
| Versuch フェアズッフ 1968 牡 12号族 | ||||||
| Baba 1962
| Niederlander 1947
| Ticino 1939 黒鹿
| Athanasius | Ferro | Athanasie | 16 |
| Terra | Aditi | Teufelsrose | 20-b | |||
| Najade | Oleander | Prunus | Orchidee | 6-e | ||
| Nella da Gubbio | Grand Parade | Nera di Bicci | 4-r | |||
| Bab Shirin 1940
| Le Grand Duc 1934 鹿
| Blenheim | Blandford | Malva | 1-e | |
| La Douairiere | Spearmint | Dormouse | 5-j | |||
| Qasr Shirin 1934
| Fairway | Phalaris | Scapa Flow | 13-e | ||
| Taj Shirin | Gainsborough | Taj Mahal | 4-p | |||
| Veracruz | Bernardus or Niederlander 1947
| Ticino 1939 黒鹿
| Athanasius | Ferro | Athanasie | 16 |
| Terra | Aditi | Teufelsrose | 20-b | |||
| Najade | Oleander | Prunus | Orchidee | 6-e | ||
| Nella da Gubbio | Grand Parade | Nera di Bicci | 4-r | |||
| Vorsicht | Abendfrieden 1934
| Ferro | Landgraf | Frauenlob | 5-g | |
| Antonia | Herold | Adresse | 9-h | |||
| Valanda | Laland | Fels | Ladyland | 1-m | ||
| Viktria | Le Sagittaire | Vignette | 12 | |||
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普通Orの後に付くのが実の父(の可能性が高い)な訳ですが、ボクスベルク牧場としては、母父はBernardusだったことにする、ということでこういう配合作ったのでしょうか? で、理屈上2×2のインブリードとなるNiederlanderは、エアレンホフ牧場が誇るテシオのNラインの名血。これにドイツのベスト種牡馬を2代掛けつづけて、Dark Ronaldクロスの定番的な良血を演出して成功しました。Versuchの母方にはフランス血統も絡んで、古ドイツ的なスタミナを感じさせます。 それに対して異系的なのが、BlandfordにFairwayにGainsboroughなんていうバリバリの正統派英国血脈を入れた父の母Bab Shirin。テシオのNラインを語るのに不可欠なSpearmintも入っている辺りは洒落っ気が利いており、この辺が一概の「ど」インブリード馬とは一線を画す所で、この馬の一発に貢献したところなのでしょう。 |
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Besitzer: VER Boxberg
今回はエアレンホフ牧場について書こうと思う。僕のヨタ話もそうそうネタが続かないので・・・
こうして資料を見ていて考えてしまうことは、エアレンホフのAthanasiusやNordlicht、Ticino、それに対するグラディツのHeroldやAlchimistの対照的な結末です。Nordlicht以外は戦後のドイツ馬の血統談義をする上で欠かせない馬ばかりだと思う。しかしFaktotumの所で触れたが、AlchimistやHeroldは「腹ぺこのケダモノ」に殺され、Athanasius、Nordlichtはアメリカに連れ去られる。そして資料には「Athanasiusの子Ticinoはかくまわれて難を逃れた」と書いてあるのですが、僕には何となくTicinoは見逃してしまった、というのが真相のような気がします。SS(訳注:勿論例の種牡馬ではないぞよ(^^;)の管理下にあったシュレンダーハン牧場でさえMagnatを残せたという事実を見ると、ソビエト兵に言わせたら「アメリカ軍は何と鈍感で規律の取れていないお馬鹿さんの集まりなんだ」ということになるのでしょう。
エアレンホフ牧場の正確な創設は分からなかったのですが、フェールホフ牧場と同時期だったらしい。20世紀前半だろう、と思う。しかしそれより半世紀前から冷血馬や温血馬の馬産を続けてきたエアレンホフ(その当時はオッペンハイム・マインツとフランクフルトの中間)が頭角をあらわすのは早かった。
