くまさんの雑記帳

 

今この瞬間に感じていること、気づいたことを思いつくままに書き留めていきたいと思います。GWTで育った私が何をどんなふうに考えているのか、それを知ってもらうのもGWTを知ってもらう方法のひとつかな?なんて気持ちで書いてみます。興味のある方はおつき合いください。(掲載順を新しいものが上になるよう変更しました。はじめて読む方は恐れ入りますが一番下から御覧ください。)
2004年8月22日

前回に続いて久々の記録です。夏休みを妻の実家で過ごし今日の午前1時に帰ってきました。なんというか、この夏休みは『自然体』で過ごせた充実した時間でした。仕事という『役割』を基本とした人間関係、そして、看護士研修会という『あるがまま』を基本とした人間関係。この1年、いろいろな人間関係の中に生き、いろいろ悩み、いろいろな事を感じて来ました。それらの想いが、なんかスーと混じり合って・・・・、例えば2色の違う色水をひとつのコップにいれて、それらが分離するのではなく、化学反応をした一つの新しい色が出来たという感じかな・・・・・何か、今まであるものなんだけど、それらがつながって、自分の中で、自分自身に融合した・・・・・そんな感じです。

そうそう・・・『熟成』だ!。この1年間の仕事での自分と看護士研修の自分が、ゆったりとした時の中で、色々な意味を醸しだし、影響しあい、そして共鳴し、ひとりの自分・・・いまここに生きる自分という形で成熟した。仕事の自分・研修の自分は別々の自分ではなく、いつも自分らしい自分でいること。それなりの努力は必要だけれど、自分らしくいられるのだという確信が、何か芽生えた感じです。

『人とふれあうことで人の意味は生まれる』

遠い昔ですが、『人が生きる意味は何だろう?』と真剣に悩み、自分には生きる意味がない・・・死にたい・・・そう考えたことがあります。それ以来、『生きる意味』というキーワードは、私の心の中で大きな存在でした。そして今回の夏休みで感じたこと・・・子供達と共に生き、子供の成長に刺激され、年老いた妻の父母と過ごしその姿から何かを感じ、そして妻と色々話をする中で、『人が生きる意味を探すのではなく、「意味のある」生き方をすること目指したい。そして、人とふれあうことで、影響されたり、影響したり、助けたり、助けられたり・・・・そういう、人と人とのプロセスの中で、人の・・・いや自分の生きる意味は生まれるんだなと感じました。そして、『学び・熟成させ・伝える』それが、今の自分の考える生きる意味なんだと考えています。

2004年3月5日

なんと1年3ヶ月ぶりの記録になります。この1年、上下関係のはっきりした立前と本音の世界で、歯車として仕事をし、もがき苦しみながらもなんとか過ごすことができました。そして、そんな時間を耐え抜いた自分へのご褒美として、2月28日〜3月3日の5日間、南山大学人間科学研究センター主催のトレーナートレーニング(Tグループのトレーナー養成)に参加をしてきました。今回はこの5日間をふりかえって、感じたことをとりとめなく書いてみたいと思います。

今回の研修は私にとって・・・・

「考えるのをやめて、感じることに集中したら、プロセスを自然に感じることが出来た体験」

「自分の価値観を取り外し、一人ひとりの参加目的を改めて読み返し、そして味わったら、新しい何かが見えた体験」

「一人ひとりを人として大切にすることだけを考え、いまここでメンバーに寄りそって生きた体験」

「いつのまにかに、自分の周囲にグループのメンバーが集まっていた不思議な体験」

「穏やかに、澄んだ気持ちで、そこにいて、メンバーと共に生きられた自分を感じた体験」

「ひとりひとりが、今もしっかりと感じられる、同じ時間を、空間を生きたと感じられる体験」

「あの空間で、あのメンバーといっしょにいられて本当に良かったと、心から感じられる体験」

「ソールメイトってこんなのかな?と、不思議な心の共鳴、そして愛を感じた体験」

・・・・でした。そして、この体験は、何かこれからの自分の『愛』のコア(核)になるように感じます。

今回の研修での学びは・・・

・トレーナーは、プロセスを感じ、頭の中で介入の影響を吟味をして、勇気を持ち、恐れないで、覚悟を決めて、介入をする・・・または介入をしないことを選ぶ

・トレーナートレーニングは、「トレーナーロールをとるメンバー」という視点だけではなく、「メンバーロールを取るトレーナー」という視点からもアプローチできるのだな。

・自分のために・・・・から・・・・○○のために・・・・そんな、スタート地点の変化が、ファシリテーターとしての第一歩なのかな?

・自分に率直に生きている人は、なんて素敵なんだろう。その人といるだけで・・・・・・

 

2002年11月25日

昨日第4回日本体験学習研究会に参加してきました。そこでの気づきの記録を自分のために残したいと思います。整理をされた文書にはなりませんが、印象に強く残っている順に文字化します。

「くまさん、なんでいいわけするの?いいわけしなくていいのに!」ということをFさん・Yさんの2人から全然別々な場面で言われ・・・・言い訳をしている自分という存在・・・そして、言い訳をする自分というものを自覚し、「なんで自分は言い訳をするのだろう」と考え・・・・そこに自分ではきっと目を避けようとしていた自分の一面に、改めて目を向けられたことが一番大きな収穫だったかもしれない。そこにはまるで『Tグループでの時間』と同じ瞬間があり、そして”Tグループモード?”で、その場にいられた自分、そしてFさん・Yさんがいて・・・まるでなにかTグループに参加して来たような、そんな気分すら感じている今の自分がいます。日常の中でちょっと忘れかけていた、Tグループモードの自分・・・・本当にありのままのナチュラルな自分、そしてその自分を直視して受け入れている自分・・・・そんなことを思い出させてもらったのかもしれません・・・・

