであるが、それが開催される前に、忽然としてこの世を去った。

このベッセルの地は、風光明媚、単調なるアメリカ大地に退屈した人々にとって、こよなき憩いの場所である。日本の風景に似て、山あり谷あり、小川の清きせせらぎには、アブラメ等が泳いでいた。近くには福岡市の南西に横たわる背振山にも似た優美な山脈がなだらかに流れ、真夏でも初秋の気配があった。私が訪れたのは、NTLがスタートして10年後の1957年の夏である。リー(ブラッドフォードはこの愛称でよばれている)に初めてあったのもそのときある。
3週間、避暑もかねたNTLの経験はすばらしかったが、Tグループだけは苦しい体験のみがあとまで記憶された。Tグループの中で、勝敗の深手をおったかつての海軍予備学生がよみがえり、不自由な言葉で話し合いをつづけることに異常なストレスを感じたからであった。
第2回目に参加したのは1961年の夏である。ハーバード大学に滞在していたので、ボストンから気軽にでかけることができた。そのときは心のゆとりもあり、興味ある体験をすることができた。しかし、いずれが自分にとって有効であっただろうかと思う。
1957年にNTLに参加した直後、私は当時日本産業訓練協会の局長をされていた故竹井英夫氏にTグループのことについて紹介した。ご返事をいただいたが、その当時、日本では全く知られていないので、日本への導入できるかどうか見当がつきかねるという意味のことが書かれていた。
しかしその後、我が国においてもTグループへの関心はしだいに高まってきた。
アメリカなどでは、ややブームの感すらあるほどの進展を示している。昨年九州大学に来訪したカートライト(D.Cartwright)教授によれば、Tグループへの参加は臨床心理学を専攻する大学生の履修すべき単位となっているという。ブッキャナン(P.C.Buchanan)によれは、1968年におけるNTLは、前年の20%増の集会をもっているという。いまや教育界における教師の集会や社会教育関係、企業内教育などは、Tグループを行うことがあたりまえのようになっているという。NTLのスペシャリストの数も、1963年には159名であったが、1968年には289名に増加したと報告されている。
このTグループやNTLの盛況は、しかし、この訓練方式の教育効果が、ますます科学的に究明されてきたことによるのではないようだ。ここに重要な問題点が残されている。もちろん、ラブ・トレーニングに関する研究文献が年々増大してはいる。ダーハムとギャブ(Durham & Gibb)によれば、1947年から1960年の間に49の研究が行われ、1960年から1967年の間に76の研究が行われたと述べている。しかし、これらの諸研究の成果が、今日のTグループの発展をうながしたとはとても考えられないのである。それでは何故、Tグループは発展するのであろうか。
おそらく、家庭生活、学校生活、職場生活が、技術革新等による現代社会の急激なる変動によってゆすぶられていることと深いかかわりがあるのであろう、急激なる社会の近代化は、一方では、あらゆる社会生活の側面に非人間化を促進しているのである。
現実の社会生活から急速に脱落していくことは、都市に住む人間にとってやはり耐えがたい淋しさであり、不安であるだろう。この不安と淋しさゆえに、センシティビティ・トレーニングやTグループに人々が異常な関心を示し、そこに人々が肩と肩をつき合わせるように集まってくるのではあるまいか。この解釈がもし真実を物語っているとすれば、これは現代のTグループのもつヂレンマのひとつといえよう。何となれば、Tグループは不安と淋しさに耐えかねた人々の逃避の場所ではないからである。むしろTグループは、かかる不安や淋しさに耐え抜くことができるような人間をトレーニングする場所である。しかし、実際に行われているTグループには、こうした逃避場所を与えることに終始しているものがすくなくないのではあるまいか。ここに、Tグループの盛況が必ずしも、Tグループそのものの発展であるとは言えないふしがあると思う。
もちろん、一時、人生の嵐をさける避難の場所や憩いの場所があってわるいわけではない。しかし、Tグループはその目的のために形成されたのではないことを忘れてはないらないであろう。
Tグループが、その本来の目的を達成するためには、Tグループに関するもっと厳しい科学的研究と、その技法の開発的研究が必要であろう。日本人と日本の文化、東洋文化の背景のなかでの行動科学的アプローチを中心とした、Tグループに関するきびしいリサーチとアクションが要請されるのである。
私どもが、九州大学教育学部において、NTL方式を始めたのは昭和33年であった(「集団と行動」第6号、特集”Tグループ”グループダイナミックス研究会資料、1962年)。その後、昭和36年から3ヶ月間の研修会を毎年継続実施してきた。これは文部省大学学術局の予算にもとづくものであったが、その企画、立案はすべて九州大学教育学部の責任で行ったものである。そしてこの研修会プログラムの中核をなすものはTグループであった。
このTグループのトレーナーには、池田数好教授(教育指導学・精神医学)と筆者が主として当たり、狩野素朗助教授(集団力学)、前田重治助教授(教育指導学・精神分析学)が交替することもあった。そして評価研究は大学院の学生諸君や助手が中心となり、多角的に毎年つづけてきた。補章としてかかげた池田教授と前田助教授による2つの論考は、このときのTグループの体験とその分析評価からうまれたものである。両氏は、多年、精神医科の研究者であるのみならず、すぐれた臨床医でもある。とくに池田教授は、森田療法のエキスポートである。私どもは、わが国において、日本人に適したTグループを開発するためには、Tグループの効果性を科学的にきびしく探求するリサーチ・チームとTグループに関心と理解を持つグループ・ダイナミックスの専門家と精神医学者などの隣接行動諸科学の研究者たちとのチームワークが必要であると考え、それを実践してきた。ようやくこの方面の客観的データと経験の蓄積が熟してきたので、この方面の活動は拡大することを考慮すべき時期が到来したと思っている。本書の邦訳出版はその第一歩である。
翻訳にあたっては、池田数好教授と日本心理技術センター所長、前国鉄労働科学研究所心理室長相馬紀公氏の両先輩の特別参加をうけたり、また立教大学宗教教育研究所所長柳原光教授の場合は、アメリカに留学中を追いかけて翻訳の協力をお願いしたりして大変ご迷惑をおかけした。なおこの翻訳出版に対しては、社会教育の岩井教授、集団力学研究所の森俊雄特別委員長をはじめ、井原伸允氏の並々ならぬ激励をいただいたことを感謝する。また九州大学カウンセリング・センターで日夜学生カウンセリングに多忙を極めておられる安藤延男博士、黒川正流氏には訳文の調整・編集、校正その他の雑務を何から何までお引き受けいただき、感謝の言葉を見いだせないほどである。
また第8回の「集団力学・カウンセリング研修制度による研究会」の参加者であった鈴川槇沙子夫人からも有益なご示唆をいただいた。三角恵美子夫人と百武尚子夫人には文献整理、原稿整理等でたいへんお世話になった。日本生産性本部の出版部長武藤政一郎氏および伊藤玉枝さんからは絶えず励ましと鞭撻をいただいた。ここに心からお礼を申し上げる次第である。
最後に本訳書の出版によって、わが国におけるTグループの発展が促進されることを祈りたい。しかし、池田教授の論考の結びにもあるように、それがあまりにも不用意に、流行的に実施されることがないこともあわせて祈りたい。

