Zigeunersohn

Zigeunersohn  ツィゴイネルゾーン 1965 牡 1号族
Grande
1948
Ticino
1939 黒鹿
Athanasius
1931 黒鹿
Ferro Landgraf Frauenlob5-g
Athanasie Laland Athene16
Terra
1929 黒鹿
Aditi Dark Ronald Aversion9-h
Teufelsrose Robert le Diable Rosanna20-b
Grossularia
1933 鹿
Aurelius
1923 黒鹿
Pergolese Festino Perfect Love8-c
Augusta Charlotte Fels Anmut7
Grollenicht
1917 鹿
Fervor Galtee More Festa16-c
Grave and Gay Henry of Navarre Mount Vernon11
Zigeunerkind
1954
Birkhahn
1945 鹿
Alchimist
1930 黒鹿
Herold Dark Ronald Hornisse4-b
Aversion Nuage Antwort9-h
Bramouse
1936 鹿
Cappiello Apelle Kopje14-c
Peregrine Phalaris Clotho1-j
Zigeunerin
1941
Wallenstein
1917 鹿
Dark Ronald Bay Ronald Darkie9-b
Wiener Madel William the Third Danubia6-e
Cirada
1934
D'Orsay Son-in-Law My Dame2-s
Tearozsa Rose Prince Trefoil1-l
祖母・母・そして本馬と3代連続してDark Ronaldクロスを継続しつつ、最後はNeckarなどでも成功をみたAlchimist≒Aditiという擬似クロスで、西ドイツ的な方法論と共通するような定番性を持っています。それを構成する、Ticino、Birkhahn、Wallensteinという辺りはドイツ戦前の最大の遺産と言ってもよく、これらの資産を見事に総括した配合です。
父GrandeはTicino産駒ですが、祖母が東独で重要な役割を果たしたGrollenicht。Ticinoの代表産駒Neckarはエアレンホフ牧場の名牝系「テシオのNライン」を経由して入るGraf Ferry(Grollenichtの全兄)の血が入っています。この血は母方に米血も秘めた、奥の深い血脈。これがTicinoと独特のニックスを演出した辺りは、興味深いところです。スピードはGrollenichtばかりではなく、Birkhahn母方経由からも洗練された質を受け継ぎ、幅広い特性を伝える種牡馬になったのは肯けるところ。

Besitzer: LPG Trinwillerschagen




Wilde Katze's Note

振り返るとプラザの喧騒は「ピーク」に達していた。年に一度のこのセルバンティノ・フェスティバルに全メキシコから人が集まりこの3週間は毎日こういった調子が続く。僕はプレス用のパスを持っているのだが「今日はこれでは入れない」とさっき言われ、今こうしてこの長い列の横に立ってどうしようか途方に暮れてしまった。フォーマルに着飾った人が多い。ここテアトロ・ファレスはガナファトで一番格式のある劇場なのである。今日はラファエル・シエロというフラメンコの歌手のコンサートでまだ生のそれを聴いたことがなかった僕は友達に頼んでパスを借りやってきたのだが・・・。
もう一度とおりに目を移すとふと「知らない人」ばかりだなぁ・・・と思う。既に2年ここにいた僕はこの街がいかに狭いかよく知っていてぶらぶら街を歩いていると一日に何度も同じ人と出会いその度お互い苦笑いしてしまう、というのがよくあるからだ。入口から短い叫び声が聞こえ振り返ると、ドレスを着た貴婦人が躓き、その狭い入口は一瞬混乱していた。僕は掛けよりさっきのチケット切りの手が届かないよう、一人のメキシコ人の巨体の後ろに身を押し込み通り抜け、そして正面階段を踊り場まで早足で上り振り返ると、やはりメキシコ。セニョールもセニョーラも入口で押し競饅頭になっておりチケット切りも僕にかまう余裕がなかった。プレスの席は1階後方だが僕は近くで見たかったので2階の舞台近くの席へ行き、全体を見ると、「何だ、案外小さいなぁ・・・」と思い、しかしそれなりの威厳は感じられた。幕(Certen)は既に開かれてあり、中央に2つの木製の椅子が前後に並んでいた。
いつのまにか僕はプログラムも見ずにここ最近の出来事について考え始めた。

ダービーでは2頭のVERボクスベルクの馬、SamariterとMonet(1971DDR大賞勝ち馬)の3着に敗れたが、その後秋にDDR大賞に参加、本命は1966年のダービー馬Aveiro。しかし彼は直線内を衝こうとしたが前がふさがり、外へ出しZigeunersohnと体を併せたものの、ハナ差Zigeunersohnが制した。4歳時はこのジプシー(Zigeuner)の民は国際開催にも参加。4歳友好賞に勝つ。その後生涯成績22戦12勝(入着8回)で種牡馬入りするが、1970年にグラディツへ。産駒にGirlitz(ダービー)、Fierant(種牡馬、母Figura)、Lolita(ダービー馬Lomberの母)など。1970年代の重賞リストを見ると短距離から長距離・障害まで幅広く何と多くの勝ち馬を輩出していることか!Marino、Carolus、Tunyと並んでこの時期の中核的存在。何か血統見ても健康そうだなぁ・・・。