何を目的に自分は今回研究会に参加したんだろう?・・・・正直、かなりモチベーションが下がった状態での参加・・・発表をしなければならない・・・・という枠組みを自分で勝手に作り、そのために参加した自分・・・・他の発表にあまり興味関心を感じていなかった自分・・・そんな自分が参加する前にはいたな・・・・と思い返しています。東京に帰ってきた今、参加した学び・・・・というか、持ち帰ったのは「来年は『実習のねらいとふりかえり用紙の設問のリンク』とテーマで発表したい。そのことをこれから1年間を課題として研究したいというワクワク観ともいえる気持ち(動機付け)」です。そういえば昨年を除けば、毎回発表をしては次の課題をこの研究会でいただき、次の研究会で発表することを目的に1年間研究をしていたんだ・・・・そんなことを・・・そんな初心を思い出しました。来年に向けがんばろうそんなワクワクする気持ちを今の自分に観じています。

あと何を気づいたか?学んだか?・・・・・・・

「Tグループの経験は自分にとってなんだったんだろう」と改めて考えられたこと(最後のフィールドチョイスでHさんから質問されて)。

「Tグループを通じて感受性が高まったが、それを日常生活に活かすことが”苦しい”と感じる瞬間を持ち、それでも何とかしようと思っている人が、自分意外にもいるんだなと共感し、勇気づけられたこと(「体験学習を日常にどのように活かすか」でのUさんの発言を聞いて)

Kさんと話したいと思う自分がいて、そんな自分の気持ちにストレートに行動できる自分を感じれたこと。(懇親会でTオブTで衝撃を受けたKさんと再会して)

その場のひとりひとりを大切にし、勇気を持って発言をしてくれた人、そしてその内容を大切にし、誠実に答えていく司会の姿勢とその具体的方法(津村先生の座長としての態度・討議の進め方を見て)

N先生の「体験学習の効果」について学問的にアプローチする姿勢(スタンス)見て、統計学や基礎的心理学について学びたいと触発されたこと(体験学習の累積効果の発表を聞いて)

 

2002年10月15日

昨日GWTを応用したスポーツボランティア講座が終わりました。この講座のプログラムをさらに磨いていきボランティア活動へのGWTの応用を確かなものにしたいと今想っています。

趣旨:「自己成長と社会貢献のためのボランティア活動」の実践を目指す中で、ボランティア活動を自己成長につなげる具体的な方法としてGWTトレーニングのふりかえりの技法を応用する。

方法:事前研修で実習「ボランティア活動とは(価値の序列)」を実施し、@体験から学ぶということはどういうことか。Aふりかえりの意味とその方法を学ぶ。現場実習では@自分の行動を意識する。(今回のイベント実習では「笑顔」「声かけ」「共感」の3つを具体的に意識させた)Aひとりひとりとの出会いを意識する。(後ででふりかえりで文字化することを予告)ことを目標にする。そして現場実習後に1時間30分ふりかえりの時間を設定し、個人のふりかえり、小グループでのわかちあい、全体でのわかちあいを行い、最後にまとめの小講義を行う。

特徴:ふりかえり用紙は事前研修の「ボランティア活動とは」と現場実習でのふりかえりを同様な設問にする。そうすることで、何についてどのように気づくのかをシュミレーションする意味もある。

(1)今の実習(今日の現場実習)で一番印象に残っているのはどんな場面ですか。またその時の気づき、発見を書いてください。

(2)今の実習(今日の現場実習)であなたに良い影響をあたえたのは、誰のどんな行動でしたか。またその時の気づき、発見を書いてください。

(3)今の実習(今日の現場実習)で気づいたこと、感じたこと、発見したことを自由に書いてください。

効果:ボランティア活動を自己成長につなげるキーワードは「人との出会い」「体験との出会い」だと考えている。その出会いから自分が何を感じ・気づき・発見したかを意識化する、そのための方法としてGWTのふりかえりの方法を応用する。そしてその応用のために、事前研修においてGWTの実践を行ったわけである。今回は20名の参加者であったが、個人差はあるものの現場実習から多くの人間関係に関する気づき、発見があった。また、その気づきが小グループでのわかちあい、全体でのわかちあいによって、より確かなものになったと感じている。また特に今回は@反省会とふりかえりの違いAわかちあいによって自分が気づかなかった場面(涙を流していた女の子の話、ずるをしてメダルをもらった子供の話、小さい子供が楽しめるようにルール違反をさせたボランティアの話等)を知ることができたことB「ひとりひとりを大切にすること」とふりかえりで「良い影響をあたえてくれたのはみんな」と書かないこととの関係などをまとめの小講義にいれて話をした。

上記の内容は今回のメモとして記録をするもので、今回の内容はより整理をし平成15年度の日本体験学習研究会でGWTネットワークとしての研究として発表をしたいと考えている。

 

2002年9月29日

第3回の合宿が終わり5日間がたちました。一回一回自分の中で合宿の意味・ねらいが変化し、一歩一歩坂野先生の合宿に近づいているのを実感じています。その一歩を記録して、更なる来年の合宿に繋げたいと思います。

 

合宿の意味

人は自分の中に自分を高めたい、本当の自分でありたいという「種」を持っている。

その「種」を自分で持っているということを発見させること。そして、その種の芽を発芽させ、育て方・・・・つまり真正面から向かい合う自分と、他者と・・・・そうすることで水をあげることが出来る。そしてその芽を大切に育てることが出来る。育てるには時間が必要・・人によってスピードは違う、でも確実に育っていることを信じて・・・肥やしはこの合宿のファイル。迷ったらこの原点に戻る。

自分自身で今の自分を記録し、そしてその自分を見て洞察する。そして話す・・・・この方法を実践すること。

 

第3回合宿の特徴

真剣に真正面から向かい合うことを目指した合宿。他者に、そして自分自身に・・・・Tセッション、自由な空間ではなかった。真剣な、静かだけれども、息の詰まるようなピーンとした身の引き締まる空気の空間・・・みんな全力で、その人のために、自分自身のために、自分自身を奮い立たせ、自分自身を歯を食いしばって戦ったT。

ある者は自分自身をだすことに、ある者は弱い自分を押さえるために、ある者は仲間の成長を願い自分の気持ち、本当の率直な気持ちを絞り出すために・・・本当に真剣勝負、木刀ではなく、本物の日本刀で命をかけて切る、弱い自分自身めがけて斬りつける・・・想いを込めて・・・・その人のために・・・・自分のためにと・・・・

2002.9.25 AM5:07

 

旅の後輩達へ

私には坂野先生のように教えることは出来ない、しかし、ひとりの人間として「真正面から向かい合う」ことを、ことばではなく、自分のあり方・姿そのもので伝えていく、それが私が今講師として出来ることであり、講師としていまここにいる意味だと思う。

きっと坂野先生も教えようとは思っていなかった。結果的に私たちが勝手に教わった気でいただけなのかもしれない・・・・講師という存在を勝手につくって・・・ひとりの人間として、講師という立場にいて、ひとりの人間として精一杯いまここで自分が何が出来るのか、真正面から向かい合い・・・想いを伝えていたのかもしれない・・・みんなを信じて・・・そして愛して・・・

それが坂野先生の本質!Tグループの本質!