1971年1月

集団力学研究所にて 三隅 二不二

 

編者紹介

ブラッドフォード、リーランド P.(Leland P.Bradford)

イリノイ大学哲学博士  NTL応用行動科学研究所専務理事

 

ギップ、ジャック R(Jack R. Gibb)

スタンフォード大学哲学博士  カリフォルニア州ラ・ジョラにて心理学コンサルタントを開業

 

ベネ、ケネス D(Kenneht D. Benne)

コロンビア大学哲学博士  ボストン大学ヒューマン・リレーションセンター教授

 

訳者紹介(アルファベット順)

 

安藤 延男(あんどう のぶお)

1963年九州大学大学院教育学研究科博士課程修了

(当時)九州大学保健管理センター講師 教育学博士

 

原岡 一馬(はらおか かずま)

1960年九州大学大学院教育学研究科博士課程修了

(当時)佐賀大学教育学部助教授 教育学博士

 

広田 公正(ひろた こうせい)

1962年東京都立大学大学院人文科学修士課程修了

(当時)国鉄労働科学研究所主任研究員

 

池田 数好(いけだ かずよし)

1938年九州大学医学部卒

(当時)九州大学学長 医学博士

 

石田 梅男(いしだ うめお)

1970年九州大学大学院修士課程修了

(当時)九州大学大学院博士課程在学中

 

狩野 素朗(かの そろう)

1963年九州大学大学院教育学研究科博士課程修了

(当時)九州大学教育学部助教授

 

黒川 正流(くろかわ まさる)

1970年九州大学大学院教育学研究科博士課程修了

(当時)九州大学教育学部助手

 

三隅 二不二(みすみ じゅうじ)

1947年九州大学文学部心理学科卒

1949年九州大学大学院修了

(当時)九州大学教育学部教授 集団力学研究所長 文学博士

 

長田 良昭(ながた よしあき)

1964年京都大学大学院文学研究科博士課程修了

(当時)大阪女子大学文学部助教授

 

坂口 順次(さかぐち じゅんじ)

1957年関西学院大学大学院文学研究科修士課程修了

(当時)立教大学キリスト教教育研究所員

 

佐々木 薫(ささき かおる)

1963年九州大学大学院教育研究科博士課程修了

(当時)関西学院大学社会学部助教授

 

佐藤 清一(さとう せいいち)

1964年九州大学大学院教育学研究科博士課程修了

(当時)熊本大学教育学部助教授

 

白樫 三四郎(しらかし さんしろう)

1965年九州大学大学院教育学研究科博士課程修了

(当時)西南学院大学商学部助教授

 

柳原 光(やなぎはら ひかる)

1941年東京大学文学部卒

1947年コロンビア大学PH.D.

(当時)立教大学文学部教授、文学部長

立教大学キリスト教教育研究所長

 

志知 朝江(しち あさえ)

1955年東京女子大学文学部卒

元立教大学キリスト教教育研究所員

1958年ニューヨークユニオン神学校 コロンビア大学A.M.

(当時)在米中

 

田崎 敏昭(たざき としあき)

1967年九州大学大学院教育学研究科博士課程修了

(当時)佐賀大学教育学部講師