この原稿は、三宝先生が講師(ファシリテーター)としてセミナーをふりかえった気づきを、ご自身で文字化したものです。先生のお人柄を知っていいただきたいと共に、ファシリテーターとは何か?というヒントになればと思い、ご承諾をいただき掲載させていただきました。この場を借りましてあらためてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。(GWT研究会「ふれあい友の会」一同)


2000.5.31

体験学ファシリテーター養成セミナーBASICふりかえり

 

参加者がやれやっと8人になりました。

大阪でセミナーを開催する時はいつもこの身を大阪に置いていないもどかしさを感じます。

ネットの時代となりましたが、それとは別の関係が求められている様に思います。

「8人というのはとてもステキなセミナーになる可能性が大だ。」そんなことを自分に言いきかせながら当日を待っていました。

※セミナー当日までの私の気持ちをふりかえってみて

 

参加されるはずのAさんが体の具合が悪くて来られないとの連絡が入りました。Aさん大丈夫だろうか?と心配しつつ会場を整えました。

参加者の1人ひとりが会場に現れて、様々な思いで座っておられました。

Bさんがまだ現れない・・・・・けれどオリエンテーションははじまりました。

オリエンテーションをはじめて3分後にBさんが現れました。いつもセミナーは筋書きのないドラマです。

いつ何が起こるかわからない2日間その瞬間瞬間と研修生を主役にして、ファシリテーターがどうかかわるかが問われています。

この10年間すべてのセミナーにはじめてのことが起こりました。

さあ また新しいドラマがはじまるぞ!

※セミナーのはじまりをふりかえってみて

 

最近になってようやく肩に力を入れないで淡々と研修を進行できる様になりました。

でも それでも肩はこるのです。

体は正直です。

観た目には淡々で、私の目にも淡々と映っていても体は違うよと言っています。

※ホテルにて気づいたこと

 

セミナーの中で、いつも不思議に思うのは、私の話すことをメモされる人が多いことです。

あまりにもメモされるので、メモされることに気がとられて、今ここで起きていることが感じられなくなるのでは?と心配になります。

それで時にメモをとるのを止めることがあります。

というものの、私も研修生の立場になれば メモをとります。

人よりも手を動かしていることが多い私です。

メモをとった内容をわかちあってみるのも面白いですね。

研修に向かうその人のあり方がよく観えるかも知れません。

※セミナーの中でメモをとることを考えてみて

 

全身で聴くことは難しいと感じました。

頭の中でつい外のことを考えながら聴いている私です。

話されたわずかな言葉でも オウム返しで返すのは難しいです。

いつも自分の基準で取捨選択しながら聴いている私です。

聴いている私の基準ではなく、話している人の基準で聴かなければならないとわかっていても、それができないのです。

※聴く実習をやってみて感じたこと

 

昔、私が20才の頃

リーダーシップ水車論(?)という話を聴きました。

「リーダーは水車の様なもので、メンバーの中に完全に入り込んでも機能(回ること)しないし、メンバーから完全に離れても機能しません。ほどよくメンバーの中に入り、ほどよくメンバーから離れた状態でリーダーシップが発揮されます。」

という話(講義)でした。

当時は妙に納得していました。

今になって考えると「リーダーのスタイル」の話ですね。

当時の私は この様な理論を知るだけで納得し、この事が出来る(身についている)と錯覚さえしていた様です。

「わかること」と「できること」の大きな違いをわかっていなかった私だったのです。

リーダーシップ水車論はいつも講義だけでした。

その講義を今ここでの例(私たちのやっていることの例)で話してくれる先生は誰もいませんでした。

プレスタイムの小講義は、理論と今ここでの例(実習の中で起きたこと)を結びつけて話します。

今ここでの例と結びつけた後に、それぞれの現場(日常に起きていること)とも結びつけて話します。

これができるためには2つのことが求められます。

・実習をやられている研修生(グループ)のプロセスが観えていること

・理論を完全に消化していること

※セミナーの中での小講義のあり方をふりかえってみて

 

しかし、ひとりでファシリテーターと事務局をやるのはしんどいですね。

研修生に助けられて、許されて、今日までやってきたのですね。

研修生を大事にするのなら、事務局を置くべきでしょう。

でも そうなると 参加費が高くなります。

研修生にとっては参加費が高いことが辛いでしょうね・・・・

※事務局の存在を考えてみて

 

セミナーが終わった翌日が地区の運動会でした。

年齢別リレーの50才代代表選手として走りました。

※この4月で50才になったのです。

体だけが前に出て、足が前に行かずころびそうになりました。

自分の走る速度(トロさ)にあ然としました。

でもすぐに考え直しました。

何もしないで走るのが遅くなると言うことは、何かをすれば走ることが早くなるこということだ と思ったのです。

老化は何もしないところからはじまるから 若く元気でいたいのなら何かをすればいいのです。

自分が嬉しくなって人も喜んでくれる様な何かを・・・・・

 

(三宝 裕 著)