「相手を変えようと思わないでください。相手の成長を思ってください。そして、何が出来るか真剣に考え・・・行動してください。その相手を信じて・・・そして愛して・・・」

第2回合宿最終Tセッションを終えた後輩たちへ・・・

講師の立場の私より

 

2002年8月24日

「自己発見プログラム(一部Tグループの要素を含む)」の講師を担当しての私の気づきを、「初心」を忘れないために記録しておきたいと思います。

「共にあること」・・・

自分らしさを発見する旅の先輩として、はじめて旅に出る後輩と2泊3日の「自己発見の旅」に出た。先輩として後輩にしてあげられることを真剣に考え、真剣に後輩に向かい合い、率直に自分を表現し、素直に後輩を受け入れた。後輩の姿に喜びを感じ、悲しみを感じ、怒りを感じ、そして後輩と共にそこにいる私を感じ、後輩と旅をしながら、自らが旅をつづけている私がいた。いまの自分にとって、「共にあること」というTグループのトレーナーとして一番大事な姿勢はきっと、今回の自分の姿勢なんだろなと感じている。この感じをこれからも持ち続けたい・・・おごることなく、気負うことなく、率直に素直に真っ正面から人と向かい合う自分でありたい。

「鏡」・・・・・

受講生の姿を見ていることで、私自身が本当に多くの気づきをえることが出来た。受講生の中に私を・・・鏡に映ったような私を見た、発見した。そして、受講生と真剣に真っ正面から向かい合っているとき、自分自身の中にある枠組みや価値観や恐れ、願望を発見することができた。自分自身もひとりの人間として成長するため、自分らしくいきることを追い求めるため、あらたな鏡に真剣に向かい、その鏡で自分を映し続けよう。そんな気持ちを持ち続けよう・・・・・

「鏡に映ったものは」・・・・・

100点満点を求める自分。正解かどうかを求める自分。人の評価を気にしている自分。人を評価している自分。人にひどい奴と思われるのを恐れている自分。人の評価を恐れ、気持ちをオブラートに包んでいる自分、前置きをしている自分。人からよく見られたいと焦っている自分、気負っている自分。楽なほう楽なほうと努力をさけている自分。一生懸命ひたむきに取り組んでいる自分。マイナスの部分を求めプラスの部分を見逃している自分。人への影響を気にしている自分。人に感謝されたいと思っている自分。自分が正しいんだと思いこんでいる自分。一生懸命自分と戦っている自分。意見を否定されるのが自分自身を否定されると感じている自分。人に対して冷たい自分。人に興味を持っていない自分。自分自身に興味を持っている自分。人の期待を感じると萎縮してしまう自分。自分の気持ちをごまかしてしまう自分。決めつけたがっている自分。判らないことを判らないと言えない自分。

「Tグループと今回のプログラムとの違い」・・・・・

両方とも「自己と真剣に向き合い、そして人と真剣に向かい合う旅」という点では根本は同じである。というより、「Tグループ」の求めるもの、つまりTグループの本質を持ち続けるこそ、今回のプログラムの使命だと思っている。その上で違いを述べれば、「Tグループ」は最低4泊5日というある程度ゆとりを持った時間設定であり、かつその成果が出る出ないは特に求められるものではない。(別な言い方をすれば成果を求めるという考え方がTグループにはそぐわないのかもしれないが・・・)、しかし今回のプログラムは業務研修として2泊3日間という期間で一定の成果を全員に求められる(レベルの差は一定以上であれば問題とならないのであるが・・・・)という点で大きく違う。
そういう制約の中で、それではTグループは出来ないと投げるのではなく、それらの条件の中でTグループの本質を伝えるためにはどうしたらよいだろうか。と故坂野先生が昭和52年から約20年間試行錯誤をくり返し開発したのがこのプログラムである。イメージ的に私が解釈していることを説明すると「旅に出よう」とグループで何も決めないで旅にでるのがTグループ。「北海道の旅にでよう。北海道はいま冬だからこういう点だけは気をつけてね。旅先ではその土地の人といろいろ話すといいと思うよ、思いもかけない素敵な情報を得られるからね。」と旅のエリア(場所ではない:これが重要)を決め・旅での注意・ポイントをきちんとガイダンスしてから、自由な旅にでるのが今回のプログラム。決してツアーでないことが重要であり、そこを理解できないとこのプログラムは台無しになるのだと感じている。

 

2002年8月23日

はじめて2泊3日の「自己発見プログラム(一部Tグループの要素を含む)」の講師を担当して、まる1日経ったいま思うことは・・・いま自分の中で自分のために記録をしておきたい想いは・・・・・

感謝の想い・・・10年前自分自身が受講生として体験した「自己発見の旅」、あの時の熱い想いはいまも自分の中にあります。そのプログラムを自分たちが再生して、講師という当時とは違う立場で体験できたことは、この上もなく幸せを感じています。思い起こせば2002年10月22日一通のメールが全てのはじまりでした。故坂野先生の蒔かれた麦の一粒として・・・・故坂野先生の意志を継ぐ者のひとりとして、自分がそして我々GWTネットワークが、このプログラムを継承できるだろうか。いやそういう以前に、本当に我々が継承してもいいのだろうか・・・・・・・本当に悩み、ネットワークの仲間に、学校GWTの仲間に、そして奥様に相談しました。そして決断しました。あの時の想いを生涯忘れないための病院担当者へ私が出したメールを記録に留めたいと思います。

 