1929年、Graf Isolaniで初めてドイツダービーを制す。と、Atalante、Alemannia、Libertas、Mio d'Arrezoなどを産出するが、この頃経済的に先行きの見えない時代背景もあり、1933年に牧場を売却。新しい主人ハインリヒ・ティセン=ボルネミッサ男爵の下、早速1934年にはAthanasiusが2頭目のドイツダービー馬に。2年後Nereide、1942年Ticino、1944年Nordlichtと立て続けに、それもきわめて質の高いダービー馬を輩出する。戦後間も無い1947年に男爵は他界、息子のヘンリー・ティセン男爵が権利を譲り受けるが、サラブレッド生産に熱心なのは妹(姉か?)のマルギット・バチアーニ伯爵夫人の方で、当初から彼女がイニシアティヴを取っていたようだ。
エアレンホフの快進撃は戦後も続いて行く。僕なんかは戦後成績のよい牧場は戦時中幸運にも被害が少なかったのかな・・とか思うんだけれど、この辺は知識不足。1950年Niederlander、1951年Neckar、1957年Orsiniとこんなに早足で書き飛ばすべきではない馬をターフに送り込む。そして牧場はバート・ホンブルク(フランクフルト)に移転。1963年に9頭目のダービー馬Fanfarが登場する。何故かOrsini以降は減速気味になり(そう長くピークが続かないのは、当然か)、勝負服はマリンブルーから青と黄色に変わり、バチアーニ伯夫人が牧場を切りまわす。
1974年のMardukが10頭目のダービー制覇。3年後、実業家ヒューベルトス・リーブレヒトがパトロンとなり、名前もエアレングルント牧場に。しかし資料を読んでいてもよく分からなかったのがその理由ですが、想像すると、戦後のドイツ競馬が終わり新しい血が要求されていて(この後Nebosもそうですが、エアレングルントもフランス寄りになったようである)、更に競馬産業自体「高く」つきはじめたのかなぁ・・・しかし余り根拠も無いので置いといて。結局Mardukが最後のダービー馬となっている。もう1頭忘れてはならないのがNebos。
このNebos(1979年のドイツダービーでKonigsstuhlの2着)が活躍した時期にその勝利を手放しで祝えない事件が2度起こる。火事である。一度目は1978年で、建物は焼けたが馬は無事であった。しかし続いて1980年のこれは大惨事で、厩舎につながれていた多くの馬(他牧場の馬も含め)が焼け死に、たった1頭しか救出できなかった。Nebosは恐らくトレーニングセンターか何処かにいたのだろうが、牧場はまさにパニックだったであろう。多くの貴重な馬、特に牝馬を失ったエアレングルントであるが、何故か名前が変わってから牝馬の活躍が多かった。最後の大レースはこれまた牝馬のMajoritat(父Konigsstuhl−母Monacchia)のディアナ賞で、今年この牝馬とランドとの牡馬Major Landoがクラシックに挑戦する。
Versuchは間違い無くハンデキャップホースだろうが、運良くダービーに買った。この馬の功績は、Landgrafから続く7代ドイツ制覇(東西ドイツをまたぐため未公認)だろう。1971年ダービーは、大方Macbeth(父Fahnentrager−母Machtige)、Blaulicht(父Angeber−母Blaue Stunde)、Isonzoの3頭の争いと見られていたようだが、しかしレースは以上にスローに進み、結果Versuchが勝ち、2着Akropolis、3着Dialektとなる。この上位3頭はいずれもこの後重賞を勝っていないのに対して、Macbeth以下人気の3頭は重賞レースの常連となる。Versuchは少なくとも6歳までは走りつづけたが、その後の行方は確かではない。
Niederlanderは間違い無く名馬だったと思うが、同期のAsterios(父Oleander−母Astarte)、Waldsprecht(父Abendfrieden−母Waldluft)と強豪がいた。Neckarは案外1年で引退したので後の印象がよく見えたのかな。Orsini(Athanasiusの2×3)もNeckarとともに戦後エアレンホフの繁栄に貢献し、70年代には輸入馬との激しい戦いを強いられる。やはりマルギット・バチアニー伯夫人はこの通り馬作りに一生を捧げていた(まだ生きてるか・・)訳だが、引越からNebos誕生までの特に70年代バート・ホンブルク(静かなところらしい)でどんなことを考えていたのだろう。深い瞑想の後Nebosという馬が生まれるが、これなどは彼女のその時期の心情をよく示しているのでは?とにかく写真で見ると大柄で[インパクト]の強い外見。ひょっとして、半分馬なのかなぁ・・・
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