ガナファトの街の地下には迷路のように地下道があり普段は車しか通らないのだがこのセルバンティノ・フェスティバルの期間だけは別。酔っ払い(ほとんどみんな)が片手にテキーラの入ったストロー付きのビニール袋を持ち、ある者は歌い、またある者は奇声を発しながらふらふら歩き、その音がトンネル内にこだまする。毎年警察が「小遣い稼ぎのために何人も連行して行くのだ」とカルロスが僕に去年話してくれた(留置所を出た後で)。
300メートルくらい歩いて地上へ、そしてバレンシアナ(僕が住んでいた家の地域)行きのバスが来る停留所へ行く。しかしその日は何故か1時間弱掛かる急勾配の山道を歩いてみたくなり、歩き始める。
途中までは民家があるのだが、その後急勾配の坂道になり道も石畳から土に変わる。ガナファトはすり鉢状の街で、中心部は底にあたる。昔炭坑(Mina)で栄えた街で僕の家は今でも稼動している炭坑の裏にあった。まあとにかく、この道は普段でも農民が家畜を連れて歩くための道で、夜人に会う可能性はほとんど0%で野犬が時折現れるので石をポケットに詰め込み、手頃な棒を拾い暗闇に突入した。両脇にはサボテンや背の低い木が生えている(お金のないときは食用のそれらを取ってきて、トルティージャ[とうもろこしの粉で出来たタコスの皮]にくるんで食べるのだがオクラをもう少し苦くしたような味で、メキシコでも貧乏人の食事)。
足許が最初は見えないくらい真っ暗なのだがそのうち慣れ、途中で寝転がって一休み。この辺りまで来るともう野犬の心配はないからだ。そして身を起こし街を見ると、流石にここまでは喧騒は届かず、きれいな光をいつものように放っていた。そして家へ着く。レオン(カタリナの旦那)が居間で友達のファンと話していた。そして僕はフラメンコのコンサートについて感想を話しはじめた・・・

ラファエル・シエロは中年のジターノ(Gitano=ジプシー)でもう一人の若いギタリスタとともに舞台に現れた。
ギタリスタは片手にビール瓶と棒を持っていた。二人とも媚びるわけでもなく、椅子に腰を下ろした。長髪で背の高いギタリスタがビール瓶でリズムを取り始めラファエルが歌い始める。物凄い声量に最初びっくりした。まさに「吼える」ような歌い方だった。そしてギターを弾き始める。ごっついガタイのラファエルはこれまたごっつい手で時折手拍子を入れながら、声を振り絞る。歌詞は実際何てことない報われない愛の歌なのだが、だんだんテンションがあがるギターとともに一つの感情の塊が限界に近づき、ギターの最後のストロークとともに立ちあがる。一瞬の間もおかず”Ole!”と観客の掛け声。そして"Andale!"、"Vaya!"(いいぞ!)と掛け声が上がる。全く痺れた。
力強く、誇りの高い甘えの全く排除された、人間の歌を聴いたと思った。フラメンコの歌詞でいつも殺したり殺されたりするのはこの誇りによるのである。そして束縛されない自由を望む。考えてみれば僕らはいつも管理下に生き、自由を求める厳しさすらすら知らないのだ。言いかえれば、僕らの享受できる喜びは所詮、社会の管理下でのものでしかない、ということだろう(誰がこの意味を分かる?)。その後2曲を聴いて僕は席を立った。
もう十分だった。

ファンはアル中で24時間酒の匂いがしている、36歳なのだが50歳くらいに見える男で、そのとき葉っぱも吸っていたので話はわかりにくかったが、子供の頃の話を始めた。
「俺が5歳の頃、わけあってマドリーの叔母に預けられていたとき、ある日迷子になって泣いているときジターノの家族に連れられ彼らのキャンプに行ったんだ。そこには5家族くらいが住んでいて夜になると火を起こし食事を始めた。俺は俺をここに連れてきた家族とともに丸太に座り、肉やらジャガイモやら食べ、その後ほかに一杯いた子供たちと遊び始めもう叔母と離れた心細さなんかなしに遊びまわっていた。暗くなって暗くなると、大人たちは歌い踊り始めギターに合わせ例のフラメンコが始まり、女たちはきれいな花の刺繍をされた、何枚も重ね着されたドレスを着て踊り始めた。彼らの話していた言葉はスペイン語ではなかったが時折僕にはスペイン語で話してくれた。中でも一人の同い年の男の子は・・・名前は忘れたが・・とても印象的な目をしていて、何故かその目には俺の今まで知らなかったさまざまな絵が色鮮やかに描かれていたように思えたんだ。まぁ・・・簡単に言うと野性的なのだがその反面確実に俺の周りの世界とは断絶したものだった。ほかの子供がこっそり『彼はみなしごだ』と教えてくれたのだが・・・。そしていつのまにか眠っていたらしい。朝、街に例の家族と行き(その男の子も一緒だった)、通りで叔母の知り合いに出会ったんだ。その知り合いはジターノの親父に食って掛かっていたけど、俺が楽しそうなのを見ると、手を取って歩き始めた。俺は何度も振り返って彼らを探したけど、もう人ごみに消え去った後だった。その後叔母は泣きながら俺を抱きしめてくれたけど、俺はまだ興奮からさめてなかったようで、ジターノの魔法にかけられたって真剣にほかの人にわめき散らしていたよ。そう、確かにあれは素敵な魔法だった」

ZigeunersohnとはZigeuner(ジプシー)とSohn(息子)が組み合わされた言葉で、Zigeunersohnにはまたみなしごという意味もある。その使い方は多分ジプシーに対する軽蔑を含んでいる。しかし僕らは彼らを抑圧しながら、内なるZigeunerさえ飼い殺ししているのに気づいてはいない。1970〜80年代のツィゴイネル牝系の活躍はその後のDDR崩壊を明らかに予言していた。

その後話ほかのテーマに移ったので席を立ち外へ出た。そして「ちんぽ」を取り出し空を見上げると、その闇にジプシーの子供の黒目の深さを想像した。そしてふと「今僕が消えても、生まれてくる子供は少なくともみなしごでは無いなぁ」と思った。小便し終わって、魔法にかかった頭とともに、カタリナの眠る離れへ足を進めた。




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