先日ご依頼のありました研修の件について、世話役会を開いて検討したり、坂野先生を師と仰ぐ仲間や坂野先生の奥様とも相談いたしました。
「大変だとは思うけど、自分たちでできると思ったら受けてみたら」という意見や、「中途半端な気持ちや実力で受けることはかえって坂野先生の名前を傷つけることになるから、断るのも勇気のある決断だと思う」という意見等もいただき、ここ数日間、正直悩んでいました。
思い出すに今の状況は、昔坂野先生の「自己発見の旅」を受けた時、最後のプログラムで「午後8時までは何があっても子供達と遊んであげる」と自分で再決断し、それを坂野先生や仲間の前で宣言したときの苦悩と同じ気がします。やればいいのは判っている、やりたい気もある・・・でも、やれる自信が無い、そしてとんでもなく大変な気がする・・・・・でも、きっと、ここでやると宣言してしまうと、”坂野先生に嘘をつきたくない”という自分の中の自分がどんなに辛い状況でも自分を逃がしてくれないだろう・・・・・・という、あの時の苦悩そのものです。

そして追悼集「立ちて歩みなさい」の中にある坂野先生の写真を見ていると・・・・坂野先生が「研修を承諾するも、断るも、くまさんの自由だよ・・・・でも、本当に断ってもいいのか?くまさん!、本当に・・・・」と優しく微笑みながら、でも鋭い目で語りかけてくるように感じるのです。

「できるか、できないか、立ち止まって考えるより、結果を恐れず自分を信じて一生懸命目標に向かって進む、プロセスが大切なんだ。そのプロセスがあってこそ、次の成長があり、積み重ねができるんだ」そんなことも考えました。

今回の研修でも、我々に本当に求められているのは、「参加者を変える」ことではなく、「参加者自身が気づき、変わっていく支援をするため、我々自身があるがままにその空間に生き、一生懸命自分を見つめ、自分ができることを精一杯惜しみなく提供すること」が一番重要なのではないかと考えるようになりました。

そして、自分たちの全身全霊をかけてがんばってみよう。坂野先生を失ってからの2年間自分の中で育ててきた愛をベースにして、自分たちなりの「自己を発見するためのGWT」を実践してみようという気持ちが、今心の底から沸いてきています。

本当に自分たちで良いのか?という気持ちは完全にはぬぐいされはしないのですが、もし、我々で良いということならば、来年の夏に向けて自分たちで研鑽を積み、天国にいる坂野先生もよろこんでもらえるような研修を目指して頑張りたい・・・・というのが、我々GWTネットワークの結論です。

これから先の具体的なスケジュールや内容等は、是非近いうちにもう一度お会いしてつめさせていただければと思います。まずは、お受けすることを決断したご報告をさせて下さい。

本当に決断までお待たせしてすみませんでした。どうぞこれからよろしくお願いいたします。

2001.11.16 GWTネットワーク 木村

PS.今日坂野先生の墓前に研修をお受けしたことを報告に行こうと思います。これで逃げられなくなります。あとは、ひたすら頑張るだけ・・・本当にどうぞよろしくお願いします。

あの時の決意、そして覚悟が今日を迎えさせたのだな。とこのメールを読みながら改めて感じています。このような機会を私に与えてくれた担当者のNさん、Iさん、そして病院のスタッフの方々、そしてなりよりも、全てのはじまりを与えてくれた故坂野先生に感謝をいたしております。その気持ちを自分の中に刻み、さらなる研修に望んでいきたいと誓いを新たにしています。 

 

2002年6月18日

ひさびさの風邪で3日間寝込んでしまって・・・

 

この3日間はいったい何だったんだろう・・・寝てうなされていただけの3日間、でもそれには何か意味があるのでは・・・・そう考える自分がいて。そういえば、自分の枠組みの中に「意味の無いことはしたくない」というものがあり、そんな自分が”この3日間の意味はなんだろう”と必死にかんがえているのだろうな?と自分自身をふりかえっています。

私が学んできた体験から学ぶとは、【第1ステップ】ある体験(今回の場合は3日間うなされて寝ていたということでしょうか(^○^))をすることで、何を考え、気づき、発見したかを文字化して自分の中で明確にすること。【第2ステップ】同じ体験を別な視点(認知)から見た気づき・発見を知ることによってより深く、より広く、またはより明確にすること。(いわゆるグループでのわかちあいによって)そして、【第3ステップ】その気づきや発見を今の自分(日常生活)にどのように活かすかを考えること・・・・・・なんだろうなと、改めて整理をしてしまいました。

3日間を無駄にしたくないともがいている自分を感じながら、もう一度「自分とは何か」を考えるそんな機会になればいいなと思っている。今の瞬間です。

2002年3月9日

南山大学人間関係研究センター主催の「Tグループのトレーナートレーニング」に参加して・・・

 

今回の研修での学び・気づきを文章化するのは非常に慎重にしたいと感じています。それは、今回の学び・気づきを文章化(文字化)することによって、伝えたいことの本質が部分的にそぎ落ちてしまう『もどかしさ』と、それに加え、その単語の持つ読み手のイメージ(先入観)によって、伝えたい内容の本質が伝わらないのではという懸念からです。しかし、自分自身の今の感覚を思い出すためのヒントを書き残しておきたいという想いと、これを読んだ人がこれからの経験の中で何かを模索する時のキーワードとして活かしてほしいという願いでこの文章を書いています。

○コンテンツ(内容)としての学び

 プロセスから学ぶ学習方法のトレーニング観

 プロセスから学ぶ学習方法のデザインの仕方

 プロセスから学ぶ学習方法におけるトレーナーの態度

 プロセスから学ぶ学習方法におけるトレーナーの介入スキル

 オブザーバーとしての観察スキル

 オブザーバーとしての記録・発表方法

○プロセスレベルの学び

 『人が生きる』ということは・・・・・

 『人が人と向かい合う』ということは・・・・

 『人が人を想う』ということは・・・・

 『相手との関係を味わう』ということは・・・・

 『自分自身を見る』とは・・・・

 『気づく』とは・・・・

 『感受性』とは・・・・

○この4泊5日での気づき

 自分自身への気づき・・・『○○○○の自分』

 自分自身の持っている『枠組み』

 自分の介入スタイルの発見

 一般的対人関係理論と今回の体験との融合

 「気づかせたい」「気づいてほしい」「気づく」との違い

 「目的意識・研修へ臨む姿勢」と「研修成果」との関係

 安全な安心できる場の必要性と学習効果

 自分の苦手なタイプと苦手と感じるそのメカニズム

 意識して新しい行動をとる価値と意味

 「目で語る」「目は心の窓」という本当の意味

 自分の中に「坂野先生(恩師)の死」がもたらしたもの・・・

 言葉(単語・語尾)を選ぶ意味とその影響

 

