Birkhahn

Birkhahn  ビルクハーン 1945 牡 1号族
Alchimist
1930 黒鹿
Herold
1917 黒鹿
Dark Ronald
1905 黒鹿
Bay Ronald Hampton Black Duchess3-o
Darkie Thurio Insignia9-b
Hornisse
1908 黒鹿
Ard Patrick St. Florian Morganette5-j
Hortensia Ayrshire Beauharnais4-b
Aversion
1914 黒鹿
Nuage
1907 鹿
Simonian St. Simon Garonne5-e
Nephte Flying Fox Fanny5-i
Antwort
1907 黒鹿
Ard Patrick St. Florian Morganette5-j
Alveole Crafton Ste. Alvere9-h
Bramouse
1936 鹿
Cappiello
1930
Apelle
1923
Sardanapale Prestige Gemma16-c
Angelina St. Frusquin Seraphine5-d
Kopje
1925
Spion Kop Spearmint Hammerkop19-c
Dutch Mary William the Third Pretty Polly [F14-c]14-b
Peregrine
1926 黒鹿
Phalaris
1913 黒鹿
Polymelus Cyllene Maid Marian [F3-f]3-e
Bromus Sainfoin Cheery1-i
Clotho
1920 鹿
Sunstar Sundridge Doris5-i
Jenny Melton Melton Spinning Jenny1-j
前年のHarlekinの母はナチスドイツが接収したフランスの土着牝系の馬でしたが、このBirkhahnの母も、フランスで優秀な成績を残した牝馬でした。そして、その配合もHarlekin同様、5代アウトブリードです。
このフランス出身の牝馬由来の祖母父以降の累代は、Phalaris−Sunstar−Meltonと良質なスピード系。悲劇の英ダービー馬Humoristなんかを思い出させます。さらにそこから奥まった累代のKendal−St.Serfという辺りは、Galtee MoreやArd Patrickといった20世紀初頭のドイツ名種牡馬と好相性な存在で、よくもまぁ上手い具合にこういう牝馬を接収してきたものだと感心してしまうほど偶発的にフィットする血統背景が、ドイツ20世紀を代表する種牡馬を生んだといえるでしょう。
しかし、東ドイツで種牡馬として大成功しながら、意外と東での影響力がHarlekin、Angeberといった同世代の種牡馬より弱いのは不思議です。西での現在に至る影響力は言うまでも無い程であるのに・・・・。

Besitzer: K.H.Wieland   Zuchter: Frau M.v.Heynitz




超保存版!Wilde Katze's Note

1. 誕生編

東側の王者(Konig der Ostzone)と恐れられたBirkhahn。今なお高いポテンシャルを持つ馬を父系・牝系に引き継いでいる。冷戦時代、東西ドイツで血脈を広げていったこの馬については過去紹介されたテキストが既に存在すると思うので、僕はむしろ自分が不明瞭に理解している事柄を書いていきます。

