Lysander

Lysander  リサンデル 1946 牡 3号族
Arjaman
1930 黒鹿
Herold
1917 黒鹿
Dark Ronald
1905 黒鹿
Bay Ronald Hampton Black Duchess3-o
Darkie Thurio Insignia9-b
Hornisse
1908 黒鹿
Ard Patrick St. Florian Morganette5-j
Hortensia Ayrshire Beauharnais4-b
Aditja
1925
Fervor
1906 黒鹿
Galtee More Kendal Morganette5-j
Festa St. Simon L'Abbesse de Jouarre16-c
Aversion
1914 黒鹿
Nuage Simonian Nephte5-i
Antwort Ard Patrick Alveole9-h
Lichtquelle
Aurelius
1923 黒鹿
Pergolese
1914
Festino Ayrshire Festa16-c
Perfect Love Persimmon Perfect Dream8-c
Augusta Charlotte
1915
Fels Hannibal Festa16-c
Anmut Saraband Angelure7
Lichtnelke
Parmenio
Tracery Rock Sand Topiary19-a
Whimper Lochryan Whim23
Landgrafin
1916
Dark Ronald Bay Ronald Darkie9-b
Lockung Ard Patrick Lockvogel3-h
まだArjamanとかが父にいる辺り、この時期にはまだ血統の東西分断ははじまっていないなぁ・・という感じが第一印象です。
配合を見るとすぐに、祖父Heroldと曾祖母Landgrafinがともに「Dark RonaldとArd Patrick」という組み合わせを持っていることに気がつくことでしょう。ニックスと言う以上に、この時期のドイツの最高の種牡馬での組み合わせクロス・・・と言う感じ。
これを洗練させるのが、名牝Festaによるドイツ流St.Simon化の完成度と、そして5代でラインブリードされているAyrshireの存在。Alchimistなど戦前のドイツ名馬は、ほぼ必ずといっていいくらい、AyrshireやSt.Serfなど8号族Woodbine牝系を間に噛ませてブリードアップを講じています。

Zuchter: Frau E. Krenz




Wilde Katze's Note

僕の家には日本語の本がいくつかあり、そのほとんどが家族からのおくりもので、彼らはおもに要らなくなった本を送ってくるように思える。姉は日本の古典が好きだったので、黒澤重吾の本が棚に一列あったりして、それは全く僕の守備範囲ではなかったのだが今では「日本史ヲタク」になってしまった。父は文藝春秋を愛読していて、古いそれらを送ってくるのだが、もともと政治経済に疎い僕はかなり読み飛ばしている。
さて、半年前くらいに何冊かの本に混ざって、「ガリヴァー旅行記」の岩波文庫版が送られていた。余り食指が伸びず放っておいたのだが先日気まぐれに手にとって読み始めるとこれが本当に面白く、無知なことに彼が巨人の国に行った話さえ知らなかった僕はその章を読み終わったとき部屋に入ってきたカタリナを「小人じゃないか、ふんふん・・・」とひとり感覚を麻痺させていた。

さて、勘の鋭い「マニア」ならドイツにそういえばGulliverという馬がいたなぁと思うことでしょう。
その通り、僕は今ハンブルグ競馬クラブの歴史の1912年の章を読んでいるのです。ざっと目を通してみるとGulliverは4頭目のHannibal産駒のダービー馬であるということ、グラディツ牧場(Gulliverの生産者)がドイツだけでなくヨーロッパ全土の中で賞金獲得1位になった、ということが書いてあります。そしてダービー後調教中に骨折し種牡場入りしたということ・・・。
結局10戦7勝、特に3歳時は7戦6勝という成績を残しターフを去りました。種牡馬成績は詳しく知りませんが、近年の血統表に顔を出さないところを見ると、「淘汰の対象」となったのでしょう。
しかし旅行記を呼んで思ったのは「お約束」の遭難事故です。「何で毎回?」と思ってしまうのですが、この1909年生まれの栗毛には"Loreley"という同期同厩舎の牝馬がいたのです・・・。

Lysanderは前年のBirkhahn同様ダールヴィッツ賞、ヘンケル・レネン(東)、3歳大賞(DDRダービー)を3連勝し、ハンブルク・ダービー(現在のドイツダービー)にやって来た。しかし不運にもこの年戦後BRDの名牝Asterbluteがいたのだからたまらない。本番Lysanderは無残にも着外。その後もう1度(西の)ノルドライン・ヴェストファーレン大賞にも走ったがNebelwerfer(父Magnat)の着外と失意のままDDR大賞へ。しかしここで息を吹き返し、2連覇を狙うBurgermeisterを直線かわしたのだが、ゴール前50m手前、脇に置いてあったスタート台の影を飛び越そうとしてバランスを失い差し返される。そしてそのアクシデントにより骨折、種牡馬入りへ。ここで勝っておけば名馬の仲間入りだったのに、全く不運としか言い様が無い。
この後スタート台はコースから離して置かれるようになったらしい。しかしこの馬の場合"Loreley"にあたる「ニンフ」はAsterbluteだったのだろうか?巨人の国ブロブディンナグ国で彼は一人の百姓の女の子に身を守ってもらった。彼女の献身的な愛情にもかかわらず彼は国を離れたがる。そして故郷へ。結局遭難・帰郷の繰り返しが全てだ、というのは作者スウィフトの人生観ではと思ったりして・・・。

Lysanderの遭難は結局5代母Lockvogelの子供であるLoreley(父Galtee More)のニンフ的コンプレックスの・・・・・うぅぅぅぅ、寝小便だぁ!!!


有芝による補足と宣伝;
* Asterbluteは、戦後僅か2頭のドイツダービー勝ち牝馬の1頭。あと1頭はご存知ボルジア@トマトちゃん(謎)
  Asterbluteの血統の話は、競馬通信大全32号の拙稿なども参照下されば。
* ヘンケル・レネンは当時の独2000ギニーにあたる競走。この時期は東西でそれぞれ開催された。



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