とても抽象的な表現ですが、とても多くのことを学び・気づいた5日間でした。ただ実際にTグループ自体を経験していないと、本当の意味での研修効果が少ないなと痛感した研修なので、興味のある方は段階として是非Tグループできたら、南山大学人間関係研究センターまたはHPで紹介してあるヒューマン・インターラクション・ラボラトリーのいずれかを受講することをお勧めいたします。GWTの本質そしてTグループを理解するためにも・・・・

 

2001年12月3日

昨日第3回日本体験学習研究会に参加してきました。今回は期待以上に自分にとって多くの気づきを得ることができました。特に山本先生の「Tグループとエンカウンターとの違い」で”いまここで”の解釈がTグループとエンカウンターでは違うという視点は新鮮なヒントでした。話を聴く過程で自分の中でTグループ(人間関係トレーニング全般)では”気づく”ことを大切し、エンカウンター(構成的エンカウンターを含む)では”感じる”ことを大切にしているのではという仮説が浮かんできました。

そしてそれをより明確にしたのが原田先生の発表でした。原田先生はエンカウンターの分野で活動している方でそういう意味では日本体験学習研究会では、はじめての異質な方でした(研究会ほとんどTグループの流れをくむ方々が中心で、エンカウンターの系列の方との出会いはありませんでした)。偶然にも山本先生の発表の後半のグループ討議で原田先生と同じグループになったことでリレーションができ、発表でもリラックスして聴くことができました。発表の中でやはり、『いまここにいる自分を感じてください』ということが、エンカウンターの中で強調されていることを知り、確信をもちました。

また同じ系列の中で大きく影響を受けたのがまどか先生の発表でした。『スピリチュアル』という自分ではいままでどちらかといえば避けていた分野でしたが、この発表を聴くことで、「言語化できる気づき」「言語化できない気づき(ノンバーバルな気づき)」という2種類の気づきがあること。『感じる』ことはある意味では言語化できない(言語化しても意味の無い:言語化することで本質が本質でなくなってしまうのでという意味)気づきであるということを知りました。

 

 

2001年11月6日

昨日21名の係会議を開催(1ヶ月に1回定例的に行っている)し今年の上半期のふりかえりと業務微調整をテーマにしました。そしてこの係会議で改めて感じたことは、人の考え方が本当に様々であること、「個」と「グループの中での個」の違いということです。

これはあたりまえといってしまえばそうなのかもしれませんが、上半期をふりかえって、普段人の目を盗んでさぼっている人が「会議の中では自分のことは棚に上げ、他人の欠点、失敗のみを指摘し、ではどうしたらよいと思うか?という質問には、自分で考えるのが仕事だろと平然と評論家のごとく勝ち誇ったようにいう人」「個人的に話を聞くと多くの意見を訴えるのに、会議の席では一切発言もせず、意見を求めても、○○さんと同じですとしかいわない人」「批判的な発言が続くと、もっとやれといわんばかりに、ここぞと生き生きと発言するする人」「冷静に会議の流れを見て、的確に自分の意見を言ってくれる人」「会議の流れを考えないで、自分の解釈で自分の感情をぶちまける人」・・・・本当に様々な人がいるのだなと感じる瞬間でした。

そして、それと共に、「個」と「個」という関係と、「個」と「グループ(集団)」という関係は、グループの人数が多くなれば多くなるほど違うのだなと痛感しました。故坂野先生が生前、GWTは係長級までの研修(約10人くらいまでの小グループのリーダー研修)には使えるが、課長級以上の研修(複数のグループをまとめる立場の人の研修)には充分ではない、課長級以上の研修ではGWTの他に必要な能力が求められる、といっていたことが頭に浮かんできました。

そう考えて、私自身が何を部下に求めているのか、改めて考えてみると・・・ひとつは評論家ではなく『主体的』に業務をふりかえってほしいこと。ふたつめは、悪い点の指摘と共に良い点についても平等にふりかえってほしいこと。そしてみっつめは、ふりかえったことをこれからの業務に活かすという観点で検討をしてほしいことです。

でもこれって書きながら思ったのですが、GWTのふりかえり・・・・そして日常化と同じ事なのだなと。そして、GWTでも、今の私の係でも、一番の大切なことは「自分の問題として主体的に取り組む姿勢を本人に意識してもらうこと」であり、アドバイザーとして係長として、そのためにはどうしたらよいかを考えるのが今の私の課題なんだなと感じました。 

2001年10月23日

10月8日に現在の仕事のひとつの山を越えてホッとしたのか、ここ数日でいろんなことを考えています。その中でも一番大きいのは、「坂野先生は本当は何がしたかったんだろう」という疑問です。私自身は坂野先生との出会いで、大きく影響を受けているし、多くの事を学んでいます。そんな自分が坂野先生の考えを継承していきたいと思ったとき・・・・GWTを広めるということではなく、もっと根本の、そう、本当にしたいことがあって、そして、その方法のひとつとしてGWTを開発しGWTを実践していたのではないだとうかと考えたのでした。そう思うといてもたってもいられなくなり、坂野先生の書いた本を取りだしてもくもくとページをめくる自分がいました。そして、その中でも「人間開発の旅」は、自分の心を揺さぶりました。

本を読んでいくと、自分の中で「坂野先生は本当は何がしたかったんだろう」という疑問から、「本当は自分自身(くまさん)は何がしたいのだろう」という問いに変わっていきました。そう、そして思ったことは・・・・・