母Bramouseは1936年フランスで生まれた。モリス・ド・ロトシール卿所有の牝馬で、戦績は分からないが1940年に他の多くの馬とともに持ち主の元を離れる。勿論行き先はドイツです。牡馬についてはどれがこの馬主の所有か分からなかったが、下にリストを作るので探して見つかれば教えて頂きたいです。牝馬も数を数えてはいないけど、相当な数に上るので、当時フランスでは有名な馬主だったと思われる。(*)
なお聞いた話では、ロトシール(有芝注:Rothschild=独ではロトシルト、英ではロスチャイルドと読む。)はユダヤ人の資本家で、家族の名前はドイツ語であり、まさにナチスにとってはむしゃぶりつきたくなるようなターゲットでしょう。ここで最初の疑問。資料を見ていると、「BramouseはGanz Legalだ」と書かれているのです。これは色々想像が働いて、例えば、ドイツのロトシルト家はユダヤ人迫害運動の際アメリカに亡命したらしい。当然全部担いでいけるわけでもないだろうし、色々ドイツ国内に財産を残して取り押さえられる。ましてやこのバロン・ロトシールの馬は100頭抱えて移動なんて無理なので、「言い値」でBramouseをグラディツに買い取られ(圧力の元)逃亡したのか。多分それか単純に強奪か、のどちらかだと思うけど・・・
とにかくBramouseの5番目の、そして結果的に最後の子供になるBirkhahnがお腹にいる時ドイツは降伏。それからまた勝者による強奪合戦がはじまる。1945〜50年までの間に400頭以上の馬がドイツから運び出される。Bramouseは当時アルテフェルト(Altefeld=ライプチヒ、トルガウのグラディツ牧場の近く)に出産のためいたが、そこでも次々と馬が盗りたてられていったらしい(特にフランスから略奪されたものの奪還のため)。しかしBramouseは見た目が悪く最後まで残っていて、機会を見てマデライネ・フォン・ハイニッツ女史(Madeleine von Heynitz=Bramouseの所有者。グラディツより同馬を譲り受けた)はハルツ地方へ同馬を連れ出し、そしてBirkhahnを出産。牛小屋で育てられたそうである。周りにはそのほか重種馬ばかりで、それでも元気に育っていった。その後女史自らBirkhahnの手綱を取って「異邦」のハルツ山越えをしたりする辺り、僕が想像するにはこのFrauは典型的なドイツ女性だなぁ・・とか思ってしまう(やはり戦後は女が強いですな)。
さてハノーファーからライプチヒに移り、僕が正しければそこから競走馬としての第一歩を踏み出すことになる。2歳時は全て圧勝。特に「圧勝」で、半兄のBurgermeisterに勝つ。3歳時はダールヴィツ賞、ヘンケル・レネンを連勝。そしてDDRダービー(3歳大賞)へ。ここもDer Blitz(父Marinello、母Drachme、母父Meisterpolier)に2馬身(?)差で快勝。強者の待つハンブルクのドイツダービーへ。・・おっと時間だ。一曲どうぞ。

心臓かすめて通るはビルディングの直線。
直線の嵐の中で人は気が狂うだろう。
大女のスカートに男が丸呑みされるのを見たんだ。
女は最後まで男を愛せないだろう、僕は死ぬまで道路になれないだろう。
「誰も僕の絵を描けないだろう」〜友部正人

ナチスドイツに接収されたフランス種牡馬

#これら全ては戦後フランスに返還された。勿論戦後ドイツから流出したサラブレッドのほんの一部です。

フランスとロトシール卿に関する脚注:
ロトシール家の略史と競馬に関しての関わりについては、山野浩一氏の「伝説の名馬・Part III」の
Brantomeの項に詳述されています。それを見る限りではBrantomeのほかBubblesがロトシール卿の種牡馬
となっていますが、他の馬の中にもいるのかも・・・。

Bramouseと、Birkhahnの出生話にまつわる補注:
この話についても上述の「伝説の名馬・Part III」に記述されているので、補完的に読まれることを
お勧めします。それによるとBramouseはサンファルマ賞1着、ラカマルゴ賞2着というステークスウ
ィナーであったとのことです。
Birkhahnの出生については若干ニュアンスが違うけど、どなんでしょう?

2. 競走編

恐らく多くの名馬と呼ばれる馬達の最大の「敵」は斤量でしょう。
Birkhahnも例外ではありません。そしてもう一つは輸送の大変さでしょう。ハンブルクへの旅はそれに加え母Bramouseの帰属問題があり、最後までハンブルクに行くかどうか迷っていたようです。ここでまた一つ僕にとって謎が出てくるのです。資料では「Birkhahnの権利についての話し合いが最後まで続いた」と書かれているのですが、結局参加することになる。このBramouseの件は繰り返しませんが、面白いのはソビエト占領地域で走る分には問題無く、連合国の占領地域だったハンブルクへの遠征時にはじめて陣営(主に馬主か?)が「Birkhahnはこのまま連れ去られるのでは?」と不安になったように書かれていることです。これによって何か当時の政治状況が見えてきます。
ダービーは5年ぶりにハンブルクで行われました(43〜44年はホッペガルテンで開催、45年は中止・46年はミュンヘン、47年はケルンで開催)。
Birkhahnは開催者サイドにとってもぜひ参戦して欲しかっただろうと想像されます。そして期待通りの走りでBirkhahnは着差こそ1馬身ですが快勝。2着にウニオンの勝ち馬Angeber、その1馬身後ろの3着はSalvator(父Abendfrieden、母Sommerfreude、母父Laland)、ディアナ賞のAralia(父Alchimist、母Aster、母父Oleander)は4着でした。しかし今気付いたが、Araliaの血統は遊びが無さ過ぎるぞ。(有芝注:Araliaは翌年のドイツダービー馬Asterbluteの半姉っすね。あれは父がPharisで逆に極端なアウトブリードでした。)

