
| Marino マリーノ 1957 牡 31号族 | ||||||
| Angeber 1945
| Elritzling 1934
| Lampos 1923
| Fervor | Galtee More | Festa | 16-c |
| Ladylove | Fels | Ladylike | 1-m | |||
| Erika 1927
| Scarsellino | Signorino | Spring Chicken | 4-k | ||
| Else | Eccleston | Sackcloth | 2 | |||
| Aktinie 1934
| Herold 1917 黒鹿
| Dark Ronald | Bay Ronald | Darkie | 9-b | |
| Hornisse | Ard Patrick | Hortensia | 4-b | |||
| Atalante 1926
| Fervor | Galtee More | Festa | 16-c | ||
| Athene | Ariel | Salamis | 16 | |||
| Mako | Gundomar 1942 黒鹿
| Alchimist 1930 黒鹿
| Herold | Dark Ronald | Hornisse | 4-b |
| Aversion | Nuage | Antwort | 9-h | |||
| Grossularia 1933 鹿
| Aurelius | Pergolese | Augusta Charlotte | 7 | ||
| Grollenicht | Fervor | Grave and Gay | 1-a | |||
| Makrone 1934
| Graf Ferry 1918 鹿
| Fervor | Galtee More | Festa | 16-c | |
| Grave and Gay | Henry of Navarre | Mount Vernon | 1-a | |||
| Makrele 1928
| Pergolese | Festino | Perfect Love | 8-c | ||
| Makte | Fervor | Macht | 31 | |||
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Festaは英オークス馬L'Abbesse de Jouarreの娘で名種牡馬Desmondの全妹。Faust,Fels,Fervor,Festinoとドイツ20世紀の入口に4頭の名馬・名種牡馬を出した重要な牝馬です。そして、このMarinoにはFervor5本をはじめ、Felsの5×6、そして母にFestino産駒Pergoleseのクロスが入っているという、もう凄い配合。このMachtの名牝系は西ドイツでもかなり成功してますが、その勢いは一部フランスにも進出し、ヴェルメイユ賞のQueen Maudなんてのも記憶に新しい。 一方で、Fervorの父系祖先Galtee MoreといえばArd Patrickの兄ですが、AktinieとAlchimistがこのArd Patrickのインブリードを伝えています。血統表全体に奇妙にシンメトリシティがありますね。 |
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Besitzer: VE Hauptgestut Graditz
新しい住居のため、カタリナが幼少の頃住んでいた家(今は廃屋)に行き壁から吊るす板や何やら細かいものを取りに行った。気がついたことは既になんでも物色され、一部屋などは羽毛布団の羽根が一面散らばっており何故か場違いに「エレガント」であった。誰も住んでいないのでぶらぶら1階から4階まで歩いてみて、ちょっと薄暗かったが天井裏にも入ってみた。そこもガラクタで一杯だったが、その中にかなりの量の新聞があり、見ると東ドイツ時代のものなのでリュックサックに全部押し詰めた。
家に着いてそれらを調べてみると、1962年の「Sachsische Zeitung(ザクセン新聞)」で(今でもまだある)、1月から9月くらいまで揃っており、ベルリンの壁構築の翌年と言うこともあり、その関係のテーマが多く目に付いた。当然のことながら一般紙であり、競馬については最小限の情報しかなかったが、MarinoがDDR大賞に勝った記事を見つけた。そしてその日1面にまた壁についての「トラブル」の記事を見つけた。西ドイツの壁周辺での行動についての非難である。内容は我々の「Antifaschistischer Schutzwall(ファシストから身を守る防御壁)」の周辺で催涙弾を放ったり、スピーカーでわめき散らしたり、壁を超え西ドイツに逃げようとして殺された東ドイツ住民を「英雄」として新聞に書かれていた、などなど・・・
その後続いて「彼らはドイツ人?ヒムラー、ゲーリング、ゲッベルスもブラントも残念ながらドイツ人だ、しかし悪いドイツ人。彼らは我々の兄弟?いや、決して!誰一人として!一度も!・・・」
Marinoは血統を見ても、東ドイツのサラブレッド生産における重要なメッセージである。Fervor−Lampos−Erlitzing−Angeberと続くGaltee Moreの父系は「タフ」さを強固に受け継ぎ、5代血統内にFervor5本、更にDark Ronaldのクロスも明確な「イデオロギー」を持った東ドイツの「Fahnen(旗)」を思わせる。しかし1960年ダービー、DDR大賞では西ドイツのフォーレンホフ牧場の牝馬Hortensia(父Baal)に競り負け、セントレジャーでは他の格下馬同様馬群に沈み、しわくちゃの「旗」がターフにさらされた。
天井裏の小さな窓から通りを挟んで空き地に古い倉庫や建物が見える。老朽化が進み壁ははがれ角が削げ落ちている。旧ソビエト軍の駐屯地だ。当時はこのノイシュタットのメインストリート「ケーニヒバーガー通り」に長い壁が横たわり、ある種の圧迫感を持ちしかし無気味な静けさをもって基地は存在していた。その沈黙とは、当然ドイツ人もソビエト軍が彼らを大戦後救ったわけではないことを知っているし、かといってソビエトに対して悪意を含んだ「会話」を口にすることに「メリット」が無い事も十分知っていたからで、微笑ましい日常での両間での微笑ましい「アクシデント」と言えばドイツ人のかわいい子供が外出許可を持ったソビエト将校にたどたどしいロシア語で「ワッペンちょうだい!」と頼むことくらいであっただろう。
Marinoは1961年にもDDR大賞を走り、1歳上の全兄Makatの1馬身1/4差の2着、3着Ondra(f)(父Neckar、その年のダービー馬)、そして62年の同レース、3度目の正直の初制覇を成し遂げる。2馬身差、2着Makat、3着Anboss(父Maranon)。その後63年は3着、64年は何と3頭のMakoの子供、MarinoとMakat、Mandantが走り、末っ子Mandant(父Steinadler)が勝利する。Marinoはそれに敗れ、その後種牡馬入り。Bergfried,Glorian,Dammerschein,Abraxes(f),Vickingなどを出し、1970年代の代表種牡馬の1頭に数えられる。しかし孫の代が走らなくなったようで、今はもうメールラインは残っていない。
「兄弟」と呼ばれていたロシア人は今はもういない。我々の「兄弟」ではないと呼ばれた「西」ドイツももう存在しない。ということは我々の「兄弟」ももういないということ。東ドイツの残った馬たちは目の前の瓦礫の山である。友人はロシア人を評してこう言った。
「彼らは文化を持っていない」
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