自分自身をもっと成長させたい・・・・そして、自分と同じように自分を成長させたいと思う人の力になりたい、そして、共に人間としての自分を成長させていきたい・・・そう思っています。

今の現時点では・・・・「人に自分自身を成長させる喜びを感じてほしい」「人に自分自身を成長させる素晴らしさの気づいてほしい」・・・・そこまでは、思っていないのですが・・・

私がやりたいことは・・・・私がやりたいGWTは・・・『自分を成長させたいと思う人が、人との関係の中での自己を成長させる方法のひとつとして行う体験的な学習』であり、やはり『楽しくて、ちょっとためになる人間関係の体験学習』なんだなと感じました。

 

2001年10月22日

Tグループを受けた自分の変化をこの雑記帳に残す意味から、私のTグループのトレーナーであり、今の自分のあこがれの人のひとりにもなった中堀先生へ宛てたメールを掲載したいと思います。

ご無沙汰しております。くまさんです。

唐突ですが・・・・・

昨日体育の日記念事業という私が企画したイベントが終了しました。

そのプロセスで先日のTグループでの経験が自分の中で熟成していることを感じ、是非先生にご報告したくてメールを書いています。

先日のTグループの中で私の中に残っていることばが2つあって、ひとつは中堀さんからアドバイスをしていただいた「その時の相手との関係を味わってごらん」ということば、そして、「言葉って、その人の中で熟成するものなんですね」という名文句です。

ひとつめの「味わう」ということからいうと・・・今回は体育の日記念事業を企画・準備・実施するプロセスで、いろいろな人とのかかわり合いを味わいながら仕事をしました。そして、その中でとてもたくさんの気づきがありました。

実は今回のイベントを実施するにあたり、自分のまわりの人に無償のボランティアを頼むなどある意味でははじめて人に頼りました。こう書いても説明不足なので少々解説すると・・・・

私の中に「人に頼ってはいけない」ないという、枠組みがどこかあった気がします。それは思えば、小さい頃から母親の影響でできたもののような気がするのですが・・

・・それを今回はあえて、思いっきり人に頼ろうと思って、一つのラボラトリーに自分をおきました。

イベントの計画段階で周りの人からいろいろなフィードバックを受け、途中で挫折しそうになりながらもなんとか、当日を迎えイベントを終えることができました。

今回はイベント終了後、1時間30分くらいお手伝いいただいた人を対象に、ふりかえりの時間を設定し、今度ご紹介しますがふりかえりシートを個人で記入してもらい、その後グループでふりかえりを行いました。イメージ的にはひとつの実習の部分が「長いイベント実施」になったというイメージですが・・・・その中で、いろいろな人の気づきを聞いていて、お願いして良かったな、お願いできて良かったな、お願いできる自分でよかったなと感じました。

ふたつめの「言葉が熟成する」というのにも関係するのですが、先日のTグループでの経験が自分の中で熟成して、何か新しいものが自分の中で変化してきているのを感じるのです。

いまは、お願いできた事への感謝の気持ちでいっぱいですし、その気持ちを感じることができる、味わう事ができる自分にとても感動しています。

これは絶対に先日のTグループでの経験がなければ、そう感じれなかったと考えると・・・・・是非、先生に報告したくなったのです。

Tグループが終わって1ヶ月位は、自分に起きた変化を実感できなかったのですが、最近になって自分に起きたことは、「自分自身を信じれるようになったこと、そして、その自分に自然に(ナチュラルに)したがって動いてもいいんだ」という再決断だったろうと思います。

また、この話はお目にかかった時に是非ご報告したいと思いますが・・・

いま、この瞬間の気持ちを先生にお話したくて、メールを致しました。

では・・・・次回またお会いできる日を楽しみにしています。

2001.10.9(注:イベントが終わった翌日の早朝に作成)

by くまさん

 

2001年10月10日

約4ヶ月ぶりの書き込みになります。「喉元すぎれば熱さ忘れる」の格言とおり、係内も表面的には愚痴をいう人はいなくなりました。しかし、これは「やる気」がでたのではなく、目立たないようにさぼることを覚え、表面上はうまく立ち回っているわけです。やはり、「やる気」を育む難しさを感じると共に、自分の力の無さを痛感しています。

しかし、これはGWTのトレーニングにも言えることだなと思います。生涯学習分野でのリーダー養成などでGWTをやるときは、「やる気」のある人が多く参加しているので、アドバイザーも楽しいのですが、職場の研修などいやいや参加をしている人へのGWTや資格取得のためしょうがなく参加している人へのGWTへは、アドバイザーとしても疲れます。「やる気」とても重要なキーワードですね。

 

この数ヶ月の中で仕事以外で大きな変化があったのは6月にTグループを受講したことです。Tグループで何を学んだか?ですが、受講直後は”感覚的”にしか判らなかったのですが、3ヶ月たった今思うと「今の自分自身を信じて、自然にナチュラルに行動してもいいのだな」と再決断したことでした。私の思考として、”型(別な言い方をすると枠組みかもしれません)”というものを大切にする傾向があり、たとえば「係長は○○であるべきである」という型を作り、その型に合うように自分自身をコントロールするのが大切であると考えていました。しかし、この事に対して少し疑問を持ったときにTグループを体験し、その体験の中で、「型に当てはまろうとしなくてもいいんだ、今の自分自分自身を信じ、自分の閃きを信じて、思うままに自然に、ナチュラルに振る舞えばいいんだ」と思えるようになったのです。この事によって、Tグループの経験後の自分は、ある意味ではのびのびと振る舞えるようになったし、人との関係を味わえるようにもなった気がします。

とりとめないのですが、今もうひとつ感じているのは、Tグループのトレーナーの姿勢やスキルは、日常でも部下の育成、子育てにもとても有効だということです。相手の言いたいことを明確化してあげるアプローチのスキル、その人を想いその時の気持ちをフィードバックするスキル、その人の中での「ことばの熟成」をねがってアドバイスするスキル・・・・どれも仕事の自分にも、家庭の自分にも大切だと感じています。

 

