Faktotum

Faktotum  ファクトトゥム 1952 牡 9号族
Harlekin
1944
Magnat
1938 黒鹿
Asterus
1923 鹿
Teddy Ajax Rondeau2-n
Astrella Verdun Saint Astra9-f
Mafalda
1927
Wallenstein Dark Ronald Wiener Madel6-e
Madam Sunstar Signorina11-e
L'heure Bleue
Le Grand Duc
1934 鹿
Blenheim Blandford Malva1-e
La Douairiere Spearmint Dormouse5-j
L'heure d'ete
Pharos Phalaris Scapa Flow13-e
L'heure du The Comrade Lueur9-e
Fruhlingssonne
Lampos
1923
Fervor
1906 黒鹿
Galtee More Kendal Morganette5-j
Festa St. Simon L'Abbesse de Jouarre16-c
Ladylove
1913
Fels Hannibal Festa16-c
Ladylike Volodyovski Ladyland1-m
Fruhlingsfee
Serapis
Laland Fels Ladyland1-m
Sennerin Dark Ronald Salome5-e
Fahne
Dark Ronald Bay Ronald Darkie9-b
Flagge Hannibal Fama9-h
母Fruhlingsonneの配合は、ちょっと見て驚きます。
その父LamposはFestaの2×3にKendalの3×4、一方母のFruhlingsfeeはDark Ronaldの2×3にHannibalの3×4というかなり強いインブリード馬同士。そしてHannibalとFestaの仔Felsをこの馬自身は3×4でクロスさせます。
このカオティックで印象的ななクロスに、直父系のAsterus−Magnat親子が補給するHampton系の独特の気品が絶妙にマッチし、フランス色のグローバルなアウトブリード効果(Asterusは勿論ですが、父の母方にはPharosやBruleur、St.Lucreなどブサックがその配合を完成させるための血脈の部品が至るところに埋まっている)が優秀な競走馬としての出力を引き出しています。

Besitzer: VE Haupt Gestut Graditz




Wilde Katze's Note

グラディツ牧場、ドイツ競馬フリークには思わず「遠くを見る目」にさせる響きであろう。ドレスデン在住の僕でさえ「Torgauか・・・不便だな・・」と呟いてしまう、エルベのほとりにそれは横たわっている。Faktotumは、二次大戦で壊滅させられたこの牧場が放った最初の号砲である。

#前年Paceが既にDDRダービーを勝っているが、個人的好みの関係でFaktotum
 が最初の名馬に相応しく思えるので・・・
 そしてBirkhahnはDDRというより戦前からの遺産の残りという感じ。
ドイツの競馬は1827年に始まり、1834年ベルリンのテンプルホフ(ホッペガルテンではない)でオーストリア・ハンガリー・プロイセン・メクレンブルク・ホルシュタイン(これらは当時別々の国であった)によるウニオン・レネンが開催される。そして1900年に国内レースと国際レースを区別する。これは当然1871年のドイツ統一の背景があったであろう。
さてグラディツであるが、プロイセンの代表だけではなく、この時期統一ドイツの4極(シュレンダーハン・ヴァインベルク・フェルス&Co,)の1つ、いや最も重要な牧場であったのは事実である。1630年に馬産を始め1772年には当時ドレスデン市内にあるツヴィンガー宮殿などの建築家ポッペルマンにより牧場内に城(ドイツ語でSchlossと使われてあるのでこう訳す)が建設される。そして1866年ノイシュタットとトラケーネンよりサラブレッドを集結し馬産が始められる。
と、ざっと説明しましたが、僕もこの時代の社会背景など分析するだけの「学」も無いのですが、このダービー3年前にグラディツはサラブレッドの生産を始め、1886年Potrimpos、1891年Peter、1893年Geier、1899年Habenichts、1909年Arnfried、1910年Orient、1912年Gulliver、1920年Herold、1931年Dionys、1933年Alchimist、1937年Abendfriedenと12頭のダービー馬を出します。特に20世紀前半の活躍は凄まじく遂には他の牧場の反感を買い、条件がつけられる。一つは出走頭数の制限、もう一つは小さな競走およびアウスグライヒ競走への参加禁止である。この一人勝ちの背景には皇帝ヴィルヘルム2世がグラディツ牧場を国立牧場として援助したということが大きいようだ。主に軍隊用であるが、1903年に初めてハンブルクのドイツダービーを観に行ったときにドイツ馬が勝てなかったことに大きなショックを受け(この年の勝ち馬Bono Bodoはオーストリア調教のハンガリー馬)その後馬産に着手しだした。なおダービーを観戦したのはこの年だけでその次の年からはハンザ大賞とアウギュステ・ヴィクトイア・ヤクト皇妃競走を観戦していたようである。それでも上述した通りグラディツの馬は勝ちつづける。そしてフランスのNuage、Ard PatrickとGaltee Moreの両英ダービー馬、今なおSurumu、Acatenangoに父系を残すDark Ronald、更に牝馬に目を移してもAntwortとその後継者たち(Arjaman、Abendfrieden、Alchimist、Aditi)と、まさに20世紀前半の、そして今につながるドイツ近代競馬の基礎を作り上げた舞台設計者がこのグラディツ牧場なのです(これらだけで5代血統表の半分を占めれそう)。

ちょっと長いので話をFaktotumに移すと、実は余りデータ持っていないのです・・・。東ドイツ初の3冠馬でダービーはIphigenia(父Birkhahn、母Grafin Isabella)、Kasanbrautに楽勝し、モスクワでの国際競走の金杯に勝ち、これが初めての東ドイツ馬によるこの大会の勝利、そしてソビエトに1957年に売られた、ということぐらいかな。何か名誉の旅立ちだったようです。
何故この馬が気になるのかな?多分戦後賠償として多くのAntwort系を奪い去る、その後馬運車に乗るのを嫌がるAlchimistを射殺したロシア人が今度は東ドイツの「宝」ともなり得た(この時点ではまだHarlekinの種牡馬としてのその後の大成功も予測できなかっただろうから)Faktotumを一応「合法的」に連れていったことのおかしさ故か(全く彼ららしくないやり方だ)。

その後東ドイツでも指揮棒を握ったグラディツ牧場については後々他の馬の紹介で触れるので省略しますが、この牧場は東西統一後またしても全ての財産を失います。文字通りではないにせよ、例えば経営者がレットゲンのマルク・ブフナーに変わった後の、かなり東独の競馬人にとってみれば「ラディカル」な抜本的改革、すなわちDDR競走馬の排除は、如何にそれが世界的な競馬の流れにのっとり、経営面から考えても現実的な選択だとしても旧東独国民の一部が囁く「DDRの文化はBRDに比べて劣っている」という「クリシェ」に当てはまり本当は取るべきではなかった、と僕は思います。余りこういう言い方は良くないかもしれないが、ドイツ人の考え方の恐ろしい一面を見ているような気がする・・・とにかく序文でも書いたように「全ては終わった」のですから。ポジティブな思考を嫌う僕ではあるが、グラディツがいつ重賞に勝てる馬をターフに送り込むのか?プロイセンの芝で育った次の世代の名馬を見れたら、この気持ちのモヤモヤも晴れるのでしょうか?

Faktotumはどうなったのであろう?後のHarlekinの子供CarolusAveiroの種牡馬成績を思えばこの静けさは一体何なのであろう・・・

#なお近々グラディツ牧場に見学予定。博物館もあるらしいし・・・
 よってもう一度この牧場について書くと思います。



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