その後2戦勝ちつづけてゲルリンク賞。とうとうここで連勝が止まる。このレース4着のBirkhahnと勝ち馬Angeberとの斤量差は6kgだったそうだ。2着はDer Lowe(父Wahnfried、母Lehnsherrin、母父Herold)、3着はSolo(父Lampos、母Sorgenwende、母父Wallenstein)。このダービー後の西→東→西の遠征が堪えたのか、ゲルリンク賞の後、腎臓に支障をきたし、3歳戦を終える。4歳時は2度のBurgermeisterの挑戦を退けるが、レース中他馬との接触により右後脚を痛める。そして秋に屈腱炎(?)をおこす。そして手術の冬を越し、5歳時5戦走り2勝(そのうち1つはPrater(父Arjaman、母La Pawlowa、母父Papyrus)を首差破ったDDR大賞)するが、もう以前の彼の姿ではなかった。通算22戦16勝その他入着2回、全ての走りで賞金にありついた。ここで一曲。

ずっとずっと、重たい靴をはくんだ。
歩いているのが僕にも良く分かるように。
またいつか君のところへ帰ってゆく日が来たら、僕が渡った川や読み取った季節の名前を地図のように広げて君に見せてあげるよ・・・
「誰も僕の絵を描けないだろう」〜友部正人

3. 種牡馬編

まぁ戦った相手を見るとAngeber、Schwarzkunstler、Burgermeister、Solo、Aralia、Der Lowe・・判断が難しいね。そこそこかな?東ドイツだけで走っていれば30連勝くらい出来たんじゃないかな。
さて、Birkhahnの1952年産駒が最初のクラシックにのぼり、牝馬のIphigeniaがダービー2着になる。データを見ると1956年までプライベートで、その後グラディツ牧場に転厩、ということだろう。東では59年まで種付け(つまり60年生まれの産駒まで)、リーディングサイアー5回、2位が1度という成績であった(その時の1位はAngeber)。そのうちダービー馬2頭、その他重賞勝ち馬多数。下に主な産駒のリストを書きます。
早熟でスピードのあるタイプが多そうです。ここでまた気になるのが、どういう条件でシュレンダーハン牧場に移ったかということでしょう。Turfkoenigの記事では「Asterios(父Oleander、母Astarte、母父Janitor)との交換」と書いてあるが、東ドイツの記事ではもう一頭Baal(父Gundomar、母Blaue Adria、母父Ladro)の名前も挙がっていて、どうもこっちが本当のようだ(僕はさらにお金も動いた、と思うけど)。それと、これは誰も知らなかった、と思うけど、その後1965年に死ぬまでグラディツは毎年2〜4頭の牝馬を送り種付けを続けているのです。グラディツはかなり有利な取引をしていて、それだけシュレンダーハンがBirkhahnに惚れ込んでいたのでしょう。果たしてBaalは67年のダービー馬Main、74年のDDR大賞馬Diskusを出します。
一方、シュレンダーハンですが東ドイツの記事によるとBirkhahnを受け取るまで「危機的状況」にあったと書いてありますが、これはまだ確認していないので、戦前の状況と比べていっているのか一般的に見てなのかが分かりません。しかしBirkhahn持ち前の「高確率で良馬を出す」種牡馬能力によってシュレンダーハンの財布が潤ったのは想像できます。西ドイツ時代の産駒も下にリストを書きます。特に1965年は2年目産駒のFioravantiがヘンケル・ウニオンを、Indraがディアナ・ネレイデを、そして母父としてTigerinが春季牝馬賞・シュヴァルツゴルトをと、西ドイツでも誰もが認めるトップ種牡馬にのし上がります。そして、1965年7月18日に死亡。最後の世代のLiteratは惜しくもダービーを取れませんでしたが、TurfkoenigのBirkhahnの記事を書いたシルヴィア・ヴェフターはこう締めくくっています。
「もしBirkhahnがLiteratを出さなかったら、SurumuもAcatenangoもLomitasもランドもボルジアもBelenusも・・」
まぁ事実だけどねぇ・・・
あともう一つ、FoliantがセンセーショナルにDDRダービーを勝利した後インタビュアーが興奮で顔を硬直させた馬主のH.E.ゾンマーに聞いた。「どうして他のどれでもなくFoliantを買ったのですか?」。
オヤジ曰く「何故って?それはBirkhahnの子だからだよ」。
じゃぁ俺も言わせていただこう。
「何故日本の金持ちはAcatenangoの牝馬を買わないのですか?」。
Wilde Katzeは答えた。「ゲーリー・タナカ・・・金貸してくれぇ〜〜」。ここで一曲。