2001年6月1日

21人の係の係長となって約2ヶ月が立ちました。4月はじめのどたばたもやっと落ち着き、日常の業務も一見スムーズに流れてきたように見えます。しかし、係員から「昨年と比べるとやりづらくなった。具体的には役割が明確になった分、役割以外はやろうとしない」という声がポツポツ聞かれるようになりました。これは、4月の段階で「自分たちの役割分担が不明瞭だから、明確にしめしてほしい」ということで、係内をおおよそ4つのグループ(職種ごと4人〜6人)にわけて、業務分掌を細かく決めたことがことがその原因のひとつになっているみたいなのですが、いわゆる『セクショナルイズム』という段階ではなく、客観的に見ると「業務に対する姿勢(やる気)」に影響されている部分が大きいようです。つまり、「やれと言われればやるけど、決められたことだけやるよ。でも、いわれていないことはやらないよ(または、積極的にはやらないよ)」というケースです。

正直、予想はしていたとはいえ、グループで共同で仕事をする場合『やる気』というのが、いかに重要だかを痛感しています。

こんど新しく発行するGWTの本の中でも『GWTの求める人間像は、坂口順治氏がいうように、リーダーに必要な《やる気》と《課題達成(プログラム展開)能力》と《対人関係能力》の3つの能力をもった人間である』と紹介されているが、今の我が係員に必要なのは「やる気を高めるGWT」だろうなと感じている。

とはいうものの、残念ながら「やる気を高めるGWT」がまとまっていない現状なので、今度の6月4日の係研修では「協力ゲーム」をアレンジして、”協力の大切さに気づく”というテーマで研修を行ってみたいと考えている。

 

2001年5月14日

昨日ひさしぶりにオフ会(学習会)に参加をしてきました。それもアドバイザーという立場ではなくメンバーという立場で、ここのところ純粋なメンバーとしてGWTをおこなうことが無かったためワクワクして参加をしました。ただ仕事の疲れがたまっていたのと、風邪気味で体調は悪く、その意味ではモチベーションが低い状態ではあったのですが・・・・そんなオフ会で私が学んだこと・発見したこと・考えたことをとりとめなく書いてみたいと思います。

ひとつめは『GWTには動機付けがやはり重要なんだ』です。これを解説すると、ひとつめの実習の個人決定をしているとき、「あ〜疲れがたまっているな?もう少しワクワクするタイプの実習をやりたかったな!この内容だと、こだわりがない状態でのコンセンサス実習になるから議論が淡泊になってしまうかな?」と思っている自分に気づきました。「お父さん今日遊ぼう」という息子の誘いを断って来たオフ会なのにこんな低いモチベーションでは息子に申し訳ない・・・・と、そう思い、自分を奮い立たせて実習に望みました。でも、今思い返してみると、あのまま低いモチベーションで実習をやっていたらどうだったでしょう。きっと淡々と実習を行って、ふりかえりを行って、もちろん何かを学んだとは思いますが満足な学習は出来なかった気がします。以前坂野先生から「研修のはじめの段階で、これは会社のためにやっているのではない、自分のための研修なんだと実感させることが大切なんだ」という話を思い出して・・・同じ実習をやるのでも、その実習に望む気力みたいなものに比例して学びが増えるのでは?そんな仮説を感じました。あこがれの先生から学べる、高いお金をだして研修をうける、といった外的な要素も、研修へのモチベーションを高める要素に関係するし、トレーニングの原則にも”意識性の原則”というのもあったし、(ちなみにトレーニングの原則とは@過負荷の原則A漸進性の原則B継続性の原則C個別性の原則D特異性の原則E全面性の原則F意識性の原則G超回復の原則を言います。)改めて導入段階の動機付けの大切さを感じました。

ふたつめは、「GWTの実習を行っている自分を分析すると、日常の自分の行動パターンを知ることが出来る」ということです。私の場合、典型的な”課題解決重視”のタイプの人間で、P機能が高いことは前から自覚していたのですが、GWTを10年以上やっているとM機能もそれなりに身についていると思っていました。でも、昨日気づいたことは、私がこの10年間で身につけたM機能はP機能のためのM機能なんだということです。ややっこしいので、もっと簡単にいうと、私の場合は課題をより良い形で解決するためにはP機能だけではなく、M機能も大切なんだと解釈しており、つまりそれは、本来的にみんなで仲良くしようという視点ではなく、課題を解決という視点をより良いものにするための仲良くしようなんだと言うことです。したがって、私にとっては、課題解決をしなくてもみんな仲良くできれば良いという感覚はなく、まず課題解決。できれば仲良くできて、かつ、課題解決できるのがいいな!という自分なんだと言うことに気づいたのです。たしかに、そう考えると、日常で仕事をしている自分をふりかえってもこの傾向は間違いなくあり・・・・これが良いか悪いかは別として、新たな観点からの自分というのを発見した気がします。

みっつめは「グループプロセス」についてです。よくプロが行う囲碁や将棋の対局(勝負)が終わったあとに、はじめからどのように打ったかを並べ替えして、「あの時はこう思ってこの手を打ったんだ」「私はこの手を打たれて実は助かったと思ったんだよ」と感想をいいあったりするのですが、あれってGWTのグループプロセスのふりかえりとまったく同じだと思うのです。そう思ったときひとつ重要になるのが、たとえば囲碁をやったとき自分なら何手まで再現出来るだろうということです。正直せいぜい出来て15手位までだと思うのですが、実は以前聞いたことがあるのですがこれって単なる”記憶”が良い悪いというのでは無いらしいです。その手を打つ『必然性』をプロはいつも碁盤全体を見て考えて打っているから、同じ状況なら同じ手順を再現できるというのです。実はGWTの実習の時も同じ事がいえると思うのです。つまり、常に『グループに今自分が何が出来るか』を常に意識して、周りの状況を見て行動を選択する、そのことを常にやっていれば、グループでのプロセスを再現できるのではないでしょうか?どれだけグループプロセスを自分で再現できるかは、自分がどれだけ意識的に行動しているかのバロメーターでもあるのではないかとそんなことを感じました。確かに、記憶能力は大きく影響しているのでしょうが・・・・・『グループプロセスを再現する能力を高める実習』なんてものを新しく開発したいななんていう気持ちに今なっています。

 

2001年5月9日

先日21人の係としてのはじめての係研修会を実施しました。基本的には実務研修なのですが、私がはじめに45分時間をもらってGWTの要素を入れたコミュニケーションについての実習を行いました。係員のインパクトは予想以上にあったみたいで、これから何回かGWTを係全員で行って、GWTのグループへの効果なんてのもやってみたいなと思っています。

この係研修会の時に行った実習のひとつは「四角と3つの丸」というGWTネットワークのオリジナル実習ですが、実は私はこの実習を”究極のGWT”ではないかと思うほど惚れ込んでいます。その理由は@数分の実習というとてもシンプルな体験からとても多くのことが学べるものだということを強烈に実感できること。A実習のねらいを「コミュニケーション」「自分自身について知る」「プロセスについて学ぶ」といろいろ変化させて実施できること。Bそして何より、GWTの最も基本にある「他の人の考えや意見を聞くことの重要性」を実感できる実習だからです。ひとつの実習を磨き上げる、そんなことも本当のGWTのアドバイザーになるには必要なのだと感じています。

 

2001年5月7日

GWTと人間関係トレーニングの違いで一番大きな違いは、『現実の場面に活かすこと』をどのくらいトレーニングの中で意識しているかだと最近感じています。一番判りやすい例がコンセンサス実習だと思います。人間関係トレーニングの場合、時間内に課題解決をすることをあまりこだわりません。むしろ安易な妥協をして課題解決をするより、たとえ課題解決が時間内にできなくても充分な議論が出来てコンセンサスを図ることを重要視する傾向があります。これは課題解決ができなくてもそのプロセスから多くのことを学べるからだと私は感じています。過去において私も広島県ではじめて人間関係トレーニング(体験学習)を経験したとき、時間がなくて課題解決が出来なかった時、(その時は、グループのメンバー全員で課題解決を時間内にするより、もっと納得がいくまで話そうという合意ができていたケースですが)、それでもグループでやることはやったという充実感と満足感を持てたし、その実習から多くのことを学んだ経験があります。

それに対してGWTの場合は、時間内に課題解決をすることにこだわります。ただし、それは安易な妥協をしても良いというのではなく、充分なコンセンサスを得ながら、納得のいく妥協?をすることを求めていくということです。実は今年になって自分が21人の係の係長という立場になったことで、この重要性をはじめて実感しているというのが正直な気持ちですが・・・・。現実の仕事の場面では、みんなのコンセンサスを得なければならないことが、次から次へと湯水のように沸いてきますし、コンセンサスを得なければならない期間も決められていることが多いです。例えば、新年度になって「新しい業務分担をどのようにするか」という課題がありました。当然それぞれの主張があり、(出来れば仕事は少ない方が良いとみんなが考えていましたので・・・寂しい話ですが)なかなか話し合いがまとまりませんでした。そんな時ある職員から「みんなのコンセンサスが得られるまで話し合いは続けられるのですよね?」という質問がありました。そうもうおわかりと思いますが、いつまでも業務分担を決めなければ仕事が止まったままで・・・そう数日はそれでも何とかなるわけですが、「5日まで話し合いを続けましすが、5日には必ず結論をだして6日から新しい業務分担で仕事をしてもらいます。」とその質問に答えました。まさにこれがGWTのコンセンサス実習と同じだと感じました。つまり、ある一定の時間内に出来る限りのコンセンサスを得る努力をする。そして、納得のいく妥協の方法を身につける。そして、そのような体験から多くの気づきを得る。この実際の場面でコンセンサスを実行できるスキルを身につけること、そして、実際の場面(体験)からも多くの気づきを得られるような能力を身につけることの2つを目指したものこれがGWTの特長だと感じています。

しかし、この違いは両者の違いを説明したもので、決して両者の優劣を意味するものではありません。両者の実習のねらいが、実習のやり方の違いを生む訳で、ただ我々実習を提供する側の問題としてこの『ねらい』『実習のすすめ方』『ふりかえりの設問』は充分意識をして、何のためこれから実習を行うかを説明し、動機付けを行わなければならないと今強く感じています。

 

2001年5月2日

GWTから色々な事を学んできました。そして今それを思いっきり実践しています。そんな今、改めて自分は何をGWTで学んできたのだろうと考えています。めちゃくちゃ忙しい今だからこそ、今感じることを記録しておきたいそんな気持ちです。きっと、忙しさが山を越すと忘れてしまいそうだから・・・・

GWTで学んだことで最大なこと・・・それは「体験から学ぶ能力が向上したこと」だと思います。例えば”失敗から学ぶ”なんていうことをよく言いますが、ひとつの失敗の体験から1学ぶ人もいれば、10学ぶ人もいるわけで・・・つまり、ひとつの失敗体験から多くの学びを得られるようになったということです。これには二つの要素があると思います。ひとつは「そろばん」で熟練すると「暗算」ができるようになるのと同じで、熟練(くり返し練習する)ことで、同時にいろいろな観点からの分析(ふりかえり)が出来るようになるため、結果的に多くの学びが得られるようになることです。そしてふたつ目は、「囲碁」で熟練すると「大局観」を身につけられるのと同じで、その体験の周りで起こっているいろいろなプロセスを全体的に把握し、それらの関連から広い視野から分析(ふりかえり)出来るようになることです。

これらはGWTをくり返し実践することで、@他のメンバーのいろいろなふりかえりの視点から自分のふりかえりの視点をふやすことができたこと、A繰り返しふりかえることで、ふりかえりが習慣化されてごく自然に日常の生活の中でもできるようになったことが大きいと思います。「ふりかえる」というのはひとつのスキルだと思います。自転車に乗るのと同じように、ある程度練習をしなければできません。(ごくたまに練習をしなくても乗れる人がいますが(^○^))そして、一度できるようになると、ある程度時間がたっても忘れない・・・そんなスキルと同じだと感じています。

そう考えると、GWTの初心者に大切なのは、何をどうふりかえれば良いか?それをきちんと伝えることかもしれません。そうすることで、あとは自分で経験を積んで、スキルをアップできるはずです。

なるほど・・・こんどの初心者講習会は「ふりかえりのスキルを学ぶ」をテーマにしてみよう・・と感じた瞬間です。