Die Konkurrenz wandelt sich zum Monopol.
Die Folge ist ein gigantischer Fortschritt in der Vergesellschaftung der Produktion.
「帝国主義論−資本主義の最高段階」〜レーニン

Birkhahnの生年別代表産駒

Jahr Pferde Mutter-Seine Vater Note
1952 Iphigenia(f) Grafin Isabella - Graf Isolani キンツェム・レネン、ダービー2着
1953 Feston Fruhlingssonne - Lampos ダービー、ライプチヒ大賞
1953 Minette(f) Mignon II - Lowenherz チューリンゲン賞
1953 Drusus Die Gewunschte - Laland マグデブルク賞、労働賞、ダービー2着
1953 Ingeline(f) Iphigenie - Walzertraum キンツェム・レネン
1954 Meerfee(f) Mach's gut - Brantome ドレスデン大賞
1954 Zigeunerkind(f) Zigeunerin - Wallenstein Zigeunersohnの母
1954 Tilla(f) Trixi - Biribi Tigerinの母
1955 Florentine(f) Fortuna - Bubbles フェスタ・レネン、ダービー2着、DDR大賞2着
1955 Pietro Patricia - Blinzen フェルフォル・レネン、種牡馬
1956 Goldtresse(f) Goldperle II - Abendfrieden ファビュラ・レネン、フリーデン賞
1956 Galera(f) Grolleja - Janus Gazellusの祖母
1957 Perseus Patricia - Blinzen ドレスデン大賞、フリーガー賞
1957 Grolle Grolleja - Janus Grottenseeの祖母
1958     特に代表産駒なし
1959 Foliant Flut - Honved ダービー
1959 Isabella(f) Isaca - Schwarzkunstler ユーゲント賞、フリーガー賞
1960 Fidele(f) Fiorette - Honved Filutekの祖母
1961 Amatia(f, DDR) Arte - Angeber ベルグラード賞、キンツェム・レネン
フェスタ・レネン、Antriebの母
1961 Vinago   オッペンハイム賞
1961 Pamino Palazzo - Dante オルシニ・レネン
1961 Blauer Reiter Blaue Grotte - Octavianus ハンブルガー・クリテリウム、クレフェルト大賞
1962 Fioravanti   ヘンケル・レネン、ウニオン・レネン
1962 Indra(f) Ischia - Ticino ディアナ賞
1963     特に代表産駒なし
1964 Priamos Palazzo - Dante ジャック・ル・マロワ賞
1964 Bravour(f) Barcarole - Organdy シュヴァルツゴルト・レネン
1965 Literat Lis - Masetto ヘンケル・レネン、ウニオン・レネン
1965 Novara(f) Norbelle - Norman ドイツ牝馬賞
1965 Sayonara(f) Suleika - Ticino Slip Anchorの母
1966 Akari Arona - Asterios ウニオン・レネン、アラルポカル

4. 独り言編

血統論はMahalに任せるけど、東ドイツではBirkhahnをFilly Sireと思っていたんじゃないかなぁ。結局Birkhahn産駒で残ったのはPerseusからIntervallと短距離馬化したラインだし。西でもなんか早熟そうな馬が多かったし・・・東ドイツの記事では「Birkhahn産駒は5yoまで成長を続ける」とか書いてあるけど・・・。そう考えるとLiterat→Surumuの所、Surumuの血統が後年とてもクローズアップされるんじゃないのかなぁ。ただ他の父系との順応性は素晴らしいものがあると思う。




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